第39話 ☆平居郁人 コビトも俺も、危機的状況
……こういうところが、素直で可愛いんだよな。
たかが名刺で無邪気に喜んでいる藤井を見ていると、微笑ましい気分になる。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
目の前で浮かれているコビトは今、岐路に立たされているのだ。
本人にその自覚がまったくないようなので、正直困っている。
……仕方ない。言っておくか。
その笑顔を壊すのは忍びなかったが、居なくなられても困るのだ。
心を鬼にして、藤井と向き合う。
「それと、その名刺に恥じないよう、もうちょっとだけ仕事を頑張ってください」
とは言っても、笑みを絶やさないように注意しながら声を掛けた。
ヘコませるだけなら意味がないからだ。
……頼む! ホントにがんばってくれ。
こんな風に部下に懇願するようではお終いなのだが、どうにもお願いせずには居られなかった。その理由は、先程行っていた福田チーフとの面談にある。
正午を過ぎた頃に、福田さんがひとりで事務所を訪れてきたのだが、神妙な顔つきで藤井の指導について相談したいと言われてしまった。
正直、マズイと思った。
小森の「藤井報告」が日増しに酷くなる中、このままだと福田さんが『指導係りを辞めたい』と言いだすんじゃないか……そう、心配していた矢先の事だったからだ。
予想していたとは言え、指導係りを途中で投げ出すなど、これまでの福田さんなら考えられない事態だ。よっぽどの状況に頭を抱えたくなる。
しかも驚くことに、俺が心配した予測は全く持って甘かった。
まず、福田さんが話し始めた経過報告は、思った通り良くない事が多く……いやもう、はっきり言って、たかが10日足らずの初回報告で、すでに藤井は壊滅的状況だった。
つまり、福田さんは『指導したくない』ではなく、『指導できる相手じゃない』と訴えてきた事になる。この状況では、福田さんをなだめて説得する事も出来ない。
……藤井香織。 オマエはいつだって、俺の予想範囲を軽々と超えて行くよな……。
自分の予測能力が低いのか……。それとも、藤井の才が逸脱し過ぎているのか……。考えるだけ虚しかった。
とにかく福田さんの話をまとめると、 藤井は売場に全く向いていないとしか言えなかった。コビトのこの危機的状況に、俺は頭を抱え込む。
山のように問題はあったが、一番の問題点は数字に弱い事だ。いや、弱いなどと言うレベルではない。藤井は近年稀に見る数字アレルギーの持ち主だったのだ。
計算が苦手なのはもちろんの事、とにかく数字自体を拒絶しているらしい。商品の値段や品番が覚えられないという事も困るのだが、それ以上にお金の感覚があいまいという事が、販売員として致命的欠陥だった。これまで藤井が叩き出していたレジでの驚異的違算額が、何よりもそれを物語っている。
……ここまでよく、生きてこれたな。
別の意味で、感心してしまいそうになる。
『至らない事ばかりで……申し訳ありません』
福田さんのそんな弱々しい声を聞くと、こちらこそ申し訳なく思う。
基本、福田さんは弱音を吐くような人ではないからだ。
……要らぬ苦労を掛けているんだよな。
このままでは、福田チーフの通常業務にまで支障がでてくる。これは決断を下すべき事案だと判断する。
「福田さん……藤井は私が預かります。指導係りから一旦外れてもらえますか?」
その提案に、なぜかチーフが目を剥いた。
『……それはやはり、私では指導係りが務まらないというご判断でしょうか?』
福田チーフの声が震えていた。
どうも、自分の指導力不足を指摘されたと誤解したようだ。
「いえ、決してそういう事では……。チーフの指導力を疑っている訳ではありません。ただ、藤井の事例は余りに極端ですので、他の対処方法も考えるべきだと……」
『つまり、4階から異動させると言う事……ですか……?』
「まあ、それも視野に入れて……」
言い終わらない内に、福田さんが立ち上がって俺を睨みつけてきた。
いつもの福田さんでは考えられない態度に、こちらが驚き戸惑う。
『これは、私の指導力不足が原因です! 藤井さんの責任ではありません!!』
……え? いや、そんな訳ないでしょ。
思わず、そうツッコミたくなったが、慌てて飲み込んだ。
福田さんに問題が無いことは一目瞭然だ。そもそも、福田チーフに指導出来ない新人を、他の誰に任せられると言うのだ。
ため息をつく俺に、福田さんがさらに上から圧を掛けてくる
『たしかに、今の藤井さんは売場に向いていません。だけど、切り捨てるには勿体無い人材だと思います。いえ、私がそう言わせる社員にします!絶対にします!』
「ふ、福田さん?」
……な、何がどうしてそうなったんですか?
