↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
全力!!! トライアングル  作者: 谷川ポンヌ
長月 -<2> の章
PR
47/51

第46話 ♪藤井香織 愛がワタシを救う


携帯電話に目を凝らし、ジッと見つめているのだが、それが振動する気配は全くなかった。


……やっぱり、図に乗り過ぎたんじゃないだろうか。


考えれば考えるほど、後悔の波が押し寄せてくる。


先日行われた歓迎会の帰り道、「歩いて帰ります!」と拒む私を無理やりタクシーに乗せ、福田チーフに自宅まで送って頂いた。


10分足らずで到着し、ふらつきながら降車したのだが、「ありがとうございました」と頭を下げてタクシーを見送ろうとすると、チーフも降りてきたので軽く驚いた。


「え? チーフのお住まいも、このあたりなんですか?」


『……いいえ。それより香織ちゃん、お茶を入れて下さるの? まあ、悪いわね。お邪魔します』


どこぞの定番喜劇のようなセリフを言うチーフに度肝を抜かれた。

しかし、ニッコリ笑うお師匠サマを無下に断るわけにもいかず、そのまま自宅に招きいれる。


お茶請けはないけれど、とびきりの珈琲なら飲んでいただける。

いそいそとキッチンに立ち、珈琲を入れる準備を始めると……。


『時間がないから、お茶は結構よ』と断られた。


これは、一般的に怒ってよい場面だろうか? とひたすら悩む。

そんな私を手招きし、チーフがテーブルに一言書きの便箋を広げた。


『手紙を書いて欲しいの』


代筆を頼みたかったのか……と会得した私は、用紙の前でペンをとった。

田辺主任へのお誘いメモも代筆したので、心得があったのだ。


「なんと書きましょう?」


『自分で考えてちょうだい』


「へ?」


『真木部長宛てに、会えなくて残念でした……のお手紙だから』


……なんですってぇぇ!!!  それは代筆ではないですぞぉぉ!!


残り少ない度肝を、さらに抜かれる。

このままでは、マジで度肝が無くなってしまうと心配になった。


『だって、香織ちゃん。とても残念だって言ってたじゃない……それを伝えましょうよ』


たしかに、真木部長も招待すると聞いた時、私は嬉しくて飛び跳ねた。

その分、仕事で来れないと分かった時の落胆は、それはもうハンパない下降スピードだったのだ。


『早くしてね。 ドラマが始まってしまうから……』


そんな理不尽な要求の中、とりあえずペンを走らせる。

一言便箋なのであまり長々とは書けない。昼間に調子が出ないと聞いたので、体調を心配している旨と、言われた通りに会えなかった残念さを綴った。


『うーん、何か足りないわね』


チーフに見せると、腕を組んで考え込まれてしまった。


『そうだわ! 最後に、「今度、食事に誘って下さい」って入れてちょうだい』


「そ! そんな図々しい事、書けません!!」


全身全霊で拒絶する。


『何を言ってるの! このままだと、向こうもリアクションが返しづらいでしょ!』


なるほど、一理ある。……そう思ってしぶしぶ追記した。


『まあ、こんなものかしらね』


辛うじてOKがでたようだ。

ホッと息をつく。


『じゃあ、次、本番ね』


……えええ?!!  ま、まさかの練習だったんですか!!?


わずかに残った度肝を、チーフが根こそぎ抜いていく。

驚き過ぎて固まっていた私を、気遣う素振りも全く無いまま、師匠が次々と駄目を出してきた。


『この、宛名の“真木部長様”は要らないわ』


……え、何ゆえ?


『それと、この文字なんだけど……堅苦しくて社交辞令クサイから、もうちょっと可愛らしい文字にしてちょうだい』


……いや、これは社交辞令ではないのですか?


『そうそう、最後に「待ってます」って、可愛いセリフとハートマークを忘れないで書いてね』


……ちょ、ちょっと待って! 主旨が完全に変わってますって! おかしいですよ!


『あら、いやだ。 ドラマが始まってしまうわ!! 急いで!』


……だったら、練習用に書いたものでいいじゃないか!!


