第28話 ◆小森裕子 アレはひどいと思う
「大丈夫ですか?」
先ほどから腹部を押さえて平居が顔を歪めている。まさか殴られるなんて思ってもいなかったから、まともに拳が入ったのだろう。
『あいつ……イテテ……腹を殴るなんてありえないだろ』
そう言いながらも、平居は不気味な笑顔を浮かべている。殴られておかしくなったのだろうか?
それにしてもまぁ、藤井に免疫がなかったのだろう。だいたい、イケメン顔にあんな近くで囁かれたら誰でもきっと動揺する。つまり平居のせいでもある。ただ、普通の女子は腹など殴らないけれど。
『……小森。 お前、アイツのお守り大丈夫か?』
「殴られたのは平居さんが悪いんですよ。 大丈夫です」
『いや、そうじゃなくて……』
心配げな顔で、平居がこちらを見てくる。……なんだろう。
『さっき、やけにトゲトゲしかっただろ? 普通じゃないなんて……お前らしくもない』
ああ、たしかに少し言い過ぎたと思う。私らしくなかった。
「申し訳ありません。気をつけます」
『うん、まあ。……あいつさ、ふざけてるわけじゃないんだ。何ていうか、感性が一般と違うって言うのかな。根は真面目で素直なやつだから、言えばわかるし。だからさ、感情的にぶつからないでやってくれるか ……って、俺もできてないんだけどな』
平居がこめかみを掻きながら、苦笑する。……わかっているんだ。自分も感情のコントロールができていない事。
怒鳴り声が聞こえてきた時は、売場の全員が驚いた。平居があんな大きな声で部下に対して怒っているという事に驚いたのだ。思わず私も、急いで止めなければ!……と焦ったぐらいだ。
平居は普段から、部下を怒鳴る事など滅多になかった。特に女子社員に対しては、それが顕著に現れている。もちろん、努力が足りない場合は指摘されるし、ミスをすると容赦なく叱られる。ただ、どんな場面でも、感情のままに怒鳴りつけたりすることがなかったのだ。ニュアンス的に言えば、怒るというより“話をする” と言ったほうが近いだろう。
怒られる側も、きちんと失敗を理解した上で反省できるので、自然に同じ過ちを繰り返す事がなくなっていた。(もちろん、太田のような例外もあるけれど……)
こういった平居教育は、社内でもかなりの評価を得ているのだが……。
「平居さん、……藤井の事、特別扱いしてませんか?」
驚いた目で平居がこちらをみる。すると俯いて大きなため息をついた。
『真木に……言われたんだ。 お前に藤井は育てられないって。 あぁ、意識してるつもりは無いんだけど……。 ダメだな、俺。 アイツの思い通りになってるな……』
予想と違う答えに驚いた。真木部長が絡んでいるとは、思いもよらなかったのだ。
しかし、それでも思う。
「理由は……それだけですか?」
……原因は別にあると。
『え? どういう意味だ?』
なのに、本気でわからないような顔をされた。
もしかして自分自身で気付いていないんだろうか? それとも未だに“社内恋愛撲滅ナントカ”にこだわっているとか? いや、それはそれで問題があると思うのだけど。
藤井に対しての気持ちを聞く前に、朝礼を終えた田辺が足早にこちらにやってきた。
『平居さん、朝礼終わりました』
すぐさま、朝礼の内容報告を簡単に始める。聞き終えた平居が、田辺に礼を言ってこちらを向いた。
『小森、今から俺、太田に注意しに行くから。藤井の事、あと頼むな』
そう言い残して、平居が足早に去っていく。その背中を見送りながら思う。
……どうしてあの子なんだろう。 ……わかんないな。
部下という前に、同じ女としてどうなんだ? ……と、まず非難したい。朝礼の時、よくあの顔でここまで来れたなと、違う意味で藤井には感心していた。
……にしても、アレはひどい。
平居の恋なら、喜んで応援するのに……。よりによって、なぜアレなんだ?
