第42話 ◆渥見清子 揺れる友情(前編)
さっきからチラチラと視界に入ってくる人影のせいで、集中力がすっかり切れていた。
観葉植物の陰に隠れながら、こちらの様子を伺う人物がいる。
……カオリンこと、藤井香織だ。
総務に用事があるわけではないのだろう。
声も掛けずに、ずっと陰に潜んでこちらを見ているのだ。
……ストーカーか?
横目で見ながら、作っていた書類を一旦保存した。
作業を確認して顔を上げる。目線が合った瞬間、カオリンの顔に笑顔の花が開いた。
それだけでは足りないのか、両手を振って何かをアピールしてくる。
気づいてくれてありがとう! 嬉しさ爆発中です……と表現すべき状態だった。
……はずかしい。
視線を元に戻し、何事もなかったように仕事を続ける。
『あっちゃん。………………あ、あっちゃん』
しばらくすると、小さな声で二度呼ばれた。
顔を向けると、受付カウンターから半分だけ頭を出したカオリンが、泣きそうな目でこちらを見ている。
その姿、まさに座敷わらしだ。
吹き出しそうになったので、慌てて口を手で塞ぐ。
嫌な性格だと自分でわかっているが、やっぱりカオリンをからかうのは楽しい。
……なんか、反応が可愛いんだよね。
苦笑しつつも、ニッコリ笑いかけた。
カオリンの顔から不安が取り除かれ、一気に笑顔が戻る。
(廊下で待ってて)
口パクとジェスチャーで伝えると、カオリンが嬉しそうに外へ出ていく。
私も席を立って、倉田課長のデスクへ行った。
「すみません、課長。 少し休憩を頂いてもいいですか?」
『ん? あぁ、いいよいいよ。どうぞどうぞ』
パソコンとにらめっこしている倉田さんが、簡単に許可をくれる。いつも思うが、ホントに適当だ。
まあ、仕事がやりやすいので、こちらとしては一向に構わないのだが……。
廊下に出ると、カオリンがなぜかモジモジしていた。
「どうしたの? 何かあったの?」
『いや、あの……その……』
相変わらずよくわからない子だ。頭を傾げて、先を促す。
『ちょっとだけ ……あっちゃんの顔が見たくなったの……』
遠慮がちな顔で、そう言われた。私が男なら、メロメロに落ちてしまいそうなセリフだ。
しかし、私は女だ。
しかも、そのケは一切ない。
「……カオリン、気持ちが悪いんだけど」
受け取ったセリフをへし折ると、カオリンが口をあんぐりと開けて固まった。
すぐに我に返って、私の腕をバシバシと叩いてくる。
『ひ、ひどいよ。……あっちゃんひどいよ。友達なのに……ひどいよ』
「ハハハ……ごめんごめん、冗談だよ。 ……お詫びに珈琲、奢ってあげるからさ」
笑いながらカオリンの攻撃を避け、そのまま休憩所に向かう。
ふてくされたカオリンが、後ろからついてきた。
『そんなのいい!……お邪魔したのは私だもん! 私が奢るよ!』
頬を膨らませて怒るカオリンは、女の私から見ても可愛い小動物に見える。
動物好きな平居マネージャーが、カオリンを気に入る事はむしろ必然だと思った。
……ウサギちゃん本人は、迷惑そうだけどね。
しかし、鋭い前歯で噛みつかれ、強力な後ろ脚で蹴られてもなお、なんとかして凶暴ウサギの頭を撫でて可愛がろうとする、平居さんの根性も凄まじい。
愛というものは、恐ろしいものだと思う。
果たして、野生のウサギが飼い馴らされる日は来るのだろうか?
