第43話 ◆渥見清子 揺れる友情(後編)
『おや、珍しい顔があるね……』
そう言って休憩所に入って来たのは、あの英国紳士こと……
『真木部長!!』 ……だった。
名前を叫んだカオリンが、慌てて直立不動の姿勢をとる。
『なんだか空気が重いけど……。もしかして、また平居君に怒られたのかい?』
『ち、違います! 今日は、平居さんは出張で居ません。だから怒られてません!』
……出張じゃなかったら、怒られていたのか? と、ツッコミたいけれど黙っておく。
『なるほど、鬼の居ぬ間に洗濯なんだね……』
考える事が同じだ。なぜか悔しい。
『藤井……』
そう呼んで、真木部長がカオリンの顔を覗き込む。
もちろん、カオリンの顔はすでに真っ赤だ。
『私との約束……覚えているかい?』
『え? あ、ハイ! もちろんです!』
『……じゃあ、後ろを向いてる暇なんて、ないよね?』
『ハイ! 前しか見ていません!』
……オイオイ、完全に刷り込みじゃないか。
『大丈夫かい? 藤井が沈んでいると、私の調子も狂ってしまうよ……』
『そんな! わ、私、元気ですよ! 大丈夫です! だから、部長も安心してお仕事してください!』
……いやいや、全然、大丈夫じゃないから。……マジでダメだから。
部長に頭をポンポンされて、顔が緩みまくるカオリン。
野生の凶暴ウサギは何処に行ってしまったんだ?
愛というものは、つくづく恐ろしいものだと思う。
その時、カオリンの携帯がけたたましい音を鳴らした。慌てて取り出して彼女が確認する。重要な電話なのだろう。一礼をし、通話をしながら外に出て行く。
思わぬところで部長と二人きりになってしまい、とても気まずい空気が流れた。
……苦手なんだよな、この人。
たしかにカオリンの言う通り、振る舞いが紳士的でステキな男性なのかもしれない。
だけどその完璧な装いが、かえって胡散臭いと思ってしまうのは私だけではないはずだ。
疑いを向けている相手が、自販機にお札を入れていた。どうやら、タバコを買う為にここへ足を運んだようだ。
そんな部長の背中を、穴が開くほどジッと見つめて観察する。
……アラフォーを卒業する人の身体とは、とても思えないんだよね。スーツを着てても、スポーツ選手に見えるし。
『渥見さんは……』
突然名を呼ばれてびっくりした。慌てて視線を外し、素知らぬ顔を装う。
『……藤井君と仲がいいんだね』
部長が振り向くと同時に、カオリンが絶賛してやまない、あの爽やかな笑顔を向けられた。
「……ど、同期なので」
とりあえず笑顔で応答するが、その笑顔にやっぱり胸焼けを起こしてしまう。
『そうか』と頷く部長に対し、警戒レベルを最強にする。
「あのう……失礼ですが、部長。 禁煙されていたのでは……?」
カオリンの事をあれこれ詮索されたくなかったので、無理やり話題を変えた。
『ん? ああ、コレね。 ……ダメだね。藤井君が部下から外れた途端、また吸い始めてしまったよ』
持っていたタバコに目を落とし、苦笑いを浮かべる。
ちょっと驚いた。 カオリンの為に禁煙していたなんて……。
カオリンは喘息の持病を持っている。
現在、健康体で発作も起きないと本人は主張しているが、タバコの煙は今でも苦手らしい。
それを知ったうえで禁煙していたと言うなら……。
心が戸惑う。その原因は平居さんだ。
……行動が、まったく同じなんて。
以前、平居さんにカオリンの持病の事を教えてあげると、彼も翌日から禁煙に励むようになった。
まあ、彼の場合、あきらかに下心があるのだけれど、努力の方向は間違いなく良い人のベクトルだ。
……うーん、もしかして、真木部長も良い人なのかなぁ。
悩んでいると、タバコを持て余しながら恥ずかしそうに笑う真木部長と目が合った。
この目の奥に、何かを隠している気がしてならないのは、私の思い違いなのだろうか。
考えても答えは出ないので、視線を逸らしてやり過ごす。
とりあえず、早く出て行ってくれる事だけを願った。
『そう言えばこの前、滝上部長が君の事を話してたよ……』
願い虚しく、真木部長が向かいの椅子に腰かけてくる。背広の内ポケットにタバコをしまいながら、会話が続行された。
ちなみに滝上部長は、総務部の部長で私の上司に当たる人だ。役職的には真木部長と同じだが、立場で言うなら彼よりもかなり上になる。
突然、自分にまつわる話題を出されて、身体が思わず身構えた。私の警戒心を見抜いたのか、真木部長のウソ臭い笑みがより一層濃くなる。
『渥見さんは部内でもズバ抜けて仕事が出来る女性だって、嬉しそうに自慢していたけど……』
その言葉に驚いてしまった。……滝上部長に認められていたなんて、思いもよらなかったからだ。
嬉しさが思わず顔に出てしまい、慌てて俯く。
その油断を、相手は見逃さなかった。
『僕も、君にはとても期待していてね……』
顔を上げた時には、目の前に真木部長の顔が迫っていた。しまったと後悔したが遅すぎた。
『だからこそ……』
鋭い眼差しで捉えられ、逸らす事ができない。
『下等な人間とは、縁を切ってもらいたいね』
冷酷なセリフを平然と言ってのける相手に、背筋が寒くなる。
……か、カオリン! この男、やっぱりヤバイじゃん!!