ちなみに、平居の女性の好みを知っている人間は、社内に極わずかしかいない。 基本、平居はそう言う話をしたがらないし、ここ何年も彼女を作っていないからだ。しかし、平居のモト彼女が、自分の友人リストに入っている私は、嫌でもその希少人物の枠に入れられた。
平居が好きになる女の条件は、大きく2つ……背が小さくて、礼儀の正しい子。
食堂で藤井と対面したとき、直感でマズイと思ったのはそのせいだ。そのまんまじゃないかと思ったのだ。
……それにしても。
平居が色恋で部下を引っ張るとは思わないが、さっきの様子を思うと、余計な事を心配してしまう。 朝礼を抜けてまで強行した仲裁だったが、どう見ても二人は、戯れているようにしか見えなかった。相手が上司でなければ、職場でじゃれ合うな!!と、怒っていただろう。
え、まさか……平居はすでに、あの子と付き合っているんじゃ……?
いやいや、それはないはず。 藤井がもし彼女というなら、4階で引き取るわけがない。なぜなら、同じ所属での恋愛は、社内でご法度になっているからだ。平居がそれを犯すとは思えない。
少し冷静になって考えてみる。
しかし、どうにも結論は変えられそうになかった。
……やっぱりアレはひどいな。 ……応援できない。
だいたい、背が小さければ、顔はどうでもいいのか? 絶対おかしいって……。
普通、平居ほどの男であったら、誰だって好きになるのは彼に見合う相手と思うだろう。例えば、美人で仕事ができる香坂のような女だ。
実際、平居と香坂が付き合っているという噂は、社内に絶えず囁かれていた。これは平居にとって、面倒な女子達と一定の距離を置くことが出来る都合のいい噂だった。香坂が相手となると、大抵の女子は身を引く。あんなパーフェクトレディに敵うと思う女は、まずいないからだ。これは香坂側も同じであり、つまり、互いを社内の虫除けに利用する為、噂をそのまま放置させていたのだ。
なのに、実はその相手がマツゲちゃんでした……では、誰も許さないだろう。遠巻きに、見守っていた女子達が、怒りだすのは目に見えていた。
……これはマズイ。
平居が藤井に対して特別な情を抱いているなんて、誰にも絶対に知られてはいけない。 バレたら平居は終わりである。
ああ、それだけは、何としても避けなければ……。
頭を抱える。 ただ、今の時点で気づかれている可能性は少ないはずだ。ここは平居にあきらめてもらって、有耶無耶にしてしまおう。
しかし、どうして私がタレントのマネージャーのような事を、心配をしなければならないのか? 我に返って、逆に腹が立ってくる。
もう少し、まともな女を好きになれないのか! と、平居の偏食を心から嘆いた。
そんな事を考えながら、ため息をついていると後ろから声を掛けられた。振り返ると真剣な眼差しで、田辺がこちらを見ている。
『小森主任。少しだけ、お時間をもらえますか?』
「は、はい」
昨夜の事だろうか? 戸惑いながらも「なんでしょう?」と先を促す。
『昨日は、嫌な仕事を押し付けてしまって……すみませんでした』
いきなり頭を下げてくるので慌ててしまった。
私は年下で、さらに後輩だ。そんな事をされると非常に困ってしまう。
「と、とんでもないです。やめてください。4階の事ですから当然の事をしただけです。逆にこちらがお礼を言わないといけないぐらいですから」
手を大げさに振って否定し、頭を上げてもらった。はにかんだ笑顔がそこにあったので、とりあえずホッとする。
『そう言ってもらえると安心します。昨日、平居さんにかなり怒られたので……』
な! やっぱり怒ったんだ。この人のせいじゃないって言ったのに! もう!
