第40話 ◆水島由紀 職場に渦巻く嫉妬と野望
目の前で不審な動きをする人物に、声をかけるかどうか悩んでいた。
もう少し、このまま観察していたい気もするが就業時間中だ。
コソコソと何かを覗いている女の肩に手をかける。
ビクッと跳ねた肩の持ち主は、慌てたように振り返った。
『ゆ、由紀リー』
「仕事中に何やってんの? 遊んでちゃ……」
注意の途中で口を塞がれた。
『シッ! 静かにして!』
なぜか小声で怒られる。
同僚が再び身を屈め、その先を観察し始めた。
気になったので、彼女の背後から私も様子を伺う。
すると、平居マネージャーの背中が遠くに見えた。
その前方にマツゲも見える。……朝礼で大爆笑を巻き起こしたあの女だ。
二人きりで何を話しているのだろう。
平居さんの表情はこちらから見えないが、マツゲの様子は目まぐるしく変化していた。
喜んだり、落胆したり、張り切ったり……。
会話は聞こえないが、傍から見ると何だか楽しそうに見える。
『あの女……。平居マネージャーに媚売ってるんだよ。……超ムカツク』
下方からアルト音域のつぶやきが聞こえてきた。
同僚がかなり怒っている様子だ。
「彼女も慣れない部署で必死なんじゃない?」
意味は無いが、マツゲを庇ってみた。
『はあ? 向いてないんだから、さっさと辞めればいいのに……』
なかなか辛辣な事をさらりと言う。敵対心丸出しだ。
「そんな事、言わないの。……彼女、同期なんだから」
『え? マジで?』
「うん。総務の渥見が教えてくれた」
『トラ子が? ……だけど、見たこと無いじゃん。あんな顔』
「覚えてない? 入社式に突然現れた、ナゾの……」
『あ、座敷わらし! ええぇ! マジで?! 実在してたの?! ちょーウケるんですけど』
私もかなり笑った。ドコに隠れてたんだって感じだ。
『だけど……うわぁぁ……マジで? 私、座敷わらしに負けたって事? それはそれで、ちょーショックなんですけど』
……たしかに。 座敷わらしなんて、一番負けたくない相手だろう。
先程から小声でやり取りしている同期の工藤沙希は、入社以来ずっと3階のミセス服を担当している。しかし、彼女の配属希望は、入社時からずっと4階だった。
……そう、私が担当しているヤングカジュアル服だ。
同期として、あるいはヤング服担当のリーダーとして、彼女の相談に乗る事も多い私だが、もちろん人事に口を出せる立場ではない。
希望がなかなか通らない彼女は、あれやこれやと画策して、何とか4階の担当になろうと必死だった。今回、堂島主任が事故で抜けた穴を、いち早く彼女が狙ったのは言うまでもない。
ところが、その穴に入ったのが自分ではなく、ドコのダレだかわからないド素人だったものだから、工藤はここしばらく憤懣やる方ない思いでいた。
そして、その我慢がとうとう限界に達し、ド素人がどんなヤツなのか、思わず偵察に出向いてしまったという流れだろう。
また間の悪い事に、その相手がフロアー長に媚を売っているところを目撃したものだから、こうやって腹を立てるのは当然の流れだった。多少ながら、同情を覚えてしまう。
しかし、こうなるといくら相手が同期だと説得しても、工藤の敵対心が和らぐとは思えなかった。
『マジで……絶対つぶしてやる』
……やっぱり。
これは厄介な事になりそうだと、心の内でため息をついた。
『あれ? ……こんな所で、何をしてるの?』
気づけば真後ろに平居マネージャーが立っていた。
……い、いつの間に。
「お、お疲れ様です!」
工藤と二人、慌てて頭を下げて挨拶する。
『はい。お疲れサマ』
ニッコリ笑ったその笑顔は、やはり見とれる程に美しかった。
三十を過ぎてもなお、王子と言われる所以だ。
『あ、工藤さん。この前のヤング服の応援ありがとう。……すごく助かったよ』
タイムセールを担当していた社員が病欠した件だ。急遽私が担当を替わり、補助役で工藤に助けてもらっていた。ここで点数稼ぎだと言わんばかりに、前のめりで頑張っていた工藤の姿を思い出す。
『あ、ありがとうございます! 必要でしたらいつでも声を掛けてください! 飛んで行きますから!』
……御用聞きか。
『……ハハハ、頼もしいな。ありがとう、当てにしてるよ』
工藤の頭がポンポンと叩かれた。その下の顔がすぐさま赤く染まる。
『あ、ホントに……ホントに何でもします! 私、頑張ります!』
……自分も媚を売ってるじゃないか。
そう思うが指摘するつもりはない。
誰もが自分の居場所を手に入れる為に必死なのだ。
軽く頷いた平居マネージャーが、急にこちらを向く。
