第24話 ◆香坂千尋 他人の恋路にワクワクする
『ちぃちゃ~ん。なにかいいことあったのぉ?』
「ん? わかる?」
店の主が注文の品を目の前に置いてくれる。“生春巻き”だ。
ライスペーパーから透けて見える海老に食欲がそそられる。
「3日前にフラれた」
『え!! なにそれぇ?! いいことじゃないじゃないのぉ!!』
「そう?」
スイートチリソースを付けて、1つ口に運ぶ。柔らかい食感の後にプリプリとした海老がやってきた。添付したチリソースの辛味が何とも言えない。最後にやってくるパクチーの爽やかさも完璧である。……やっぱりココの生春巻きは絶品だ。
『たしかぁ、今年に入ってぇ、3人目ぇ? じゃなかったぁ?』
口いっぱいに頬張ったので話せない。指を4本立てて訂正を入れる。
『え、まぁ! びっくりぃ! 美人さんが形無しねぇ……』
適当に笑顔を返しておいた。もちろんフラれて喜ぶバカではない。ただ、落ち込んでいる訳でもない。一言で言ってしまうと、そんなのどうでもいい事だった。
『そういえばぁ、今日はフミちゃん、こないのぉ?』
「ん? ああ、忙しいんだって」
昼間、同期の平居を誘ってみたが、さっき断りのメールが入った。
本館3階の改装が近いので忙しいのだろう。フロアーマネージャーとしてやってきた、3年間の一つの節目の仕事になる……そう言っていたっけ。
ちなみに、同期の内でフロアーマネージャーの役職についているのは平居だけだ。28期入社の中ではダントツの出世頭といえる。まぁ、うちの会社全体でいっても、これだけのスピード出世をしたエリートは真木と平居ぐらいだ。
そう言って褒めてやると『一緒にするな!』といつも平居は怒り出す。……その気持ちも分からないわけではないが、そういう所は意外に子供っぽい。
しかし、さすがにスピード出世すると、自由になる時間も少なくなるという事だろう。そういう平居が少しだけ羨ましいと思うことがある。自分もそのレールの途中まで、競い合っていたからかもしれない。
……まぁ、女だしね。
今の私は本館の売場から離れ、インテリア館2階の責任者として、輸入家具の買い付けを担当している。帰国子女として、自分の能力を存分に生かしていると言えるだろう。
さらに付け加えるなら、今回フラれた相手はフランス人だ。その前はドイツ人で……まあ、公私共にワールドワイドを自負しているわけだ。
食に関していっても、自分は視野が広い方だと思う。
このタイ料理屋もその内の一つだ。
ちなみにここは、平居の行き付けの店である。
何度か連れられて来るうちに、私も気に入って常連になってしまったが、とにかく出てくるタイ料理が、どれも絶品で美味しい。
「よかったじゃん。平居がいないおかげで、お店が繁盛してる」
『そうなのよぉ! ほんと不思議よねぇー!!』
カウンターのみ8席のこぢんまりとした店内は、今は隣しか空いていない。
平居がココで飲みだすと、なぜか店に閑古鳥が鳴き始める。こちらとしては、静かに飲めるのでありがたいのだが、店主にとってはこの上なく嫌な常連客のはずだ。
それなのに、そんな平居と来店しても、いつも店主は笑顔で迎えてくれた。優しさに満ちた広い心の持ち主と言えよう。……そう、心だけはとびきり美しい。
にしても、平居はよくこの店の常連客になれたもんだな……。
そんな事をしみじみ思う、理由の一つが立地の悪さだ。
裏通りの片隅、一番奥ばった所にあるので看板がまるで見えない。よく発見できたものである。
さらに言えば、店構えもおかしい。
タイ料理屋にもかかわらず、見た目は完全に寿司屋なのだ。よくあるカラカラと鳴る横開きの扉の上部に、古めかしい藍の暖簾が掛けられているが、“タイ料理”と染め抜かれているのが冗談にしか見えない。
