第33話 ◆田辺真司 不審者を見つける
目の前で不審な動きをする男に、声をかけるかどうか悩んでいた。
もう少しこのまま観察していたい気もするが、残念ながらタイムアップだ。
4階の事務スペースをコソコソと覗いている男の肩に手をかける。
ビクッと跳ねた肩の持ち主は、慌てたように振り返った。
『た、田辺!!』
多分、のぞきがバレた痴漢はこんな顔をして驚くんだろうな……というような顔で驚いている。……わかりやすい男だ。
「平居さん、こんな所で何をしてるんですか?」
皮肉をたっぷり込めて問いかけた。
決まっている。この男は、藤井さんの動向が気になって仕方ないのだ。
『いや、あの、なんだ……ふ、婦人靴の新商品がちゃんと入荷したかな……と思って』
……アナタの仕事じゃないでしょ!
思わずそう怒鳴りつけたくなったが、小声になったその言い訳が、自分でも無理しかないと理解しているらしく、目まで泳ぎだしたのでいったん引く事にした。
これが自分の上司だと思うと悲しい。
「平居さん、ご自分の仕事をしてください。新規ブランドの契約、今日なんですよ」
これから、3階の改装とともに新規で参入予定のブランドと契約の話をする。このブランドは今、国内でも注目を浴び始めたばかりで、改装後の3階の目玉として、二人で口説き落としてきたのだ。
これは、改装後の3階の運命をそのブランドにかけていると言ってもいいぐらい、重要な契約だった。
ここまで慎重に事を運び、ギリギリまで時間をかけてようやく今日、最終的な契約の日を迎えたのに、この男は……。
『わかってるよ。それぐらい』
……わかってるとは思えないんですけど。
口を尖らせて拗ねる男に、思わず舌打ちしそうになる。
「お願いですから、今日はこの仕事に集中してください」
そう嘆願すると、平居が鋭い眼差しで睨んできた。
普段なら身を引くのだが、今日は負けてられない。敢えて睨み返す。
『あんまり俺を見くびんなよ……』
そう言って平居が、事務所に向けて歩き出した。
結果から言えば、心配はまるで杞憂だった。
気付けば、話はこちらのペースでまとめられていて、営業部長は愚か、本館長の出番もなく契約が交わされた。もちろん、相手方の不満もこちらの不利益も最小限に留められていて、最終的にはこれから協力して頑張りましょうという前向きで和やかな雰囲気で終了していた。
この先の事を考えると完璧と言っていい内容だろう。
さすがだなと思う。
言っても平居は、2フロアーを兼務するほどの、やり手フロアー長なのだ。
忘れていたわけではないが、思い知らされた。
「平居さん……」
『ん?』
契約を終えて、3階事務所に戻る道すがら並んで歩いた。
「生意気言って、すみませんでした」
『なんだよ、急に』
平居が笑う。しかし、笑い返す事ができない。
そんな自分に気を使ったのか、平居が真面目な顔で見つめてきた。
『……真司、俺のすごい所を教えてやろうか?』
俺の耳元でそうささやくと、平居がドヤ顔を向けてくる。
……は? 一体、何を自慢したいんだ?
仕事のやり方だったら、言われなくても先ほど目の当たりにしている。
『今日の契約は俺一人でやった……なぁんて、もちろん思ってないさ。 俺は勘違いして自惚れたりしない。 まあ、そこが俺のすごい所だ』
……どういう自慢なんだ? 別の意味で、自分をすごいと言ってるじゃないか。
そこは自惚れにならないのか?
