第38話 ♪藤井香織 私は探偵に向いている
……神様、どうか違算がありませんように。
レジ応援を終えて、心から祈った。 可能性は半々だ。 今日も少々バタついてしまった。
しかも、清算業務責任者の江本主任に何度も睨まれている。その度に緊張が増すので、できれば止めてほしい。
背中を丸くしながら部署に戻る。
この後は、発注作業をする予定だ。2時までにFAXを送らなければ、明日の納品に間に合わない。売場を通って在庫場に急ぐ。
なのに突然、足がピタッと止まった。前方12メートル先に不穏な人影を発見したからだ。
すばやく棚の陰に潜み、息を殺す。……待つこと1分。 そっと棚から顔を出し、前を確認した。
……お、いなくなった。
殺していた息を吹き返し、安堵のため息をつく。
『なにをしているんだ?』
その声に、瞬時に身体が凍りついた。
『体調が悪いのか?』
あぁぁぁ、……見つかってしまった。
「だ、大丈夫です」
引きつった笑顔を見せながら、ゆっくり立ち上がる。
振り返った視線の先に、いなくなったはずの天狗が不安げな顔で立っていた。
……不覚。 いつの間に背後を取られたんだろう。 アンタ忍者なのか?
後ずさりしながら、その場を立ち去ろうと試みる。
『おい、待て』
肩をつかまれた。 もう、この人から逃げるのは一生無理な気がする。
『お前を探してたんだよ』
ナニ?……できれば、探さないでくれ。 そう言いたいが無理な話だ。
「……はい。……あのう……今日は、何について怒られるんでしょうか?」
観念してうな垂れた。この10日、天狗と顔を合わせる度に、何かしら怒られた。
自分がこんなに出来ない人間だなんて、思い知らされたのは初めてだ。逆に天狗に申し訳なく思う事すらある。こんな部下を持ったアンタは災難だろうな……。
『オマエな……。その最初から怒られると思ってる姿勢自体がよくないんじゃないか? もっと、自信を持って行動しな……いや、待て。俺は別に説教しに来たわけじゃない』
……ん? では何をしに?
うな垂れた頭を上げると、『こっちにきて』と言いながら、天狗がバックヤードに戻って行くのが見えた。慌ててその後について行く。
『これ、さっき総務から届いた。……確認して』
そう言って、バックヤードの片隅で渡された物は、手の平サイズのプラケースだった。
受け取ってフタを開けると、いきなり自分の名前が目に飛び込んでくる。
あ……名刺だ。 わぁ……私の名前が印刷されてる!!
これまで内勤だったので、名刺は必要なかった。つまり、これが人生初の名刺になる。
白地に黒文字。至ってシンプルなデザインだ。
それでも、明朝体で印刷された「藤井香織」の文字に、震えるほど感動してしまった。
……名刺だ。 名刺だ!! 名刺だぁぁぁ!! すごいぞ!! 私、これから名刺を持つんだ!!
意味もわからず、嬉しくなった。 危うく泣きそうになる。
『間違いはないか?』
平居マネージャーの問いに、慌てて確認を行う。
「……あ、ありません。 大丈夫です!! ありがとうございます!!」
感動した分だけ、思い切り頭を下げた。 顔を上げると、なぜかニッコリ笑った天狗がいた。
……ムッ! どうして笑う? あ、バカにしてるんだな。 どうせ私は、こんな事で有頂天になるようなバカですよ。ふん。
俯いて怒りをやり過す。 せっかく嬉しい気分なのだ。天狗がいなくなってから、改めて喜ぼう。
『藤井、ちゃんと名刺入れを用意して、いつでも渡せるようにちゃんと携帯しておけよ』
「え? あ、はい!」
そうか、名刺入れがいるんだ。買いに行かなくっちゃ。
『……それと、その名刺に恥じないよう、もうちょっとだけ仕事を頑張ってください』
やはり、薄い笑顔を浮べて天狗が言う。 たしかに今の私では恥ずかしい。ちゃんとしなくてはいけない。
……よし、せめて返事だけでもやる気を見せよう!
