第36話 ♪藤井香織 昼トモ、増量中!!
売場へ異動になって十日目を迎えた。
はっきり言おう。 今の私はとんでもない事になっている。
鬼教官と恐れていた福田チーフだが、噂はただの噂でしかなかった。
なぜなら彼女は、噂以上に厳しい鬼コーチだったからだ。
『二日間の遅れを取り戻すわよ!!』
そう言って、猛烈な勢いで指導して下さるのは有難いが、遅れなどすでに取り戻したであろう今でも、その勢いは衰えるどころか増す一方である。
もう、毎日がフラフラなのだ。 脳も体も許容範囲を当に超えている。
姪っ子の恩人と言うのであらば、せめて、もう少しだけ優しくしてくれ……。
そう願うが、願うだけ空しかった。
福田チーフの恩義は、情熱のエネルギーへと変換され、指導のパワーに注がれる。
恩義を感じれば感じるほど、熱意のこもった教育になるのだから、もう、恩など感じないで欲しいとさえ思う。
……さっちゃん! アナタの叔母さんを何とかして下さい!!
連絡先がわかるなら、そうお願いしたかもしれない。
『香織ちゃん、大丈夫?』
身体を揺さぶられてハッと我に返る。
卵焼きを口に含んだまま、ヨダレを垂らして居眠りしていたようだ。
3歳児のような振る舞いをしてしまい、恥ずかしさのあまり、顔に火がついたように熱くなる。
気付けばたくさんの目がこちらをジッとみつめていた。
にしてもすごい。
私の周りで8人ものお友達が、お昼を一緒に食べているのだ。……まさに壮観である。
もちろん自力で集めたメンバーではない。(集まるわけがない)
すべて、福田チーフの恩恵だ。
私がぼっちランチを寂しくとっていると知った途端、福田チーフが連れ立ってお昼休憩を取るようにしてくれたのだ。
すごい人数のランチ集団に、平然と入って行く福田チーフに最初はビビッてしまったが、私を弟子だと紹介してくれ、輪の中に自然に溶け込ましてくれた。
しかも、どの時間に行ってもいいようにと、毎日お昼の時間を変えて、いつもどこかのグループを紹介してくれるという細かい親切。嬉しくて涙が出そうになる。
気付けば、この1週間で30人の昼トモが出来ていた。
4年と半年の間、ずっと一人だった昼トモが急に30倍である。
びっくり仰天も甚だしい快挙だ。
それに昼トモメンバーは、4階以外のフロアー担当者が多かった。
福田チーフの顔の広さにもビックリする。
さらに、みんなが福田チーフを慕っている事にも驚いた。
いつも輪の中心は福田チーフで、みんなが頼りにしている空気が必ずそこにあった。
……さすが我が師匠! 尊敬します!
そんな師匠に、今では私が手を合わせている。
しかし、ハッピーなランチタイムかと言うと、残念ながら問題点も増えていた。
これまでずっと、総務のあっちゃんと二人きりのランチだったのだ。
そんな簡単に団体行動の奥義が身につくわけがない。
例えば、細長いテーブルの右と左で話している内容が違うなんて、生まれて初めての経験だ。真ん中に座った私は、どちらに参加していいのかわからなくなり、そのまま寝てしまうという、究極の失態をしでかしてしまったわけだ。
まさに、多人数ランチたるもの、非常に高度なテクニックが要求されるのである。
それを身につける為に、四苦八苦な毎日だ。
『チーフにシゴかれてるんだってね。 ……可愛そうに』
『福ちゃん、キビシイからな』
『藤井ちゃん、仕事できなさそうだもんね』
『いや、十日ももったら十分でしょう。アンタすごいよ』
『玉子焼き口に入れて寝るなんて、器用だしね』
『相当、疲れてるんだよね? チ●ビタ飲んどく?』
『辞めるなぁ……私なら絶対辞める!!』
『そうだ! 辞める前にはちゃんと言ってね。送別会開いてあげるからさ』
『歓迎会もまだなのに?』
アハハハハハ!!
