第30話 ◆小森裕子 ベテランチーフの操縦方法
正直びっくりした。
ツケまつげを取ってきた藤井が、昨日食堂で見た藤井とはまるで別人だったからだ。
……なんだ。 美人とは言わないけど、普通に可愛いじゃない。
昨日、どうして土偶モドキな顔だったのか?
それを知る由もないが、こちらが普段の顔と言うなら、まあ、平居の恋心を許しても構わないんじゃないか……と、一転して思ったぐらいだ。
いやいや、私が許す事でもないんだけど……と慌てて傲慢な考えを打ち消す。
『あの……先ほどはすみませんでした』
深々と頭を下げて謝罪する藤井を見ていると、これ以上の反省は必要ないと判断する。
「私も言い過ぎたわ。 ごめんなさいね」
ディープでインパクトな出来事だったが、これで終止符を打つ事にする。
「ついて来て」
藤井を連れて、4階バックヤードを改めて案内した。
1時間程かけて、必要最低限な事をすべて説明した。藤井は素直に話を聞き、メモを必死にとっている。
平居が言っていたように、学ぼうというその姿勢には好印象を持った。
さて、これからいよいよ婦人靴売場の案内に入る。
それと同時に頭が自然に痛くなってきた。
藤井が配属された“婦人靴”は、かなり問題を抱えた部署だ。特に、平居が指名した藤井の教育係は、私の制御が及ばない人物である。
おのずと緊張感が増してくる。
その問題の人物を発見し、藤井を連れて遠慮がちに声を掛けた。
「福田チーフ」
振り返った人物は、あからさまに嫌な表情をこちらに示す。
その態度にも、もう慣れてしまった。
「前にお話した、婦人靴の新人を連れて来ました」
一礼するが、返事はない。
せめて何かしらの反応が欲しいのだけど。
そう思っていたら、藤井が一歩前に出て頭を下げた。
『初めまして、藤井香織と申します』
しかし、受けた相手は「だから?」と言わんばかりの顔をして、無反応を貫いている。
挨拶を返すつもりはないらしい。慌てて言葉を繋いだ。
「藤井さん、こちらが福田久美子さん。婦人靴を10年担当しているベテランチーフさんよ」
福田チーフを手で仰ぎ、笑顔で紹介する。……ところが
『その、歳だけ食ってます……みたいな紹介ヤメてもらえます?』
と釘をさされた。
だったら、自己紹介して欲しい。こちらは褒めているつもりなのだ。
ため息が出そうになるが、そこはグッと我慢する。……言葉を継ごうとした瞬間
『あ、あの、何もわからない素人ですが、一生懸命頑張ります! よろしくご指導お願いいたします!!』
まるで、それしか取り柄が無いと言わんばかりの勢いで、藤井が挨拶を続けた。本当に礼儀だけは正しい子だ。 感心する。 だが、福田チーフは深いため息を返しただけだった。
……大人の対応とは思えないんですけど。
そんなチーフを思わず睨んでしまった。
ところが、相手も負けじと睨みかえしてくる。
『いいですよね……主任さんは。 嫌な仕事は全部、パートに振ればいいんですから』
そうつぶやいた台詞にカチンと来た。すべてを丸投げするつもりなど毛頭ないし、出来れば教育係もすべて、自分で引き受けたかったぐらいだ。
しかし、私の担当はあくまでカジュアル服がメインだ。
もちろん責任者なので、ある程度婦人靴の事も理解している。それでも、モチは餅屋に習う方がいいに決まっている……そう判断した平居が、指導者として福田チーフを指名したのだ。部下として、それに異論を唱えるつもりはない。
しかし、こんな言われ方をされては、私だって我慢できない。
「なにも、すべてを福田チーフにお任せするわけでは……」
『それが逆に、迷惑なんですけど』
私の台詞に被せるように、福田チーフが言葉の歯を立てて噛み付いてきた。
「どういう意味でしょうか?」
ここで喧嘩を買ってはいけない。
そう分かっていても思わず反応してしまう。
『聞いてどうするんです? ご理解できないのに……。それにもう、わかってもらいたいとも思いませんしね』
蔑むような事を言われ、思わずキレてしまいそうになる。
震える手を、硬く結んで耐えた。そんな自分に強く言い聞かせる。
……私は責任者だ。 感情のまま、下にぶつかっちゃいけない。
言い返したい言葉と気持ちを、ぐっと飲み込む。
それでも、笑顔を作って受け流す事なんて出来なかった。
こんな自分は管理者として、平居や田辺の足元にも及ばない。
福田チーフと対峙する度に、その事を思い知らされた。
……二人はどうやって、この毒舌チーフを手懐けていたんだろう。
自分のつたない頭では、まるで想像できなかった。
そもそも初めから、チーフとは分かり合えない位置にいた。お互いの意見がどこまでも平行線なので、結局主任の私が売場の方針をごり押しした形になってしまったのだ。
それが原因で、チーフの反発を買う事になったわけだが……。
これまで、チーフに対して幾度となく関係の改善努力を行ってきた。しかし、ここまでこじれてしまうと、もはや修復は不可能と言わざるを得ない。かと言って福田さんを、他のチーフと入れ替えてもらうわけにもいかなかった。
とにかくこの問題は、解決の糸口も見つけられないまま、日々難解問題へと成長を続けていた。
ため息をついて、その難問からいったん目をそらす。
横目でチラリと藤井を見ると、青ざめた顔で口を開けたまま固まっていた。
……マズイ。 社員の藤井が、すでにパートの福田チーフに呑まれている。
「婦人靴の指導については、福田チーフに全てお任せします。これは平居マネージャーが決めた事です。 よろしくお願いします」
あれこれ言われる前に、とにかく頭を下げた。
顔を上げると仏頂面をしたチーフが、大きなため息をついて仕事に戻っていく。
慌てて、固まったままの藤井の背中を押した。
「ほら、藤井さんもついて行って! しっかり教えてもらうのよ」
『え? ……あ、ハイ! がんばります!』
解凍直後の藤井が、ギクシャクしながら福田チーフの後をついて行く。
その後ろ姿を見送りながら、自分に言い聞かせた。
……大丈夫。 態度は少し問題があるけど、仕事は誰よりも出来る有能な人だから。
しかし、すでに靴箱の山にぶつかってなぎ倒し、その箱を慌てて片付けている新人を、深いため息と共に上から見つめている福田チーフのその呆れた眼差しに、私の不安は募る一方だった。
読んでくださってありがとうございます。
今年もどうぞ「全力!!!トライアングル」をよろしくお願いします。