「はい! 頑張ります!」
そう思って元気に返答したけれど、自分の至らなさがだんだん身に染みてきて、結局俯いてしまった。
……今、言わなくてもいいじゃん。 どんどんブルーになっていくじゃん。
『藤井?』
「あのう……もう、仕事に戻っていいですか?」
これ以上天狗の話を聞いていたら、売場じゃなく、家に帰りたくなる。
『え? あ、待って。 いや、その……』
……何? まだイヤミが続くの? もう、勘弁してくださいよ。
『……なんか、困った事とか無い?』
「は?」
……何が聞きたいんだろう? 毎日、困った事だらけだよ。 困ってない事の方が少ない。
『ほら、始めに言っただろ? 何でも相談しろって。 困った事じゃなくても、悩みとか、質問とか……いっぱいあるだろ?』
……いっぱいって、決めつけられても悔しい。
『何でもいいよ。 ほら、言ってみて』
それにしても、急にどうしたんですか? まるで、俺の胸に飛び込んで来い! と言いたげに手を広げて、絵に描いたような良い上司を演じていらっしゃるけど……。 これ、ショートコントですか?
その様子に戸惑っていると、天狗に目で催促された。……とてもウザイ。
「……何でもいいんですか?」
『ん? ああ、構わないよ。 遠慮はいらない』
それでは、チバコさんに頼まれたので……。
「平居さん、最近、彼女が出来たって本当ですか?」
『……え? ……はぁ?! なななな、何の話だ?』
「何でもいいっておっしゃったので……」
『ば、オマエ、そんな事、仕事に関係ないだろ!!』
……なんだよ。 何でもいいって言ったじゃんか。 もういいよ。
「……すいませんでした」
一礼して踵を返した。
別に聞かなくても困らない。それよりも、商品を発注しなければ。
『な! お、オイ!! 待て』
呼び止められて振り返る。 もう、何? 私、忙しいんですけど!
『な、なんでそんな事……聞くん…だ…よ』
はぁ? 語尾が小さくて聞こえませんけど!! ……なんなんだ、もう。
「気になるので聞きました。 すいませんでした」
改めて礼をして、くるりと反転した。
『ま、待てって!』
肩をつかまれて、くるりと元に戻される。 ……がぁああ!! 何なの!!
睨みつけてやろうと顔をあげたら、思いつめた目をした天狗と、なぜか見つめ合ってしまった。
……ど、どうしたんですか? 両肩を掴まれているので、身動きできないんですけど。
『そんなに、俺のことが気になるのか?』
「へ? ……あ、はい」 チバコさん達が、とても気にしてます。
『……いない』
「は?」
『いや、彼女なんて……いないから』
そう言いながら、真っ赤な顔をした天狗が横を向いた。
……何だ、この人。 ヘタクソなのか? ウソついてるのが、バレバレなんですけど。
どうしたものか、悩んでしまった。 ウソをつくにはそれなりの理由があるのだろう。
そうやって隠していることを、根堀り葉堀り聞き出すのも気が引ける。……かと言って、こんな程度の情報では、チバコさんに報告ができない。うーん。
天狗とチバコさんを天秤に掛けてみた。 ……断然、チバコさんだ。
「あの……平居さんは、付き合うなら年上と年下と、どっちがいいですか?」
まずは、当たり障りのない質問をしてみる。
『ええ?! な、ど、どっちとかないよ。 っていうか、そんな事聞いてどうするの?』
唐突過ぎたのか、異様に天狗が戸惑った。
その拒絶的な振る舞いに、こちらも作戦変更を余儀なくさせる。
「えーっと。平居さんが、どんな女性を好きになるのか……とっても知りたいんです」
たいしたプラスにはならないだろうが、おねだりポーズで頼んでみる。固有名詞が無理なら、せめてヒントぐらい欲しかった。
そもそも天狗情報は、ランチトークとしての価値がべらぼうに高いのだ。どんな情報だって、みんなに喜ばれるに違いない。
それに、なんと言っても自分の手で情報を仕入れてみたかった。
一度でいい。チバコさんのように、旬の話題を昼休憩で提供してみたい。みんなに「藤井ちゃんすごいね」って、褒めらてみたい。あわよくば、「いやぁー。こんな情報、すぐですよ」なんて、キザな台詞を言ってみたい。……ああ、夢のチバコステータス!!
そんな憧れがむくむくと頭で膨れ上がる。
……よし、やってやるぞ!