8人が一斉に笑いだす。 ……この流れるような会話にもついていけない。
相槌を打つだけで精一杯の自分は、口を挟む余地がまったく無いのだ。
……無念である。
『ちなみに福ちゃんどうしたの?』
福田チーフといちばん仲のいい原チーフが、私にむけて質問してくれる。
これはいい。私が口を開ける数少ない機会だ。
「あ、赤伝の処理をしてから来られるそうです」
『返品か……。不況は辛いよね』
この作業はまだ習っていない。
なので、先に食堂に行くように命じられたのだ。
『おつかれさまでーす!!』
突然頭上から、大きな声が降り注いだ。
『あ、チバコ。お疲れ』
続いてその場にいたそれぞれが、チバコと呼ばれた人物に挨拶を返す。
私も慌ててその波に乗って、初顔のその人に挨拶をする。
「お疲れ様です!!」
『あん? アンタ誰や?』
スパンと刃物が返ってきた気がした。
目の前の空席に、ドカリと座ったチバコさんにいきなり睨まれる。
……た、退席しろという事でしょうか?
『ほら、この子、福ちゃんの……』
『ん? ……ああ!! ウワサの新弟子さんか! ええぇ! ちっちゃ! めっちゃ、ちっちゃ!! えらい可愛らしい子やん』
チバコさんがそう言って、相好を崩した。……た、助かった。
私が小さくなって震えていたので、原チーフがフォローを入れてくれたようだ。
にしても……チっちゃ、チっちゃと、強調されると恥ずかしい。
『そうでしょ。福ちゃんのお気に入りだもの』
『いやぁ……マジ、お人形さんみたいやな……。ウチの玄関に飾っときたいわ』
アハハハハ!!
8人が一斉に笑う。
ヒトです。……生きてます。
『ウチ、3階ミセスのバイトで、千葉桃子って言うねん。チバコって呼んでな! 6年目のベテランやけど、オドロキの23歳やでぇー』
先輩は、最後に目元での横ピースのポーズで締め括った。
おばさんじゃないよ……と主張しているらしい。
「あ、ワタクシ、4階婦人靴の担当になりました、藤井香織です。 に、にじゅう……ご……になります」
『え?』
目の前のチバコさんが固まった。 いや、テーブル全体が凍結している。
少し前から感じていたけれど、やっぱりそうか……と思ってしまった。
『か、香織ちゃん、25なの?! えええ!! ごめんね。 高卒の新入社員さんかと思ってた……』
そんな気がしていました……。
しかし、原チーフ。それはあんまりです。 周りも驚き過ぎです。
私は型が小さいだけで、歳もとりますし、それなりに生きてます。
『ま、マジ、ですか? す、すいません!』
慌ててチバコさんが頭を下げてきた。
『あの、ウチ、年下や思てまして……なんというか、見た目がおぼこ……いや、可愛いと言うんですか……あの、その……ねぇ?』
困って隣に振るチバコさん。フォローになってません。
しかも微妙に敬語になってるし……。
「……いいんです。 新人の頃からずっと、新人以外に見られた事がないですから……」
『ぶっ!!』
な! チバコぉぉぉ!! そこは吹き出すとこじゃないでしょ!!
『す、すみません!』
いけないとわかったのだろう。チバコさんが笑いを噛み殺しながら謝ってきた。
って、皆さんも微妙に肩が揺れてますよ。 ……ったく。
「べ、べつに、チバコさんに気を使ってもらわなくても平気です……大丈夫です」
年上という事なので、こちらが気を使ってあげた。
『そ、そう? よかったぁ。 いやぁ、しかし、おもろいわぁ……藤井ちゃんサイコー!!』
チバコさんが両手の親指を立てて、賞賛してくれる。
よくわからないけど、嬉しくなって照れてしまった。
いや、ちょっと待て。……おかしくないだろうか?
どうして私が「さん」づけで呼んで、チバコさんが「ちゃん」づけなのだ?
『ウチ、藤井ちゃん大好き! チョーかわいい!!』
……面食らった。
そんな事を言われたら、些細な疑問なんてお茶と一緒に飲み込むしかないではないか。
やっぱり照れながら、お茶を飲んでもじもじした。
読んでくださってありがとうございます。




