第37話 ♪藤井香織 危険なランチトーク
これがいわゆる独擅場というものだろう。
チバコさんのマシンガントークは、玉切れなど存在しないかのように止まる事を知らず、秒速で変化していくチバコニュースに、ついて行くだけで必死になった。
……め、目が回る。
話している内容の半分も理解できないまま、5分も経たぬ内に私の方が油切れを起こした。仕方なく脳内活動をナチュラルモードに切り替えて、一時休憩に入る。
……マジで疲れた。 ああ、お茶がうまい。
『あ、そうや!! 本館長の奥さん。飛び降り自殺しはったってホンマ?』
「ぶぅぅぅ!!」
新しい話題に思わず吹き出した。 もちろん笑いではない。お茶だ。
『き、汚いよ……藤井ちゃん』
ケホケホむせ返りながら、驚愕の顔をチバコさんに向ける。
隣に座る原チーフが、心配して背中を擦ってくれた。
にしても今、ランチトークにふさわしくない単語がありませんでしたか?
『自殺じゃないでしょ? 住んでるマンションの外階段から落ちて入院したって聞いたけど……』
私が問いただす前に、すかさず訂正が入った。
それにしても、びっくりしたぁ。……やめてよ。
『なーんや、事故かいな。……おもんないな』
いや、いや、事故でよかったよ。 いや、事故でもよくないぐらいだよ。
『……彼女、悪い子じゃないのよ。 ただ、話しを三分のイチで聞いてね』
原チーフが、耳打ちしてきた。
三分のイチって……どんだけ、削らなきゃならないんだ? 塩梅がむずかし過ぎるよ。
『まあ、でも、あの奥さんなら自殺でもおかしくないもんね……』
端っこに座るバイトのめがねさんがつぶやく。……おかしくない? とは。
怪訝な顔をしたのがわかったのか、チバコさんが『知らんの?』と聞いてくる。
私が頷くと嬉しそうに話だした。
『奥さんな、昔、本館長の愛人の前で、手首をバシャーって切りはってんで』
は?……愛人? リストカット? バシャーって……どこを削ればいいんですか?
困って原チーフを見ると……
『全部ホントよ』
……う、ウソでしょ。
その一言に驚愕する。
続けて他の人達もさえずり始めた。
『離婚で揉めてる時に、浮気がバレてドロ沼化したんだっけ? ……あそこは長いよね』
『5年? ……は経つかな』
『離婚が成立しそうになると、手首切って入院しちゃうんだもん。もう4、5回やったんじゃない?』
『まさに常習。最初は同情したけど、さすがにやり過ぎ。マジ、ヒクって……』
みなさん、まるで昼ドラの話で盛り上がっているような感じですが、あくまで実話なんですよね?
「あ、あの……」
『どうしたん? 藤井ちゃん』
チバコさんが私の戸惑いを拾ってくれた。
「やっぱり、不倫をする旦那様がよくないかと……思うんですが……」
もしも、真木部長の奥様が、私の目の前で手首なんぞお切りになられたら……そう思うだけで胸が締め付けられる。 やっぱり不倫はよくない。 絶対よくない。
『ええー。香織ちゃん、なんだか優等生発言だね』
『なんか、ノリ悪いよ』
『藤井さん、もしや、友達いないタイプとか?』
全員の視線が、私に集まった。……マズイ。……非常にマズイ。
すぐに、義務教育時代のクラ―い影が頭をよぎった。
KY(空気読めない)発言を連発し、気付けばハブられていた暗黒時代。
黒歴史がまざまざと浮かんでくる。 ヤバイ!
あの時代を繰り返すのは愚の骨頂! 高校生活で覚えたはずだろ、私!
長いものには、なんでも巻かれろ!! 短くっても、頑張って巻かれるんだ!!
そうやってやり過した青春の日々……あの頃を思い出せ!
「あ、や、その、あの……」
しかし、取り返そうにも、なんて言えばいいかがわからない。
失言と言うのは出したら引っ込めないのだ。……そのうち目まで泳ぎだしてしまった。
ああ……やっぱり福田チーフがいないと、今の私に団体ランチは無理かもしれない。
みんなの視線が痛くて、思わず俯いた。
『たしかに……』
チバコさんが口を開いた瞬間、覚悟した。このまま吊るし上げになる事は間違いないだろう。これでもう、このグループとお昼を食べられなくなる。
さようなら、みなさん。 ……短い間でしたが、ありがとうございました。しゅん。
『ウチも本館長、キライかな。 うん、メッチャ嫌いやわ、あのオッサン』
え? ……キライ? え? え?