遠い日の奇跡を願ってやまない。
休憩所に入ってすぐ、互いに飲み物を奢ると主張し続けた。話し合った末、結局それぞれが飲みたいものを自分で買うことになる。対等な関係を保つ。……それが友人として長続きする秘訣ではないかと最近よく思う。
「ここで油売ってて、平居さんに怒られないの?」
私がサボるのはいいけれど、総務としてサボりに加担する事はいけない。
大丈夫だと思うが、一応確認をとっておく。
『うん、平気だよ。 今日は平居さん、出張で戻って来ないの』
……なるほど、鬼の居ぬ間に洗濯なんだな。
しかし、異常なほど嬉しそうなカオリンを見ていると、平居さんがなんだか可哀想に思えた。
「まあ、あれだね……上司が居ない日ってなんだか嬉しいもんね」
『うんうん、そうなの。できれば毎日でも出張してくれたらいいのに……』
……それは疎い過ぎだろう。 しかも、店がつぶれる。
苦笑しながらも、本題に入る事にする。
「……で、何があったの?」
珈琲を美味しそうに飲んでいるカオリンに、声をかける。
途端にカオリンの顔に暗い影が差した。
『……うん。じつは、私ね……もしかして、売場に向いてないかもしれないの』
突然の告白に、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。慌てて飲み込む。
……じ、自覚してなかったの?
最初からハンデを乗り越えるつもりで、売場の仕事に挑んだとばかり思っていた。
とにかく、驚いてしまった顔を慌てて元に戻す。
「……ど、どうしてそう思うの……かな?」
“今頃になって”のセリフはもちろん飲み込んでおいた。
『……だって、みんな、みんな、すごいんだよ。福田チーフとかもう、すご過ぎなの……。神ワザ過ぎてマネ出来ないんだもん……』
「そりゃ、10年やってる人に10日うんぬんで追い付こうなんて、虫がよすぎるんじゃない?」
とりあえず、正当な答えを返した。
『それはそうなんだけど……それだけじゃないもん』
「え? 他にもあるの?」
『……太田さんだって』
そう言ったまま口ごもる。
「……太田リーダーも? どうしたの?」
悲しげな顔を上げて、カオリンがじっとこちらを見つめる。
私も口を閉じたまま、じっと待った。
しばらくすると、カオリンがうなだれた。
『接客が、とても上手なの……』
……なるほど。
自分と同じか、もしくはそれ以下と思っていた相手が、思いの外仕事が出来て焦っているわけだ。しかも、見た目がチャラい太田リーダーなだけに、ショックが大きかったのだろう。
「あのねぇ、少なくともリーダー職に就いてるんだから、それなりに仕事ができて当然なの。そんな事、イチイチ気にしてちゃダメだって……」
そう慰めたけど、カオリンはうつむいたままだった。
「カオリン?」
『知らない人にも……辞めろって言われた……うぅ』
えぇ?! ……そんな事言われちゃったの?
売場には、礼儀知らずの強者がいるんだと知って驚いた。
しかし、カオリンはそれだけ周りに迷惑をかけているという事なのだろう。
落ち込んでいる本当の理由がわかったが、正直どう慰めていいかわからなかった。
……実際、向いてないもんな。
言わないけれど、そう思ってしまう。
異動初日に応援すると言った私だが、半分無理じゃないかと心配もしていたのだ。
お金の計算に弱いカオリンを知っているだけに、予想出来た事だ。
「あのさ、まぁ、あれだ。……新人なのだから仕方ないよ」
慰めとして三流なセリフしか出てこない。
果たして、カオリンは落ち込んだままである。……困った。
「……よし! 美味しいものを食べに行こうよ。 こういう時は、食べて元気だそう!」
食べる事が大好きな、カオリンの特効薬だ。抜群の回復力が保障されているはず。
「じゃあさっそく、今晩どう? 私、空いてるよ」
『え?! ……ええっと、今日はダメなの。 4階の人が、私の歓迎会を開いてくれるんだって……』
「え? あ、そうなんだ。 ……そっか。それは出席しないわけにいかないね」
『うん。……ごめんね』
その歓迎会に小さな引っ掛かりを覚えたが、それが何かまではわからなかった。
それでも、歓迎会を開いてくれると言うのだから、カオリンはまだ、大丈夫な気がする。
「いいよいいよ、よかったじゃん。 じゃあ、別の日にしようよ。 いつにする?」
『え?!』
ん? ……思った以上に驚かれた。行きたくないのだろうか?