そう思うが、無慈悲にも目で訴えた内容は簡単に却下され、逆に強い視線で圧力をかけられた。仕方なく言われた通り、女子高生のような可愛い文字で書き直していく。


悲しいかな、一流POPライターの私は、文字演出がお手の物だった。

最後の抵抗として、ハートマークだけは書かずにペンをおく。


『まあ、これでいいでしょう』


どうにか納得してもらった事にホッとして、練習用の紙をゴミ箱に落とす。


『あ、待って! 捨てちゃダメ! それも使うのよ。 ……あ』


……使う?


訝しげな顔でチーフを見ると、目線をさりげなく逸らされた。


『オホホホ、う、裏紙で使うのよ。ほら、もったいないじゃない』


……なるほど。もったいない精神は大切だ。


やけに目が泳いでいる福田チーフに紙を返す。

受け取って、慌ててバッグに仕舞い込んだ福田チーフが、オホホ笑いのまま帰っていった。


……なんだったんだ。


休みを挟んでの翌朝。

その福田チーフに、手紙を渡した事を笑顔で伝えられる。


『誘ってもらえるといいわね』


ニヤリ笑いで背中を叩かれ、微妙な笑顔で応えてしまった。


こうして私は、携帯に着信がないか、気になって仕方がない一日を送る事になったのだ。もちろん仕事に支障をきたしたのは言うまでもない。


……真木部長と食事が出来るかも!


そう思うだけで、思考がふわふわと上空を彷徨う。

地上の身体は、何度もモンロー主任に怒られていた。


しかし、そんな幸せな時間はとても短い。うんともすんとも言わない携帯を長時間見ていると、あの手紙が部長の怒りを買ってしまったのではないか……と、不吉な考えがすごい勢いで押し寄せてきた。


……やっぱり、図に乗り過ぎたんだよぉぉ。


頭を抱えて身悶える。


“♪ピロピロピー”


待ちわびた電子音を奏でたのは、目の前の携帯ではなく、我が家の電子レンジだった。慌てて立ち上がる。


そう、真木部長の事も問題なのだが、それよりもっと重大な問題を私は抱えていた。……食糧危機だ。


ちなみに、今日の昼間も食べ物がなくて困っていた私だが、思わぬ収穫があった。


あんなに怒っていた天狗がなんと! お土産に「しるこサンド」を購入していたのだ。

天狗に手渡されて、仰天したのは当然だ。


あの騒動はいったい何だったんだ!と眉根を寄せてしまったが、頂ける食糧は有難く頂戴する。

食べられる物を手にして思わず興奮し、嬉しい気持ちをそのまま伝えた。


ところが、「つつつ、ついでだぞ!!」と真っ赤な顔で怒り出し、「い、意味なんてないからな!」と、まさに意味不明な捨てセリフを残して、天狗が去っていった。


本当に何がしたいのか、よくわからない上司である。


さて、目の前のホカホカごはんが、冷蔵庫にあった最後の食糧だ。

もちろんおかずは無い。よし、ここはマヨ様の出番だろう。


栄養を補う為、白米にマヨネーズをトッピングさせた。

別にマヨラーなわけではない。あくまでこれは緊急手段だ。


あっちゃんにもらったアロマキャンドルに火をつけ、室内灯を消す。

それこそ、今節約しないでいつするのだ!……と倹約に目覚めた私は、いろんな事をケチり始めていた。


ちなみに、グレープフルーツの香りがするこのキャンドル。

あっちゃん曰く、食欲を抑える効果があるらしい。


ぐうぐうと鳴るこのお腹に、いったいどれほどの効果があるのか疑問だが、明かりとしては十分だ。

薄暗い炎に照らされながら「いただきます」と合掌した。

ごはんを一口噛みしめて、思わず涙が出そうになる。


……明日は実家に帰ろう。


母の温かい食事に思いを馳せていると、突然玄関のチャイムが鳴り響いた。

すでに夜の11時をまわっている。


……こんな時間に誰だろう? ……あ! まさかのお隣さん!