余りの熱意に、こちらが引いてしまう。
『お願いします! 指導係りを続けさせて下さい。私が何とかします。責任は私が取りますから!』
頭を深く下げてくるチーフ。
しかし、最後の台詞は聞き捨てならなかった。部下に責任を押し付けるような、ダメ上司に成り下がるつもりはなかったからだ。
「とりあえず、座ってもらえませんか……」
一旦落ち着いてもらう為に、ソファーを勧める。熱くなった事に恥ずかしくなったのか、福田さんが俯いたまま腰掛けた。
にしても、藤井にとってピンチな状況に変わりはない。
福田さんにこのまま任せるにしても、指導方法を迷っている状態だ。今のままでは、福田さんの指導者としての負担が大きすぎる。いつ破綻してもおかしくない。
責任者として、この現状を見過ごすわけにいかなかった。
……どうするかな。
考え込んでいると、福田さんの顔が不安な色に染まっていく。よっぽど藤井を気に入っているのだろう。不思議に思うが、そこは嬉しい限りだ。
……ん? 待てよ。 このピンチ……最大のチャンスかもしれない。
思わぬひらめきが舞い降りてきた。
すぐさま、福田チーフに向かい合う。
「福田さん。このまま藤井の指導員を続けてもらう為に、約束して頂きたい事がいくつかあります」
『……え?! あ、はい! なんでしょうか』
「ムリは絶対にしない事。何かあったらすぐに報告して頂く事」
前向きな意見を述べたせいか、福田さんの顔が明るくなった。
「そして、起こった責任は私が取ります。 ……ここまでいいですか?」
『あ、……あの……申し訳ありません。 私、大変失礼な事を言いました』
もう一度、深く頭を下げられた。
さすがに10年もこの仕事に就いてる方だ。こちらがあれこれ言わなくても、礼儀をちゃんと重んじてくれる。
「いえ、藤井の事を思っての事だとわかっていますから……」
そう、藤井は見捨てられても仕方のない人物なのだ。その点については、こちらが礼を言わなければならない。
「そしてもう一つ、指導について条件があります」
間を空けずに畳み掛けた。今思いついた事を提案する。
すると思った通り、話を聞いた福田さんが苦い顔をして戸惑った。だが、悪い反応じゃない。そのまま最後のひと押しをかける。
「ダメなら、私が藤井を引き取りますが……」
『いや、ま、待ってください! ……それは』
福田さんが悔しさを滲ませ、最後の承諾に二の足を踏んだ。そんな相手に、こちらは敢えて嫌味な笑顔を浮べる。
「どうします? ……辞退されますか?」
悪い上司になる事も、時には必要だろう。
『……わかりました。 相談してみます』
降参ですと言いたげな表情で、チーフから承諾の返事をもらう。
礼を返すと、ちょっとふくれた顔で軽く睨まれた。そこは、まあ、軽く受け流しておく。
これから先の苦労を思い、チーフに向けて改めて頭を深く下げた。
「藤井の事、よろしくお願いします」
☆―☆―☆
『はい! 頑張ります!』
そんな俺や福田さんの気苦労など、これっぽっちも理解していない藤井が、俺の願いに対し明るい返事を返してきた。
……うーん。 返事は一人前なんだけどな。
それでも、急に気落ちしたように俯いた彼女は、少し顔色が悪かった。そう、これも心配していた事のひとつだった。
福田さんが指導に力を入れてくれる分、ついて行く藤井も必死に違いないのだ。頑張ってもらわなければならないけれど、決して無理はいけない。そのバランスが非常に難しかった。
「藤井?」
『あのう……もう、仕事に戻っていいですか?』
心配して声を掛けたが、思わぬ反発を受けた。
「え? あ、待って。 いや、その……」
福田さんから事情は聞いたものの、出来れば本人からも聞いておきたい。それに合わせて、アドバイスのひとつぐらい出してやりたかった。
「……なんか、困った事とか無い?」
『は?』
なのに、反応が鈍い。
こういうところは素直じゃない。……まったく。
「ほら、始めに言っただろ? 何でも相談しろって。 困った事じゃなくても、悩みとか、質問とか……いっぱいあるだろ?」
こちらが催促しても、藤井は口ごもったままだ。出来ない自分が恥ずかしいのだろうか? もはや、そんな事を言ってる場合じゃないだろう。
「何でもいいよ。 ほら、言ってみて」
そう優しく促したが、まだ戸惑っている。
仕方がないので、手を広げて受けとめる体制を作ってみせた。
……大丈夫、どんな悩みでも受けとめてやるから。 言ってみろ。
『……何でもいいんですか?』
「ん? ああ、構わないよ。 遠慮はいらない」
少し迷った様子を見せたあと、覚悟をきめたように藤井が顔を上げた。
『平居さん、最近、彼女が出来たって本当ですか?』
「……え? ……はぁ?! なななな、何の話だ?」
スゴい方向から思ってもみない矢が飛んできたので、とんでもなくうろたえてしまった。
『何でもいいっておっしゃったので……』
「ば、オマエ、そんな事、仕事に関係ないだろ!!」
オマエの悩みを聞いているんだ! 俺の事を聞いてどうする!!