震えそうになる足を、ギュッと手で押さえつけた。
「それは……業務命令ですか?」
声が震えないようにするのに必死だ。
『命令? まさか。……これはアドバイスだよ。……助言と思ってくれたらいい』
「だったら、必要ありません」
かぶせる勢いで言い切り、さらに負けないように睨みつける。
なのに、相手は余裕の表情だ。
『本当に……?』
そう言って、私が動けない事を承知で顔を耳元に寄せてくる。
『コネ入社の君が、相手に迷惑をかけるのはどうかと思うな……』
わざと小声で話したその内容に、今度こそ背中が凍り付いた。
……どうして……知ってるの。
採用試験や面接、事前研修まで受けた私が、実は縁故採用であると言う事を知っているのは、ほんの一部の人間だけだ。 ……なのに。 この男の情報収集能力の凄さに、恐怖心が芽生えだす。
過去に入社の仕方がずるいとカオリンに言った私だが、本当にずるいのは自分の方だった。カオリンに入社の経緯を質問しなかったのは、自分が深く聞かれたくなかったからに過ぎない。
自分の卑しさをさらけ出され、羞恥心でどうにかなりそうだった。
それでも、縁故入社で入った社員なんて、この会社には山のようにいる。
開き直るわけじゃないが、脅されるネタになんてなりはしない。……そう自分に言い聞かせ、勇気を奮いたたせた。
「弱味を握ったと……思っているんですか?」
虚勢だとわかっているが、精一杯の抵抗を試みる。
『……心外だな。 アドバイスと言ったじゃないか……』
余裕の笑みで、いとも簡単に払いのけられた。経験値の違いをまざまざと見せつけられる。
そんな打つ手が見つからない私に、相手がとどめを刺してきた。
『それとも……本気で脅されたいのかい?』
浮かべられた冷笑が、脳に直接刻みこまれる。
……オレノ……ジャマヲスルナ。
頭の中で、声が聞こえた気がした。
外はまだ、真夏日が続いているのに……気付けば全身に鳥肌が立っていた。
完敗だった。
『さて……君がマゾヒストじゃない事を願ってるよ』
勝者が笑顔を残して、この場から去って行く。
その間、私は微動だに出来なかった。
『……あっちゃん?』
どれぐらいそうしていたのだろう……。
通話を終えて戻ってきたカオリンに、肩を叩いてもらってようやく正気を取り戻した。
『大丈夫? なんだか顔が青いけど……』
「え、あ、うん。……大丈夫」
ひきつっているだろうが、とにかく笑顔を返す。
それを見て安心したのか、カオリンがキョロキョロと辺りを見回した。
『アレ? 真木部長は?』
その名を聞いて、先程の会話が蘇ってくる。ギュッと握ったこぶしが赤くなった。
「……仕事に戻った」
『え! ……あぁ、そうなんだ』
あきらかにガッカリするカオリンを見ていると、思わず泣きたくなる。
……悔しい。
今ここで、真木部長の正体を明かしても、カオリンは信じてくれないだろう。 それどころか、私が嫌われるかもしれなかった。
……確信犯だ。
あの男は、私がカオリンに何も言えないとわかっていて、わざとその本性を見せてきたのだ。
……悔しい。 すごく悔しい。
なにも出来なかった未熟な自分が、口惜しくて仕方がなかった。
それでも、このままカオリンを見捨てるなんて出来ない。 あの男がどれだけ危険人物であるかを、身をもって知ったのだから。
それに、あんな男の脅しに屈するなんて、絶対に嫌だった。
……なんとかしなくちゃ。
しかし、ここで頭に血を上らせれば、返ってあの男の思うツボだ。
……冷静になろう。
「ねえ、カオリン。 ……真木部長との約束って、いったい何?」
気になっていた事を質問する。 尋問口調はマズイので、自然な感じを装った。
『え? あ、あのね。私が売場で頑張って、出世して、また一緒に仕事しようねって約束したの。……フフフ、待ってるからねって言われちゃった』
照れながら嬉しそうに話すカオリンに、絶望感が押し寄せてきた。
わかってはいたけど、完全に洗脳されている。
……ダメだ! あきらめるな! 友達じゃないか!