「き、気にしないで下さい。平居さんは思い違いをしていますから」
『思い違い……ですか。 う――ん、まあ、そうだとは言いきれないんですけどね……。それにしても、小森主任は平居さんと仲がいいですよね 』
突然の質問にびっくりする。
「え? あ、同期入社ですから」
『……それだけ、ですか?』
意外に突っ込んで聞いてくる。それだけとは言い難いけれど、ここで詳しい説明はできない。 しかし、平居との間に勘ぐられるような繋がりは一切ない。疑っているのだろうか?
「そ、それだけです。 何もありません」
慌てて強調したのが可笑しかったのか、田辺がクスリと笑う。
『そうですか……。すみません、くだらない事を聞いて』
「い、いえ。別にかまいませんけど……」
それ以上の押しは無いようなので、ひとまず安堵した。
『それと、昨日言った事を訂正します』
「訂正? 何をですか?」
『藤井さんの事です。他所へやったほうがいいような事を言いましたけど……』
そう。できれば他所へやってしまいたい人物だ。
『4階に……というか、平居さんに必要な子だと思います』
は? え? 意味がわからない。 どうして?
『あんな平居さん、初めて見ました。彼も人に怒鳴る事があるんですね。 よっぽど特別なんだと思いますよ。……彼女の事』
思わず額を押さえた。……バレてしまっていたか。
これは田辺が鋭いのか、平居が明け透けなのか、どっちになるんだろう?
『あんなに素直に自分の気持ちぶつけてしまうというか、気持ちを抑えきれなくなる部下なんて、今までいなかったですよね。……僕らも含めて』
考え深げに田辺が言う。
確かにそうですね。しかも、殴られても笑ってましたからね。……なんて答えられない。
はぁ……ため息ばかりがでる。
「やっぱり気付きますよね。……他の子達にもわかってしまったでしょうか?」
『いや、多分大丈夫だと思いますよ。普通、あんな顔で出勤してきたら、上司として当然怒るでしょう? 僕だって怒りますよ。 まあ、怒らないで諭せる、普段の平居さんの方が凄いんですから』
確かにそのとおりだ。 しかし、藤井は平居にとって普通でいられない相手なのだから、かなりやっかいな問題と言える。
『それに、平居さんがあのマツゲちゃんをタイプだとは、誰も考えないですよ。僕だってさすがに驚きましたからね』
は? ……え! そ、そんな事まで、わかってしまうんですか?
田辺の人並み外れた洞察力に、絶句するしかなかった。
……ああ、平居さん。 全部バレてますよ。
『それで、お願いと言うのも変ですが、小森主任は藤井さんの教育係ですよね?』
思案顔だった田辺が、笑顔とともに質問してくる。
「え?……ええ。 身に余る役目ですけど」
思わず、ホトホト困ったという顔を向けてしまう。田辺に苦笑された。
『そう言わずに、育ててあげてくれませんか? あなたの力で……。僕もできるだけ協力しますから』
思わぬ申し出に驚いた。本気で言っているのだろうか?
『とりあえず、小森主任が考えるように、平居さんの心情は他のメンバーには知られない方がいいですね。その点は僕がなるべくフォローします』
「あ、ありがとうございます。」
『いえ。それより藤井さんですが、困った事が起きたら遠慮なく僕に相談してください』
自分が相談できる性格ではないとわかっていても、助けるよと言ってくれるだけで、心なしかなんとかなるような気がしてくる。
相手が田辺だから……だろうか。
「あ、はい。ありがとうございます。とにかくなんとかやってみます」
『小森主任なら、大丈夫ですよ』
極上のスマイルを向けられてしまった。 できればその笑顔を私に向けないでほしい。でないと、何でも引き受けてしまいそうで自分が怖くなるのだ。
とにかく、平居に藤井の事は任せられない事がハッキリした。
田辺の協力は別にしても、私がなんとかしなければならない。
そう思いながら、自分に気合を入れなおした。
読んでくださってありがとうございます。