アパートの隣に暮らす真白さんは、私が困っているといろいろと助けてくれる優しいお姉さんだ。

たびたび訪れる食糧危機にも、手を差し伸べてくれる貴重な存在だった。


……ここに来ての救援物資は、マジで泣きます!!


喜び勇んで玄関に飛んで行こうとしたが、ケチった事でケチがついた。

周りが暗かったせいで、棚の角に自分の足の小指を激突させてしまったのだ。


……悶絶。


四つ這いになって、ひたすら痛みに耐える。

その間にもう一度チャイムが鳴るが、痛みで返事が返せない。


……待って! 行かないでぇー。


脳内で叫ぶが、相手に届くわけがない。

しかし、その5秒後。その願いをすぐに取り消したくなった。


鍵穴に何かを差し込む音が聞こえてきたからだ。


……え、どういう事?


その瞬間、珍しく思い出した事があった。

一か月前、近くに空き巣被害が出たので、大家さんから古い鍵を変えましょうと連絡があったのだ。


え? ……まさかの……ど、ドロボウ?


ガチャガチャとドアが音を立てるたび、身体が硬直する。

忙しさにかまけて、親切な大家さんをないがしろにした自分をひたすら罵る。


……お、大家さん! 至急、鍵を変えてください!


もちろん、あとの祭りだ。


とにかく今、自分の出来る事を必死に考えた。

室内灯を点ける。大声を出す。携帯で誰かに助けを求める。など、有効な手立てはいっぱいあったはずだ。なのに、パニックというのは恐ろしい。……なぜか、蝋燭の火を吹き消しただけで思考が停止した。


後は目の前のピッキング作業が、失敗に終わる事を必死に祈る。


……神様ぁ!!


しかし、神はそう簡単に願いを聞き入れてくれるものではない。


願い虚しく、カチャリと音をたててドアが解錠された。

静かにドアノブが回され、扉がゆっくり開かれる。


……お、お母さーん!! 助けて!!


人は本当のピンチに直面すると、神ではなく母に助けを求めてしまうものだ。

侵入者に見つからないよう、身を縮めて震える足を抱え込む。その間も、ひたすら目をつぶって脳内で母に助けを求め続けた。


『……香織?』


母の声が、なぜか耳に届く。

ああ……もう、私は死ぬんだな。……思えば短い人生だった。


『え? 暗闇で何してるの?』


しかし、あまりの生々しい声に、薄目を開けて確認した。

長身のシルエットが私を覗き込んでいる。


「お! お母さん!!」


さすがに元モデル。

その形状は、年月を経た今でも美しかった。……って、ナゼここに居る?!