取りあえず、はしゃぐカオリンを放置したまま考えた。
あの男の狙いは一体何なのか……。
カオリンに興味があるとは思えない。彼女はPOP室に居てこその人材だ。
そもそも、売場に向かないカオリンをその気にさせて、何の意味があるのだろう?
カオリンには悪いが、はっきり言って足手まといにしかならないように思える。
その時、雷に打たれたかと思うような衝撃が走った。
……それこそが……狙い。
カオリンの上司である平居さんは、真木部長をすごく嫌っていた。 これは、その意趣返しなのかもしれない。
カオリンが失敗すればするほど、平居さんの責任が問われる。しかも、平居さんはカオリンを無下に切ったりできない。……これは、惚れている弱味だ。
そうやって、カオリンを使って平居さんを貶めるつもりなのだろう。
……くぅぅぅぅ、なんて卑怯な手を使う男なんだ。 許せない!
「カオリン! 今すぐ、仕事を辞めちゃって!」
『ええ!?』
思わず口にしたセリフに、カオリンが目を剥いて驚いた。 ……よく考えれば当たり前である。その顔を見て我に返った。
「うわぁぁ! カオリンごめん! 間違えた!!」
これでは、売場にいる礼儀知らずの強者と変わりがない。
『……ひ、ひどいよ。 あっちゃんまで……ひどいよ』
カオリンの目に涙がジワジワ溜まる。
「ち、違うの。 い、今のナシ! 今のはウソだから! ホントごめん!」
……気付けば嘘つきになっていた。……何て失態だ。あの男、絶対許さん!!
こうなったら、徹底的に調べあげて、アイツの化けの皮を剥がす。
都合のいい事に、この秋から人事課へと配置換えされていたので、前より調べやすい環境だ。これは、神様が私に味方しているって事だろう。
……絶対、シッポを掴んでやる。 エセ紳士だって事を証明してやるから!!
「……カオリン、待っててね。 私が絶対に助けてあげるからね」
『……え?』
カオリンのキョトンとした顔も可愛らしかった。
こんな可愛い小動物を、生贄に使おうとする黒紳士に、改めて強い敵意を抱く。
……絶対に負けない!
カオリンの両手をとって握りしめた。ありたけの強い気持ちをその手に送る。
「カオリンも負けちゃダメだよ! 売場で一生懸命頑張って! ……いや、頑張らないほうがいいのか? あれ? どっちだ? ……ああ! もう! わけがわかんないよ!!」
『あ、あっちゃん? どうしたの? 大丈夫?』
頑張れば頑張るほど、ドジを踏みそうなカオリンに頭を抱える。
あの男の思う通りに事が運んでいる気がして、どうにも冷静になれなかった。
「……ごめん、正直混乱してる。……だけど、これだけは言わせて」
カオリンを真っ直ぐに見据える。
「私、どんな事があってもカオリンの友達だから。……カオリンの味方だよ。……信じて」
なぜか再び、カオリンの目に涙が溜まっていく。
『……あっちゃぁぁぁぁん。 大好きぃぃぃぃ!!』
カオリンが私の首に抱きついてきた。締め上げがきつくて非常に苦しい。
何度も言うけど、私にそのケはないからね……。
それでも、私に懐いてきてくれるカオリンを、好きだと思う気持ちにウソはない。
だからこのキズナ。 もっと太くして、アイツに切られないようにしなくては……。
『あっちゃん! 私、今晩、あっちゃんとご飯に行く! 歓迎会には行かない!』
……はぁい?
「だ、ダメだよ! 何、言ってんの。ちゃんと歓迎されて来なさい!」
『だってぇ。 あっちゃんと友情を深めたいんだもん……』
「気持ちは有難いけど……だいたい、カオリンお金ないでしょ?」
『あ! ……忘れてた』
……コラコラ。 ホント、すぐ忘れるんだから。
頭を掻くカオリンに呆れる。
「奢ってもらえるんだから……いっぱい食べておいでよ」
『う、うん! 私、頑張るよ』
……頑張るのはそこじゃないけど。 まあいいか。
どっちにしても、これを機会に平居さんと仲良くなってもらわないと困る。 相手は油断ならない強敵なんだから……。
そう思った途端、歓迎会のワードで引っかかっていた、小さな疑問がすぅっと頭に降りてきた。
……アレ? 平居さんて……たしか。
「ねえ、カオリン。 ……今日、平居さん出張なんだよね?」
『うん。そうだよ』
「歓迎会……今晩なんだよね?」
『うん。そうだよ』
「……ええっと。 あのう……平居さんは遅れてくるの……かな?」
『え? まっさかぁ……』
……ま、まさか。
『平居さんが来れない日にしてもらったんだもん』
……ええ!! マジですか? 本気ですか?
ニッコリ笑うカオリンに、怖くてそれ以上質問できなかった。
読んでくださってありがとうございます。




