↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
全力!!! トライアングル  作者: 谷川ポンヌ
長月 -<2> の章
PR
35/51

第34話 ♪藤井香織 靴音は弾み、文字は歌う


<華>と言う漢字は素敵だ。

いつ見てもうっとりする。さすがに意味どおり、姿・形が華やかさに長けている文字だ。


<薔薇>……こう見えて私は、間違えずに書けた。ちょっとした自慢である。

草冠の下にある<微>は、まるで白いバラの花が、私に微笑んでいる様を想像させる。おや、花園に立っているのは王子様であろうか……?


続けて<紳士>と書く。……浮かぶ姿はもちろん決まっている。

幸せの王国に君臨する王様は、あの方しかあるまい。ああ、エクセレント!!……そう叫びたい気分だ。




……いや、あ、これはもちろん仕事ではない。


どうしてもやる事が見つからないので、事務所の片隅でレポート用紙に好きな漢字をつらつらと書き連ねていたのだ。


真っ白な紙に漢字が百以上並ぶと、かなり壮観である。


ところどころ、<退職><天狗><馬鹿><殺意>……など、好きでもない文字が並んでいるのは、心の不安が現われているという事にしておこう。


……次は何を書こうかな。


そう思案していると、遠くから聞き覚えのある靴音が聞こえてきた。

安定したヒール音が鳴っている。

そういえば、靴音にも人それぞれ特徴があるという事を、この二日間で知った。


ちなみに、出来る女のこだわりなのか、モンロー主任はやや高めなヒールで女性らしいパンプスを愛用していた。もちろんピンヒールではないけれど、やけに歩き方が不安定で、その音もなんだかぎこちなく聞こえた。

その靴でよく仕事が出来るなぁ……と感心したほどだ。


替わってミドレンジの音は、靴底を擦ったまま歩くので、全くもってだらしのない雑音に聞こえる。人間性がそのまま出ていると言ってもいいだろう。

大きなお世話だが、もう少しやる気のある音を出して欲しいもんだ。


反対にツルちゃんは、動きやすさ重視のローヒールパンプスだ。その音はとても軽やかでやる気に満ち溢れていた。新人は走りまわって一人前と言う事だろう。(売場は走っちゃだめだけどね)

ツルちゃんの靴音を聞くだけで、私も頑張らなくちゃと思える。 いや、今のトコ、頑張れる事が何ひとつないんだけど……。


まあ詰まる話、そんな風に音を聞き分けられるほど、私はヒマを持て余していたわけだ。


そして、今、私の耳に聞こえているのが福田チーフのヒール音だ。

安定したミドルヒールが、リズミカルに床を鳴らしている。

その黒いパンプスは、福田チーフの足の一部となって、その仕事を見事にサポートしていた。歩く姿がとても美しいのだ。これまでに何度その姿に見とれてしまった事か……。


残念ながら、私が履いている靴は学生の頃から愛用している黒革のローファーなので、あのヒール音を出すことはできない。けれど、せめて姿勢だけは真似したいと願い、常々福田チーフの観察を怠らないよう心がけていた。(もちろん、仕事を覚えたい気持ちの方が上だけど)


今も耳を澄まして、美しい音色に聞き惚れている。

事務所の外でピタリと音が止んだので、何気なくそちらを見た。


……目が合った。


え、ヤバイ。 

どどど、どうしよう。これは視線を逸らすべきか?


(ひたい)に玉の汗を掻きながら固まっていると、在ろう事か、福田チーフが目線を合わせたまま、こちらに迫ってきた。


にょぉぉぉぉ!!! 接近してくるぅぅぅ!!! 

メデューサに睨まれたみたいで、まったく動けないんですけどぉぉぉ!


しかも、側までやって来た福田チーフが、漢字だらけのレポート用紙を取り上げたのだ。


……あ、 ……ぎゃああ! それはイケマセン!! 


その紙には、平居の個人名こそ書いてはいないが、あまりにも物騒な文字が並んでいた。


あぁぁ……もうだめだ。 クビだ。 クビしかない。


福田チーフが睨むように、レポート用紙の漢字を見つめている。


……うぅ。おかあさん、ゴメンなさい。 しばらく仕送りはできなくなりそうです。


母に侘びを入れながら項垂れる私に、福田チーフの鉄槌が降りた。


『たしかにアナタ……字が上手ね』


はい、すみません。 遊んでいました。 漢字を書いて暇つぶしをしていました。

しかも、上司に対して悪意をぶちまけております。


いまさら遅いだろうが、反省の気持ちを込めて謝罪する。


「……申し訳ありません」


文字で表現するなら、後ろに「しゅん……」という擬音がつくぐらいに萎れた。


『どうして謝るの? 今、褒めたのよ』


は? 褒めた? え、聞いてなかった。


『アナタ、これ作り直せる?』


そう言って、チーフに手渡された紙は、破れた商品POPだった。


『お客さまのイタズラだと思うんだけど……』


うわぁ……酷い。


無残に裂かれた紙の残骸を見て、心がスッと冷たくなった。

POPに対するひたむきな気持ちを、嘲笑された気がしたからだ。


どんな小さなモノでも、魂を込めて作る。

そうやって送り出したPOPの末路がコレだとは……胸が苦しくなってくる。


あやうく泣きそうになったので、慌てて思考を戻した。


「ええっと……画用紙とペンさえあれば、できると思います」


私の技術が必要とされるなら、今でもそれに応えたい。

その気持ちはどこに居たって変わることはなかった。


それに、道具さえあればどこでだって作れる!……そういう自信も私にはあったのだ。


するとチーフが棚から箱を取り出してきて、デスクの上に無造作に置いた。


『開けてみて』


促されるままフタをあけると、中にはA4サイズのボール紙やカラフルなサインペン、ハサミ、カッターなど、そういった文具が雑多に入ってあった。


……わぁ!!


この瞬間の気分を説明すると、トロ箱を開けて、活きのよい魚を目にした時の、寿司職人の気分ではなかろうか。思わず手もみして「早く握りたい!!」……と思うカンジだ。


もちろんフレンチのシェフが、上等なトリュフと出会い、「トレビアーン」と恍惚な表情でつぶやく……というシチュエーションでもかまわない。


いや、とにかく、職人魂が刺激されたと言いたいわけだ。


気付けば、チーフの許可も取らずに箱の中を物色していた。

必要な道具をチョイスして、早速仕事に取り掛る。


と言っても、自分には10日以上のブランクがある。

プロスポーツ選手なら、競技によって致命的な場合もあるだろう。


POPライターならどうか? ……ノープロブレム! だ。


むしろ臨戦態勢と言ってもいい。

さきほどまで百を越える文字を書いていたのだ。偶然だが、この本番の為に準備体操をしていたのではないか? と自分の行いを肯定したくなる。(イヤ、しちゃダメだけど)


迷わずペンを走らせた。 気持ちがいいほどしっくり来る作業だ。


気付けば没頭していた。やっぱりPOP作りは楽しいのだ。

こうやって離れてみて、なおさらそう思う。


目の前の白い紙に、徐々に命がやどっていく。

この紙が、自分に与えられたメッセージを歌い始めるまで、もう間もなくだ。





読んでくださってありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。