「ど、どうやって入って来たの?!」


『どうって……合鍵よ。他の鍵と混ざっちゃって、どれかわかんなくて困っちゃったわよ』


笑顔で鍵の束を見せてくる。

そういえば、母に合鍵を預けてあった……って


「勝手に入んないでよ!!」


怖がった自分が急に恥ずかしくなって、母に当たり散らした。


『ええ!! だって、チャイム鳴らしても出て来ないんだもの……電気も消えてるし……普通、居ないと思うじゃない』


「だからって、勝手に部屋に入るのはマナー違反でしょ!!」


口を尖らせた母が、拗ねてプイと横を向く。


『何よ! だったら持って帰る!』


足元の紙袋を持ち上げ、玄関へと戻って行く。


「ちょ、ちょっと待って! ……何、ソレ?」


先程から暗闇に漂ういい匂いに、お腹が鳴りそうになる。


『香織の好きな、チンジャオロース』


生唾がゴクリとなる。


『……他にも、きんぴら、肉じゃが、サバの味噌煮にお漬物。香織が喜ぶと思って、置いて帰ろうと思ったんだけどなぁ……大きなお世話だったみたい』


「お、お母さまぁー。ようこそお越し下さいました! ささ、奥へどうぞぉ」


慌てて電気を点けて奥へ誘った。



 ♪―♪―♪



『これは、何?』


正座で母の前に座らされている。

いきなり怒られているのだ。


『……香織、母さんと約束したよね? 忘れたのかしら?』


一人暮らしをしたいと言った時、母にモーレツな反対を受けた。

それでも、実家から会社までの過酷な通勤状況を訴えて、なんとか許しをもらったのだ。


その時、十か条ほど一人暮らしのオキテを掲げられたが、食事の面はとにかく厳しかった。そして、それが守られていないとバレてしまって、大ピンチなのである。

こっそり顔を上げると、マヨごはんを指さした母の目が、鬼のようにつり上がっていた。


この場面で、マヨごはんはちゃんとした食事です……とは、さすがに主張できない。

頭を下げて「ごめんなさい」と素直に謝る。


しかし残念な事に、頭を下げて許してくれるような甘い母ではない。

おもむろに立ち上がった母が、冷蔵庫の扉を開けた。


あ!……と思った時にはすでに遅く、母の冷蔵庫検分が開始されていた。……と思ったら終わった。

開始から5秒も持たなかった。


『珈琲豆しか入ってないって、どういう事なの!!』


すでに時間も遅いので静かにお願いします。……なんて、伝えられる余裕もない。

相手は怒髪天を衝いて、屋根が壊れそうな勢いだ。


「ごめんなさい! すみません! それはいけない事です!」


ひたすら謝る。 


『ちょっと座んなさい!!』


怒った母の口癖だが、今立っているのは母の方だ。もちろん、そんな指摘ができるはずもない。

目の前に母が座り直し、お説教が延長される。……と思ったのに、様子が異なった。


母がため息をついて財布を取り出し、黙って一万円札をテーブルに置いた。

高額紙幣を間近にして、思わずギョッとなる。


このお金を受け取るわけにはいかなかった。

受け取ってしまうと……


『香織、来月からお金を送るのは止めて頂戴……』


母の言う通り、仕送りを止めなければならないからだ。


「お母さん、あの、無駄遣いしたわけではないの……。今月売場に異動になって、色々足りない物がでてきて……化粧品とか、目が飛び出るくらい高くて……あの、ほかにも色々……」


言い訳を募ろうとする私を、母が手で制する。


『……香織、あのね、お金の使い方を責めてるわけじゃないの。逆にもっと自分の為に使って欲しいぐらいなのよ。……だいたい、お給料の半分も家に入れたら、香織の生活自体、苦しくなるのは当然でしょ?』


たしかに、生活はギリギリであるが、やれない事はない。正社員なので、それなりにお給金はあるのだ。


『貯金もままならない状況で、いざ結婚となった時にどうするつもり?』


それを言われると、貯金ゼロの私は立場が辛かった。

しかし、結婚の予定など皆無に等しいので、焦った事など一度もないのが現状だ。


「け、結婚より、伊織のためにお金を使いたいの」


伊織は、私大の体育系学部に通う弟である。

年間にかかる学費やその他もろもろ、母の出費は相当な額になるはずだった。


父が他界して十八年。

いわゆる母子家庭の、決して裕福でない環境で私たち姉弟は育った。


そんな苦しい生活の中で、私は短大を卒業させてもらっている。

社会人となった今の私が、母と弟を助ける番だと思う事は、家族として当然の流れだろう。


その胸の内を母に告げ、今まで仕送りを続けてきた。

と言っても、なぜかお金は不要だと母に断られ続け、勝手に送り付けている状態なのがちょっと悲しい。


『ねえ、香織。お母さんの仕事、ちゃんと軌道に乗っているのよ。だから、お金の心配は要らないの。今日も撮影で近くに来たから、ここに寄ったの。……何度も言ってるのに、そんなにお母さんの話が信用できない?』


母が仕事で忙しいのは知っている。

近く本まで出版されると聞いた。順風満帆と言っていいのだろう。


かたや、異動先でクビ寸前の私と比べれば、援助するよりされる立場だろう!と言われても仕方がない。


それでも


「信用してないわけじゃないの。……ただ、私も伊織の夢に協力したいだけなの」


しかもそれが、亡き父の夢であるならば、なおさら協力したいと思うのが家族である。


「お願いします」


額を畳につけて懇願する。

頭上からため息が聞こえてきた。


顔を上げると美人が困り顔でこちらを見つめていた。


……絵になるなぁ。


ちなみに弟は、母親似のイケメンでモテモテ男子なのだが、私は父親に似たせいで、残念な結果に留まっている。……別に、気になどしていない。……いや、ホントに気にしてないよ、お父さん。