『まあね。あの人、強面だしね』
『そう! マジであのキレ目、怖すぎやねん。 アレ絶対、元ヤンやで』
『ハハハ、チバコちゃん、言い過ぎよ』
気付けば、チバコさんと原チーフが笑っていた。
まわりのみんなも『たしかに……』と頷いて、笑ってくれている。硬直した空気が、ゆっくりと軟化していくのがわかった。
……す、すごい。 二人とも、魔法使いみたいだ。
私の失言なんて、まるで無かったような空気である。
驚愕して目の前のチバコさんを見つめていると、軽くウインクされた。
『そういえば、藤井ちゃん、さっき4階言うたよね?』
安心したのも束の間、いきなりチバコさんに話題を振られる。
「は、はい。 言いました」
『平居さんに彼女ができたって、ホンマなん?』
『ええええええ!!!!』
食堂に悲鳴が轟く。一斉に周りのテーブルから非難の目が集中した。
断っておくが、叫んだのは私ではない。 私以外の7人だ。
『どういう事、チバコ!!』
『彼女って誰よ!!』
『誰?! マジでイヤ!! 誰でもイヤぁぁ!!』
『マジ反対、すっごい反対!』
『みんな!! 声が大きいから!! 落ち着きましょう! ね!』
とりあえず、叫ばなかった原チーフがその場を沈める。
もちろん、私は硬直し、何もできなかったのは言うまでもない。
平居人気、恐るべし……である。
『いや、小耳に挟んだだけやけど……どうも、4階の女らしいで』
『4階ぃぃぃ!!』
一斉に8人の目が私に集中した。 え?……困る。私は4階所属だが、もちろん天狗の彼女ではない。
『藤井ちゃん、知らへん?』
「わ、私じゃないですよ!」
慌てて否定した。そんな誤解で爪弾きにされるのはごめんだ。
『は? ……ああ、ごめん、ごめん。 誰もそんな事、思てへんから……大丈夫やで』
チバコさんに失笑された。 見ると周りもクスクスと笑いを噛み殺している。
……うぅ、しまった。 普通に考えれば、早合点も甚だしい返答である。
たしかに、私が天狗の彼女だなんて、天と地がひっくり返ってもないだろう。超赤面な勘違いだ。
向こうが大空を舞う火の鳥なら、私は地を這うミミズぐらいの存在だ。
捕食される事はあっても、愛でられる事などありえない。
……ん? 待てよ。 それはそれで悲しい現実だと気付く。
さすがにミミズはヘコむ。
せめて捕食対象であっても、ネズミとか哺乳類でありたい。
小さくてもいい。脳ミソはやっぱり欲しいじゃないか。
『藤井ちゃん、誰か、4階でそんな話聞いてへんの?』
私の思考が天と地を行き来している間も質問は続く。
……え? いや、誰かと言われても、所属してまだ10日だし。
「あのぅ……まだ、知らない方が多いぐらいなんで……そう言った話題は、無縁です……ハイ」
明らかにみんなにガッカリされた。 その期待に応えられない事に、自分もガッカリする。
『そっか……。 やっぱ、デマなんかな……』
チバコさんがそうつぶやくと、みんなが少しホッとしたみたいだった。
『まあ、機会があったらさ、藤井ちゃん、ちょっと情報仕入れてよ』
「え!? ……あ、あの」
これは聞いてもいいかな……? 多分、大丈夫だよね。
「ひ、平居さんは、今、彼女いないんですか?」
私的想像では、5~6人の女性を、いつもとっかえひっかえしているイメージなのだ。
ゼロという事が信じられない。
『ずっといないよね? 5年ぐらい?』
『それ以上じゃない?』
『うん。聞いた事ないね』
『ないない』
『まあ、いないのが不思議なんだけど……』
『香坂さんぐらいでしょ? 噂があるのは』
『いやぁ、あのウワサも怪しいでしょー。 香坂さん、外国人が好きらしいよ』
みんなが口々に、天狗の恋愛歴史を語る。と言っても、彼女と名のつく人物は、一人も上がってこなかった。話を総合すると、どうも天狗は身持ちが硬く、どちらかと言えば硬派になるらしい。たらし天狗と名づけたけれど、たらしの部分は訂正が必要かもしれない。
……しかし、意外だ。 あ! そうなると、もしかして
「平居さんはゲイなんですか?」
気づけば口からこぼれていた。 ……しまった。
瞬時に多数の目から睨まれたのは、言うまでもない。
ああ、またもや考えずに発言してしまった。 あっちゃんの言ったとおり、天狗の悪口はご法度なのだ。
『ハハハハ、藤井ちゃん、もしや、腐女子なん?』
「ふ!! ち、違いますよ! 腐女子じゃありません!!」
『えー?! ほんまぁ? BL小説とか、好きそうに見えるで』
『好きそう、好きそう、オタクっぽい』
アハハハハ……とみんなに笑われた。
うぅ。 またもや、チバコさんに救われたけれど、不名誉なイメージをつけられてしまった。 ……文字オタですけど、腐女子じゃないよぉ。
これも、元を正せば天狗に彼女がいないせいだ。 ……くぅぅ。 イケメンなら、彼女ぐらい作っておけよ!! へっぽこ上司!!