そう思っていると、平居の顔が改めて真面目な顔に戻る。
『ここまでやって来れたのは、お前の助けがあったからだよ。 ……サンキューな』
思わぬ謝礼に、口を開けたまま驚いてしまう。
『なんだよ。礼を言ってんだろ。 意外!……みたいな顔するな』
拗ねた様子で怒ったあと、平居がソッポを向いて歩き出した。
……ああ、こういうところがムカツクんだよな。
こんな風に、下の人間にたやすく頭を下げてくる。
そうする事で、逆に器がでかく見えて、こちらがイラっとするのだ。
もっと偉そうにしてくれれば、反発だってできると言うのに……。
……はあ、仕方ないな。
こう思って助けたくなるから、この男と仕事をするのが嫌なのだ。
ひとつため息をついて、平居を呼び止める。
「すいません。用事を思い出したので、これ、事務所までお願いします」
抱えていた書類を平居に渡す。
『え? オイ!』
戸惑いながらも、平居が荷物を受け取った。
「あ、ちゃんと契約書は、提出フォルダにわけて入れておいてくださいね。控えのコピーも忘れずに」
平居が普段、行わないような雑務を指示する。
『はあ? おい、田辺! 俺に雑用押し付けるなんて、百万年早いんだよ! コラ!!』
平居の怒りを背中に聞きながら、足はすでに4階へ向かっていた。
……アナタが気に病んでしかたない相手を、これから救いに行くんです。替わりにそれ位の雑用をしてもらっても、罰はあたらないと思いますよ。
口にはしないが、そう返答しておく。
◆―◆―◆
昨日、小森さんの様子がおかしかったので、さりげなく尋ねてみた。
最初は口ごもっていた彼女も、かなり困っていたのか、渋々ながら俺に話してくれた。
それは福田チーフが藤井さんの指導を拒んでいるという内容だった。
率直な感想として、早々と次の騒動に巻き込まれている藤井さんにまず呆れた。
……大人しくしていられないのか、あの子は。
笑撃的だったマツゲ顔が頭に浮かぶ。……ムリな話だと諦めた。
……それにしても。
ため息をついて、思考を切り替える。
実は、福田チーフのそういった一連の態度に、以前から違和感を抱いていた。
もともと3階にいた頃のチーフは、パートメンバーはもちろんの事、女子社員ともすこぶる仲が良く、当然上司である俺や平居を含め、太田にも問題なく接してくれていた……というより、太田の場合は子守りに近いほど、面倒見の良さを発揮していたのだ。
しかし、その姿が4階へ移った途端、孤高の存在へと変貌した。
たしかに、生真面目な二人は責任感が強すぎるせいか、意見が対立する事が多かったようだ。しかし、それに対応できないほど、チーフは子供染みた人ではなかったはずだ。
……たぶん、小森さんがチーフの逆鱗に触れたんだろうな。
そんな推測のもと、触れた逆鱗が何なのかを探ってはいるものの、チーフも口が堅い人なので暗礁に乗り上げた状態だった。
何にしても、この対立の渦に藤井さんが巻き込まれた以上、平居が救出に乗り出す事は目に見えて明らかだった。……これは非常にマズイ。
平居なら速やかにすべての問題を解決できるのだろうが、それでは小森さんの力不足を指摘する事になる。彼女の評価を下げてしまう事は、何であれ避けなければいけない。
片手間程度に考えていた事だったが、真面目に問題解決に取り組まなければいけないと考えを改める。
とりあえず、渦に溺れている藤井さんを助けて、平居の出番を失くす事が先決だ。
根本的解決ではないが、それぐらいなら最近手に入れた情報でなんとかできそうだった。
……まさかここで、大島さんの世間話が役立つとは思わなかったな。
一瞬そう喜んだが、すぐに頭が否定する。
……違うな。 彼女、こうなる事がわかっていたから、俺に話したんだ。
気がついて唖然とした。
その先読みの深さとスマートな手口に舌を巻く。同時に大島弥生の人物ファイルも塗り替えざるを得なかった。たかがPOP室の毒舌主任だと思っていたら、足元を掬われるかもしれない。
平居や香坂さんもそうだが、28期入社の人間は、どうしてこうも頭が切れる面子ばかりなのだろうか。しかも俺と同じ年齢で後輩社員だという事が信じ難い。
気がつけば眉根を寄せていた。
優秀な人間ばかりを相手にしている現状が疎ましくなってくる。
のらりくらりと過ごしていた頃が、なぜか懐かしくなった。
エリートと同じ土俵で戦うなんて、思った事もなかった頃だ。
その頃に戻りたいとは言わないが、今の状況が望んだ事かと聞かれれば……否だ。
俺は何も望まない。……昔も、今も。
感情で熱くなり始めた頭をクールダウンさせる。
4階のフロアーに着いて、ひとまず適当な商品POPを物色した。
手ごろな物を見つけて、迷わず商品から剥がす。
大島さんの手に乗るのはしゃくだが、それも仕方がないだろう。
優先させる事はただ一つ。そこに俺の自尊心など欠片も必要としない。
平居が望む場所に辿り着けば、このゲームは終わる。
何も望まない自分は、ただそれを終らせるだけだ。
与えられた役割を果たすため、手にしたPOPを二つに裂く。
……大島さんのお手並み、拝見しようじゃないか。
嫉妬と一緒に、破ったPOPを握りつぶした。
読んでくださってありがとうございます。