そんな事をぼんやり考えていると、突然母に抱きしめられた。


「……お、お母さん?」


『香織にもしもの事があったら……パパに顔向けできないのよ。わかってる?』


そう言われて、父親に溺愛されていた頃の記憶がよみがえってきた。

私が入院している間、病院の屋上でいつも肩車をしてくれた記憶だ。


身長が高い父の肩車は、風を切って気持ちよかった事をよく覚えている。

そういえば、頬にチューされている光景も、いっぱいあったなと思い出した。


久しぶりに父の顔が浮かんで、なんだか懐かしさがこみ上げてくる。


「お母さん、心配かけてごめんなさい。……でも、絶対に無理はしないから」


母に余計な心配をさせて申し訳なく思うが、これだけは失くしたくない私の意志だった。

なにより、これ以上働く理由を奪われたら、会社を辞めてしまいそうでとても怖い。


『そう……わかったわ。 でも、ちゃんと約束を守るのよ』


折れてくれた相手に、感謝の気持ちを込めて頭を下げる。

その頭を母に撫でられ、いまだに子供扱いされている自分を情けなく思う。


……もうちょっと、しっかりしないといけないな。


母に見えないように、こっそりため息をついた。


『とにかく、ごはんはちゃんと食べなさい』


母がそう言って、持ち込んだおかずを温めに行く。


……え、この時間のマヨごはん&チンジャオロースは、すごくヘビーだ。


贅沢な悩みを抱える中、母が心配げに話しかけてくる。


『ねえ、香織。……売場に変わって、どんな感じなの? やっぱり、天狗にいじめられてるの?』


「ん? あ、ええっと、いじめよりヒドイかも」


『ええ?! どういう事?』


「天狗は、私に辞めて欲しいみたいなんだ……」


『ウソ! 本当に? もう、なんてひどいヤツなの! サイテーね!』


母と電話で話す度に、私は天狗の愚痴をこぼしていた。

名前だと面倒なので、母にだけはアダ名で通している。


母も私の愚痴を聞くたびに、一緒になって天狗を罵ってくれた。

それが私にとって、ストレス発散になっていたのだ。


「最近、モンロー主任も厳しくてさ……すごく大変なんだ」


『あら、あのオッパイ星人? 天狗の手下だもの、期待しても無理よ』


断っておくが、私は一度もオッパイ星人と口にしたことはない。

見てもいない母が、勝手に名づけたのだ。


母は美人だが、私と同じ、まな板教徒の一人だ。

しかも、デカ乳信仰を目の敵にしている。


乳がデカいと言うだけで、母の敵になるのだ。


『オッパイ星人より、ミドリムシ君を味方につけたらどうなの?』


「ええぇ、ダメだよー。あの人、全然役にたたないもん」


もちろん、ミドリムシ君=ミドレンジである。

名前が微妙に変換されるのは、よくある事だ。


「あ、でも、最近チョー優しい眼鏡ノッポさんが現れたんだ」


『あら、初登場ね。誰なの?』


簡単に田辺主任のあらましを語って聞かせる。


『まあ! すごくいい人じゃないの。香織の彼氏候補にいいじゃない?』


「もう!お母さんたら……ノッポさんにはすでに彼女がいます」


『あら、残念。いい男は成約済が多いわよね』


そう言えば、彼女で思い出した。


「お母さん、聞いて! なんと! たらし天狗は女タラシでは無かったの!!」


『ウッソ!!』


「ホントなんだよ!! しかも、ちゃんとした彼女がいるらしくて……」


『まあ! 天狗のくせに生意気ね!』


「そう! 天狗のくせに生意気なんだよ……」


天狗の愚痴は、尽きる事を知らない。


それでも、目の前に置かれたホカホカのチンジャオロースに感激し、慌てて合掌する。

母の愛情を無心に頬張りながら、幸福な夜は更けていった。




読んでくださってありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。