びっくりして背中がピンと伸びた。
『……水島。小森のところに行って、商品リストの変更を手伝って来てくれないか?』
……商品リスト? ……まさか。
『11月のDM……メインはいいけど、後は見直しかけたから』
そのチラシ掲載商品を選んだのは自分だった。 気合いを入れて作ったリストなだけに、相当ヘコむ。
『ほら、落ち込んでるヒマなんてないよ。急いでね』
笑顔のまま肩をポンと軽く叩かれ、平居マネージャーが階段を下りて行った。
そのままガクリとうなだれてしまう。その横で工藤が呟いた。
『……いいな、由紀リーは』
……は? どこがいいの? 怒られたんだよ。
怪訝な顔で応えたら、工藤が羨ましげな顔でため息をついた。
『ねえ、知ってる? 平居マネージャーって、信頼してる人しか呼び捨てにしないんだって……』
「そんな事……」
ないでしょ。……と答えようとしたが、ふと考える。
そう言えば、小森主任も田辺さんも呼び捨てだ。 そうだとしたら、私は信頼されているのだろうか……。
いやいや、違う。 ……太田だって呼び捨てだ。信頼してる相手だとはとても思えない。 それによく考えたら、マツゲだって呼び捨てている。
「単に、言いやすい相手なんでしょ。……仕事と関係ないよ」
『だけどさぁ……それって、親しい間柄って事じゃん。……いいなぁ。私も呼び捨てられたーい』
もはや、工藤が何を望んでいるのかわからなかった。 恋人の地位でも狙っているのだろうか?
悪い事は言わない。それだけはやめた方がいい。そんな事になれば、社内の大多数の女を敵に回す事になる。
『あ、あ、あ、あの……』
声がしたので振り向くと、マツゲが立っていた。
……い、いつの間に。
『す、すみません。……そこを通ってもいいですか?』
そう言われて、初めて気がついた。
工藤と二人で、通路を塞いでいたのだ。
「あ、ごめんね。……どうぞ」
脇によけて、通路を空ける。 低い頭をより下げながら、マツゲが通り過ぎていく。
その瞬間、工藤が口を開いた。
『ねえ、ちょっとアンタ……』
棘のある、鋭利な声だ。
その鋭さに、ビクりと振り返るマツゲ。怯えた目が小動物のようだ。
『あのさぁ……はっきり言うけど。……アンタ迷惑だから、辞めてくんない? 小さいくせにチョー目障りなんだわ』
「く、工藤!」
……いくらなんでも、はっきり言い過ぎだ。 しかも、身体的な事なんて言っちゃダメだから。
慌てて工藤の肩を引いて後ろに下げた。
言われたマツゲはポカンとしたままだ。
『えぇ?! あ、わ、私ですか? あの、す、すみません、あの……』
よく知らない人間に、いきなりそんな事を言われれば誰だって混乱する。
まさに、マツゲは状況が理解できてない感じで、より一層オドオドした。
『あ、藤井!』
突然聞こえた大きな声に振り向くと、どこからともなく太田が現れた。
この場の空気に全くそぐわない笑顔で、こちらに向かってくる。
『お前!スゴイな!! ホント、マジびっくりだぜ!!』
相変わらず意味がわからない事しか言わない男だった。
背中をバシバシとたたかれているマツゲも、そんな太田に戸惑っている。
『慎吾ちゃん、どうしたの?』
途中で邪魔に入った面倒な男と言いたげな感じで、工藤が問いただした。
『いや、俺さ、マジ、奇跡の瞬間に立ち会っちゃったわけ。凄くない?』
的を得ないチャラ話を続ける太田に、イライラが限界に達する。
そのまま睨みつけてやると
『な、なんだよ……。デケぇ女に言ってねーよ』
悪態をつかれた。思わず舌打ちしそうになる。
……デカくて悪かったわね。
たしかに、170cmある私の身長は、太田より若干高かった。
目線が上になるのが嫌なのか、目が合うたびに舌打ちされる。
『もう! ケンカはいいから! 何がすごいの?』
工藤もイライラしたのか、睨み合う視線の間に入り、太田を促した。
『いや、ついさっき4階の事務所にコモリンと福ちゃんが居たわけ……』
……また揉め事か。 ホントにあの二人は仲が悪い。
『ケンカしてんのかなって思ったんだけどさ、びっくり! 親密な感じで相談し合ってんの』
……相談?!
聞き手の3人とも、目を剥いて驚いた。
『慎吾ちゃん、寝ぼけてたんじゃないの?』
工藤の言う通りだ。 ……あの二人が親密に話し合うなんてありえない。
『いや、マジだって! 俺もビビッてこっそり聞き耳立てたんだよ。 そしたら、何と! 藤井の指導について、これから協力しましょうって……マジ、そんな事ある? これ、奇跡じゃん!』
それが本当なら、まさに奇跡だ。 天変地異だろうか?