『……すいませんでした』
一礼して、藤井が踵を返す。
……え? 他に無いの? ちょ、ちょ、ちょっと
「な! お、オイ!! 待て」
慌てて呼び止める。 振り返った藤井は不審な顔つきだ。
……いや、もっと他にあるだろ! 大事な事が! って、いうか
「な、なんでそんな事……聞くん…だ…よ」
台詞の途中で急激に恥ずかしくなってきた。このテの話は苦手なのだ。
『気になるので聞きました。 すみませんでした』
慇懃無礼な謝罪をし、藤井が反転して歩き出そうとする。
「ま、待てって!」
肩をつかんで、こちらを向かせた。 顔をあげた藤井と目線が合う。逸らすに逸らせない状況になってしまった。
……どどど、どうしよう。 えーい!
「そんなに、俺のことが気になるのか?」
『へ? ……あ、はい』
素直にそう答える藤井に唖然とした。
この状況を考察してみる。
つまり、それは、……そういう事だよな。
POP室にいる頃から、もしかして……などと危惧するところはいくつもあった。それでも、何となく気づかないフリをして、ここまで誤魔化してきたのだ。
しかし、これは、その、あの……藤井の意思表示だと受けとめるべきなのだろうか?
いやいや、困る。それは困る。 なんでも受けとめるって言ったけど、これは別の話だ!
ここはウソをついてでも、藤井に諦めてもらうべきか?
いや、ダメだろ。 そんなウソ、すぐにバレるぞ。……要らぬ誤解なんて絶対受けたくない。
……仕方ない。とにかくここは、正直に答えて相手の出方を見る事にしよう。
「……いない」
『は?』
いや、あのさ……。俺に興味があるのなら、一度で聞いてくれよ。 か、かなり恥ずかしいんだぞ。
「いや、彼女なんて……いないから」
そう言いながらも、顔が熱くなったので思わず横をむいてしまう。チラリと目線だけ藤井に戻すと、神妙な顔で何かを考え込んでいた。
え、まさか……お前、何を考えてるんだ!! ここで告白とか、そ、そんなのダメだぞ。職場だぞ!
しかも、俺はお前の上司じゃないか! 上司と部下の領域を超えようなんて、考えちゃいけない。ダメだぞ! ……イケナイ事なんだぞ!!
さらに真剣な表情で思い悩む藤井に、よからぬものを感じとってしまう。
……だぁぁぁ! マズイぞ!! どうにかして、この危機を回避しないとヤバイぞ!!
どうする? 言われる前に、藤井の口を塞いでしまうか? いやいや、それはどう考えてもセクハラ行為だろ……。 この前みたいに、腹を殴られるのは勘弁してほしい。
とか言って、何も思いつかないし!! ……あぁぁぁ!!
『あの……平居さんは、付き合うなら年上と年下と、どっちがいいですか?』
プチパニックな俺をあざ笑うかのように、藤井が平然と別の質問を切り込んできた。
「ええ?! な、ど、どっちとかないよ。 っていうか、そんな事聞いてどうするの?」
とりあえず、告白じゃない事にホッとするが、質問の内容が危険なラインである事に変わりはない。
『えーっと。平居さんが、どんな女性を好きになるのか……とっても知りたいんです』
……マジか。 そんな事まで知りたいのか。
目の前のコビトが、肉食系女子だとは思わなかった。
押しの強さにびっくりする。
しかし、そんな可愛い声で『知りたい』なんて懇願されたら……俺。
しかも、そんな可愛い目でじっと見つめられたら……俺。
「……二択なら、年下が……いい」
って、答えちゃってるし……。 なにやってんだよ、俺。 自分に対して、余りにもがっかりだぞ。 しっかりしろよ!