気合をいれて天狗におねだり目線を再び送ってみるものの、相手の顔がすごく困り顔になった。
……うっ。 やっぱり、私のお願いごときじゃダメか。
早くも、そう落胆した瞬間。
『……二択なら、年下が……いい』
……え?
天狗が小さな声で答えた。 びっくりだ。 意外と恋バナとか好きなのかな?
まあいい。 これはチャンスだ。 もしかしたら、天狗がうっかり口を滑らすかも知れない。ここは間を空けずに、質問を畳みかける事にする。
ええっと……年下で仲良し……と言えばこの人か?
「じゃあ、小森主任とか ……タイプですか?」
この前食堂で、巨乳をしげしげ眺めていたしな……。
『はぁ? なんで小森が出て来るんだよ!!』
「なんていうか、オッパイ好きかと……」
あいにく、自分には存在しないモノなので、両手で仮装巨乳を作ってみせた。
『ば! 俺は変態じゃない!!』
思い切り否定された。 と言うか、怒っている。どうやら巨乳フェチではないらしい。
チッ! 外したか……。 当てずっぽうでは、限界がある。 もう少し絞るか?
「あの……18歳とか、どうですか?」
天狗が眉をひそめる。
『……犯罪だぞ。ソレ』
ああ、この反応もダメだ……。 怒りが倍増している。 なるほど、ツルちゃんは違うんだな。 ……残念。
というか、私、それ以外の4階の主要メンバーを知らないんですけど。 さすがに、福田チーフは年上だから違うだろうし。
いわゆる、お手上げの状況だ。
「あの、私とか……範囲内ですか? こう見えて25歳です!」
仕方ないので、苦し紛れに聞いてみた。……もちろん失笑は、覚悟の上である。
なのに……え? は? どうした?
天狗がさっきとは比べ物にならないぐらい、赤い顔になっている。口もパクパクして、餌をねだっている緋鯉みたいだ。
え? ……ま、さ、か、の? ビンゴぉぉぉ!!
やったぁぁ!! チバコさん!! やりましたよ!!
犯人は4階で働く25歳の女子です!! 間違いありません!!
私、なんてすごいのだろう。 探偵に向いてるかも!
小躍りしたいのをグッと我慢する。
しかし、顔がニヤけて仕方がない。……だって明日のランチは、私が話題の中心なのだ。
ブラボォー!! 天狗人気バンザイ!!
それでもって、ありがとぉぉぉ 天狗!! 感謝してるぜ!!
思わぬ上ネタの提供者に、自分の中の最高級スマイルを送った。
なのに、天狗が視線をすぐさま逸らす。
ムッ! 失礼な。 これでも笑顔だけは、まあまあ可愛いって言われるんだぞ!
『藤井、ごめん。 俺、社内恋愛はしないって決めてるから……』
憤慨していると、天狗がとんでもない発言をポロっとこぼした。
……は? え、なんですか、ソレ? ……えええ!!! 社内に彼女はいないって事ですか?! な、うそでしょ?
無駄にイケてるその顔が、ホントに「無意味」だなんて思わなかった。
てか、そんな取り決めがあるなら最初から言ってよ!! 冗談じゃない!! 犯人見つけた! ……なんて喜んだ私が、バカみたいじゃないか!! さっきの感謝の弁を返せぇぇ!!
ものすごく落胆した気持ちに襲われた。 すねて俯いていると
『ホントにごめん……』
なぜか天狗に、神妙な面持ちで頭を下げられた。
いや、そこまで謝罪されると、返ってこちらが悪いというか……申し訳ないというか……。
「……だ、大丈夫です」
思えば、勝手に勘違いして喜んだのは私の方である。
それに、よくよく考えれば、いきなり私が話の中心なんて務まるわけがなかった。
こうなってよかったと素直に思い直す。
「こちらこそ、すいませんでした。ちょっと浮かれ過ぎました。 私らしく、地道に頑張る事にします」
うん。その方がいい。 ウルトラCなど期待せず、少しずつでも団体ランチのワザを磨く事に専念しよう!
さっきから何だかソワソワして落ち着かない天狗に、怒っていない意味を込めて笑顔を向ける。
なのに、またもや速攻で目線をそらされた。
……だからそれ、ムカつきますってば!!
やっぱりこの男、どう頑張っても……好きになれない。
そう再認識させられた。
読んでくださってありがとうございます。