『藤井、お前、ミッション完了だよ。すげーじゃん!』
肩をたたかれたマツゲが、後頭部をかいて照れている。
……いや、マツゲ。 褒めてないから。 よく考えて……。 それってつまり
『……お前、よっぽど仕事できないんだな。 アハハハ』
……そういう事だ。
不覚にも、太田の台詞に思い切り頷いてしまう。
しかし、結論は変えられない。二人が組まないと対応できないなんて、よっぽどこの女は仕事ができないのだろう。
褒められていない事に気がついたマツゲが青ざめていく。……ちょっと可愛そうになった。
『ぶ!』
しかし、容赦もなく吹き出したのは工藤だ。
『……やっぱ、マジで迷惑なんですけど』
本当に容赦がない。それを聞いたマツゲが泣きそうな顔になる。
『……ところで藤井。あと5分で2時だけど』
『え?……あ、はい。……2時です』
太田の指摘に、マツゲが自分の腕時計で時間を確認する。
『いや、あのさ……商品発注した? 締切り2時までだろ? 商品切らしたら、福ちゃん、マジでブチ切れるぞ……』
その太田の台詞に、すでに青かったマツゲの顔が真っ青に変わる。
『ぎゃぁぁぁぁ!!! ウソだぁぁぁぁ!!!』
そう叫びながら、マツゲが走り去って行った。
……あれは、ダメだ。 本当にダメだ。
『そんな訳で……沙希ぴょん。あんなヤツ、相手にするだけ時間の無駄だよん』
おどけた様子で太田が工藤にすり寄る。
自分の好みの女に対しては、いつもこんな感じだ。
『そんな事言ってぇー。 慎吾ちゃん、全然協力してくんないじゃん」』
頬を膨らませる工藤は、たしかに社内ではアイドル的な可愛い女性の立ち位置にいた。太田のアピールに、まんざらでもないように見える。
『してるしてるぅ! コモリンに、もぉーのすごく! プッシュしてるってばぁ』
『ホントぉ?』
『ほんとほんと! チョーいい感じ過ぎて、俺マジ、歓迎会の準備までしちゃってるもん』
『やだぁー。気が早―い』
アハハと笑う二人。……ちなみに、太田が幹事を担当しているのは、マツゲの歓迎会だ。 ホントに、適当加減が露骨すぎて嫌になってくる。
付き合いきれないので、二人を置いて4階の事務所に向かう。
これから手伝うリストの見直しを思うと、足取りが重くなった。
……あぁ……小森主任に顔向けできない。
せっかく担当を任せてもらえたのに、主任の役に立ててない自分が、歯がゆくて仕方なかった。 仕事ができないマツゲでさえ、主任の悩みを解消しているというのに……。
それにしても、どうして福田チーフは、犬猿の仲である小森主任に相談を持ち掛けたのだろうか……。 解けない謎が、頭の中をループする。しかし、突然それが遮断された。
『おーい、デカ島!』
私をそう呼ぶのは、太田だけだ。
後ろを振り返って相手を睨みつける。
『小森主任がセール商材、見直してたぞぉ……手伝わなくてもいいのかぁ?』
……うるさい!! 今から行くわよ!!
口の端を片側だけ上げ、相手がニヤリと笑う。
太田はそうやって、いつも私の失敗を指摘して笑うのだ。 性格がひん曲がってて、最低な男だ。
……その顔、むかつくのよ!!
いつか見返してやるから! 覚えてろ! そう思って毎日奮闘しているのだが、残念ながら未だにその日が来たことがない。
年下で後輩なのに、リーダーになったのは太田の方が先だった。
最初は、相手が男だから仕方がないと気にも留めなかったが、最近そうじゃないかもしれないと危機感が募るようになっていた。
自分の仕事の成果が見えなくなっていたからだ。
それでも、実力の差だなんて認めたくない。
いや、あんなチャラい男より劣っているなんて……絶対に認めない。
頑張らなくちゃ……。
とにかく、小森主任に認めてもらわない限り、何も始まらないのだ。
黒い笑みを浮かべ続ける太田に、真っ直ぐ向き直る。
怒りを抑え、わざと微笑みを返した。
「太田リーダー。 企画書のやり直し……手伝えなくなってごめんなさいね」
余裕だった太田の笑みが、一瞬で凍り付いた。
『ええ!! 慎吾ちゃん、また企画書通らなかったのぉ?』
……ダメ押しナイス! グッジョブ、工藤!
彼女の見下すような眼差しに、太田が慌てふためいた。
『ち、ちげぇーよ。 平居さんが、無理難題言ってくるから! 俺は…… ってか、オマエに手伝ってもらう気なんて、はなからねーよ! って、おい、コラ! 待てよ!!』
太田の言い訳を聞き流し、踵を返して事務所に向かう。
……絶対、この男より先に主任になってやる。
改めて、自分に言い聞かせた。
読んでくださってありがとうございます。