自分に罵倒してみるが、目の前で喜ぶ藤井を見ると、なぜか嬉しくなる。
『じゃあ、小森主任とか ……タイプですか?』
さらに唐突な質問に動揺する。
「はぁ? なんで小森が出て来るんだよ!!」
マズイ、藤井が誤解している。
よく勘違いされるが、小森とは本当に同僚以外の何でもない。何て説明すれば誤解が解けるだろう? 藤井に変に疑われたくはなかった。
そんな事を必死に考えていると
『なんていうか、オッパイ好きかと……』
オッ$☆%??!!
「ば! 俺は変態じゃない!!」
思わず怒鳴っていた。 そんな風に思われていたなんて……ショックである。
俺は胸なんてホントに興味がない。なんなら、まな板だっていいぐらいだ。
それより、もっと大事な……って、え? いやいや、俺の好みなんてどうだっていいんだよ!
……ちょっと待ってくれ。 なんでこんなハナシになってんだ?!
自分の置かれている状況に混乱する。 俺はただ、藤井の相談に乗りたかっただけのハズ……。 おかしい。
『あの……18歳とか、どうですか?』
……はあ?
どうやっても、俺をド変態に仕立てあげたい藤井の言動に、怒りが心底湧いてくる。
「……犯罪だぞ。ソレ」
それでも、どうにか怒りを抑えてそう答えた。
だいたい、ハタチ以下なんて対象外もいいとこだ! 俺は小柄な女性が好きなだけで、決してロリコンなわけじゃない!
そう、例えば、例えばだけど……目の前にいるお前……みたいな感じ? そ、そういう……小さい女性が可愛いなぁ……と思うだけだ。
『あの、私とか……範囲内ですか?』
は?
『こう見えて25歳です!』
思わず ギョ!となる。
マズイ! え? 今、俺……声に出してたのか?
わぁぁぁ!! 違うんだ。 例えば! 例えばのハナシなんだよ!!
決して、お前を好きだと言ったわけじゃない!! お、お前は部下だ。 あくまで部下だ!
言い訳を必死に考えるも、頭の中が真っ白になった。 口だけがパクパク動いて、池の鯉になってしまう。
そんな状況に俺が陥っていると、藤井の顔が段々喜びの顔に変わっていく。
……いや、ち、違うんだ。 お、オマエ、すごく勘違いしてるから!
そう思う頃には、藤井の顔に満面の笑みが広がっていた。今にも踊りだしそうな勢いで喜んでいる。
……違う、違うんだ!! どどど、どうしよう。
動揺している俺にトドメの一撃が刺された。
それは、かつて見たこともない、藤井の最高級スマイルだった。その脅威的な可愛さに、脳ミソが爆発しそうになる。ここが社内じゃなかったら、俺は多分、藤井を抱きしめていただろう。
……しゃ、社内でよかった。
辛うじて、自尊心が働く。
俺はまず、悪魔がもたらす天使の笑顔から、顔を背けた。あれにやられてしまっては、二度と立ち直れない。 そのまま、藤井の恋する気持ちを迎え入れてしまうだろう。
……ダメだ! それはダメだ! ……俺はあの時、誓ったんだ。
「藤井、ごめん。 俺、社内恋愛はしないって決めてるから……」
俺の突然の台詞に、藤井はただ呆然としている。
その内ゆっくりと、その顔が泣きそうな表情に変化していった。
……あぁ、すまない。 俺、藤井を傷つけてるんだな。
ものすごく落ち込んだ気持ちに襲われた。
「ホントにごめん……」
だけど、謝る事しかできない。 俺には彼女を作る資格なんてないんだ。 藤井の気持ちに触れただけで、浮かれてしまった自分を酷く後悔する。
……ホントにごめん。
『……だ、大丈夫です』
心の謝罪に答えるかのように、藤井がムリした笑顔をみせてくる。
『こちらこそ、すいませんでした。ちょっと浮かれ過ぎました。 私らしく、地道に頑張る事にします』
……あぁ、なんて健気なんだ。 そんな風に頑張られたら、俺、お前の事を好きになっちゃうじゃないか。 や、やめてくれ。 ……俺はもう、社内で恋人は作らないって決めているんだ。
なのに、またもや天使の笑顔を向けられる。
……うぉぉぉ! だから! 俺を惑わせないでくれ!!
悶絶寸前になり、慌てて視線を外した。 そんな不甲斐ない自分に問いかける。
俺はこの小さな悪魔を、部下としてちゃんと育てられるのだろうか……。
社内恋愛撲滅委員長としての、最大の危機が訪れていた。
読んでくださってありがとうございます。