『けど、平居さんも、入社したての頃は、彼女おったって聞いたけど……』
チバコさんが、原チーフに尋ねている。
『ん? ああ、確かにいたわね。 しかも社内に。ええっと……名前なんて言ったかな……。小林? いや、小西? かな……』
へえぇー。 社内恋愛なんて、天狗もやる事やってるじゃないか。
『平居さんと同期入社の子で、可愛らしい、小柄な女の子だったよ』
『え! マジですか? 初耳ですよ』
何人かが、そう言って驚いた。 原チーフ以外は知らない様子だ。
それもそうだろう。天狗の新人時代って……かなり古い話になる。
『でも、可愛いのにかなりの性悪な子でね。 たぶんその子に懲りて、彼女を作んなくなったんじゃないかしら……』
ナニぃ!! 天狗だって、十分性悪だ。 顔が可愛いだけいいじゃないか。まったく、何を贅沢言っているんだ。アイツは……。
『やっぱ、あの噂、ホンマやったんやね……。その彼女さ……』
それ以降も、チバコさんを中心に、天狗の彼女の話題で盛り上がっていった。
残念ながら、天狗の恋バナなど、全く興味がそそられない。……会話が右から左へ抜けて行く。
……ああ、そういえば、午後からレジ応援に入らなきゃいけない。
思考がいつの間にか仕事に移っていた。途端に憂鬱になってくる。
先日、初めて入ったレジ作業で、かなりの違算を出してしまい、天狗に死ぬほど怒られたのだ。……ものすごく、怖かった。 何を注意されたのかを忘れるほど、怖かった。
今日はホントに頑張ろう……。
『えええ!! 寝取られちゃったんですか?!!』
めがねさんの、一際高い声にビックリする。
……ね、寝取られ?
私がボンヤリしている間に、話がトンでもない方向へと進んでいたようだ。
慌てて口を押さえるめがねさん。 自分で自分の声の大きさにビックリしたのだろう。
まわりも『シィー!!』と、人差し指を唇の前に立てて、『静かに!!』のジェスチャーをしている。
『……そう。 平居さん、最後に彼女に裏切られたらしいで……』
『ひどーい。 平居さん可哀想ぉ……』
同情の声が、テーブルのあちらこちらで上がる。 なんという事だ!!
こんなオモシロいネタを聞き損ねたなんて!! 天狗が痛い目に合うなんて、そうそうない事なのに!! ああ……なんたる失態。
「あ、あの、その、裏切られた平居さんて……その、ぎゃふん!と言った後とか、どうなったんですか?」
せめて少しでも、情報を!! チバコさんに縋る。
『え? ……ははぁーん。藤井ちゃんも興味シンシンやね~』
チバコさんの悪い顔が一際ニヤリと映える。私も悪い顔になってニヤリと返した。
まるで時代劇の悪代官と小ズルい庄屋のようだ。
『それが、その後さ……』
『モモちゃん!』
遮るように野太い声が、真後ろから響いた。
『あ、ハハハ。……お疲れ様でーす』
顔を上げて、慌てて挨拶をするチバコさん。同時に私も、おそるおそる振り返る。
そこには、怖い顔をした福田チーフが、私を見下ろすように立っていた。
お忍び将軍ご登場……『成敗致す!』 のような展開である。
「お、お疲れ様です!!」
慌てて挨拶をする。
しかし、福田チーフの睨みは尚一層、鋭さを増すだけだった。
『香織ちゃんも! そんなハナシ、食堂でする話題じゃないでしょ!』
メッ! っと言うカンジで怒られた。 まるで私が主犯みたいである。……ヒドイ。
「……すいません」
それでも謝らなければならないのが、大人の事情というものだ。
『香織ちゃん、早めに戻って、レジ作業の復習するんじゃなかったの?』
ハッ!! ……福田チーフの指摘を受けて、慌てて時計を確認する。
ぎょ!! 残り時間が10分を切ってしまっている。
ヤバイ、マズイ、何やってんだろう、私!!
反省しつつ急いでお弁当を片付け、福田チーフに席を譲った。
「お先です!!」
『行ってらっしゃい!!』
みんなに見送られながら、食堂を後にする。 にしても……
「ああ、もう!! 忙し過ぎるぅぅぅ!!」
思わず口に出している自分に、少々びびった。
読んでくださってありがとうございます。