『……ええっと……あの……そうだね』
考え込むカオリンに、嫌な予感が走る。
『げ、月末は、ど、どうかな?』
……月末? え、まだ、月の半ばだよ。 かなり先になるじゃないか。
「……カオリン。 まさかと思うんだけど……また金欠なんじゃないでしょうね?」
『え? ハハハハ、まさか……そんなわけないですよ……忙しいのですよ、ハハハ』
目線を逸らしながらカオリンが笑う。 ……完全に誤魔化し笑いだ。
「それじゃあ質問するけど……今、冷蔵庫の中の食材、何が入ってる?」
その問いにカオリンが目を剥いた。
『どどどど、どうしてそんな事を聞くのだ? ぷぷぷ、プライバシーの侵害ですぞ! ……そもそも、昨今ではそう言った問題が非常にクローズアップされていて……他人の冷蔵庫の中身を聞くというのはその……』
……やっぱり。 訳の分からない口調で、訳の分からない言い訳を始めたら当たりだ。
「いいから、言ってみ」
『な!……ももももも、もやしが入ってるよ!』
……胸を張って言うな。五十円食材じゃないか。
「……それから?」
『え? から? いや、……あのぉ……そのぉ……あ! マヨネーズも入ってます!』
「調味料じゃん!」
思わずベタなツッコみを入れてしまった。
『で、でも! 山で遭難した時に、マヨネーズさえあれば命が助かるんだよ!!』
……どんだけ、マヨネーズを信頼しているんだ。
「キミ……自宅で遭難する可能性があるのかい?」
『それは……な、無きにしも非ず……かな?』
「ないわ!! 全く無い!! スーパーに行け! コンビニを利用しろ!」
『だって! お金が無いんだもん!! ……あ』
……犯人が、犯行を自供しました。
「だからさぁ! お金は計画的に使いなさいよって、何度も言ってるじゃないか! どうしてカオリンは、お子サマのお小遣い的使い方しかできないのかなぁ……」
そう言って睨みつけると、カオリンが縮こまって、よりコンパクトになった。
「……残金、いくらなの?」
『……五百円』
「はあぁ? ワンコインって……お給料日まで、まだ1週間もあるのよ? どうすんの?」
想像以上の少額に、呆れるよりも心配になった。
カオリンが悲壮な顔をして、自分のお財布を取り出す。
そんな顔で中をのぞいたって、中身が増えるわけじゃあるまい。……どうすんだよ。
『うわぁぁ!』
突然叫んだカオリンに驚く。 ……どうした!?
『あっちゃん、どうしよう!! 今、珈琲を買ったから、四百円になっちゃった!!』
……マジでバカぁ! ホントに脳ミソ腐ってるだろ!
泣きながら訴えてくるカオリンに、思わず暴言を吐いてしまいそうになる。
「その状況で、よく、他人に奢るとか言えるよね……」
『……だ、だって』
「だってじゃない!! 反省しろ!!」
すみませんでした……とつぶやいて、さらにカオリンが小さくなった。
開いたままのガマ口に、そっと百円玉を落とす。
『え……あっちゃん?』
「今日は最初から奢るつもりだったから……素直に受け取っておきなさい」
『あ……ありがとう、あっちゃん』
そんなうるうるした目で言われると、もっと入れたくなるから困る。
しかし、教育上よくないのでグッと我慢した。
「だけど……お給料日まで、どうするつもりなの?」
心配なのでとりあえず尋ねる。
『うーん。……どうしようもなくなったら……実家に帰る』
それを聞いて安心した。本人は頭を抱えているが、それが一番いい。
カオリンの実家は会社から遠い。だけど、通えない距離ではない。
通勤に時間がかかるけど、苦労した分、ちゃんと反省できるだろう。
『私……こういう所がダメなのかな』
……その通りだ。とは言えないので黙っておく。
本人が思った以上に落ち込んでいるからだ。
それより、何か甘い物でも持って来るんだったとひどく後悔する。
こんな時に元気づけられないなんて、友達として失格だと思うからだ。
萎れたカオリンの横で、なぜか一緒に落ち込んでしまった。
読んでくださってありがとうございます。