しかも、扉の横に立てかけられたタテ看板に、拙い筆文字で書かれた店の名が……
“ 俺のパクチー ” だ。
そのチグハグなワイルドさに、興味は出ても、暖簾をくぐる勇気までは、さすがに湧いてこない。……扉を開けようと思った平居を尊敬するばかりだ。
それでもまあ、美食を求めて、その高いハードルを越えてしまう客が、わずかにいるとしよう。しかし、優しく出迎えてくれるはずの店主が、この店最大の試練である事など、勇気ある食の探検家でさえ予想できるはずがない。
……そう、店主は正真正銘のオカマなのだ。
店の名に刻まれた“俺…”はドコにいった? ……客の誰もが思うはずの疑問も、尋ねてくる者は非常に少ない。
あからさまな濃いメイクを施し、食欲が減退するようなキワドイ顔立ちで「いらっしゃぁ~い!」と出迎えられれば、誰でも「ギョ!」っとして、ピシャリと扉を閉めて帰ってしまうからだ。
謎の解明をしている場合ではない! 危ない! ……という事だろう。
……平居は身の危険を感じなかったのだろうか? 鈍感か?
結局、慣れが必要とされるオカマ店主というのは、飲食店のマスターとして致命的としか言えず、それでもその姿勢を貫くマスターは、ある意味立派と言える。
今でこそ、口コミでお客が付くようになったが、開店当時はかなり苦労したようで、(……しないほうがおかしい)その頃から通っていた平居は、店主にとって厄病神でも、大事な客と言うことなのだろう。
……通い続けた平居も、ある意味すごく立派だ。
『フミちゃんには悪いけどぉ、今日は稼がせてもらうわよぉ』
そんなマスターが、今夜も楽しげにカウンターの中で接客に励んでいる。
決して「人」は悪くないのだが、やはり「ナリ」に問題があり過ぎた。
……料理は絶品なんだけどな。 惜しい。
さて、平居が来ないとなると、当初の目的が果たせなくなった。
今夜は別に、フラれた憂さ晴らしに付き合わせる為に誘ったわけではない。それは単なる口実だ。本来は二つの目的があったが、一つは平居のところに配属された新人の話を聞くつもりだったのだ。
これも、ただの新人ならどうでもいいのだが、相手があのPOP室のお嬢ちゃんである。かなり特別な新人だ。平居がどういう反応を示すのか、興味が湧くのは当然だろう。
ちなみに、私がその新人と初めて会ったのは2年前だ。
仕事でミスしたお嬢ちゃんを連れて、POP室の主任だった同期の弥生が、一緒に謝りに来たのが最初だ。
謝るお嬢ちゃんを一目見て、かなりびっくりした事を今でも鮮明に覚えている。
なにしろ、こんなにも平居の好みを、ど!真ん中で身にまとっている女の子が、社内にいるとは思いもよらなかったからだ。
思わず携帯を取り出して、平居を呼びつけたくなった事も思い出す。
まぁ、私が教えてやらなくても、どこで見つけたのか、既に平居は足繁くPOP室に通っていたのだから、笑ってしまったけど……。
そんな男が今、どれだけ顔のネジがユルんでいるのか……是が非でも確かめておかなければいけない。
そう思って、意気込んでいたのに……とても残念だ。
まぁ、二つ目の案件も、急ぐ事ではないからいいけどね。
それにしてもこの先 “社内恋愛は二度としない!” と宣言している平居が、どうやって恋に落ちていくのか……いや、間違いなく恋には落ちているはずなので、どうやってその恋を成就させるのかが楽しみである。
私の情報では、平居のこの恋愛道、険しい山と深い谷しか存在しない。
その最たる事情が、お嬢ちゃんの想い人 “真木部長”だ。
まさに恋の対抗馬が平居の天敵である。こんなにオモシロ…いや、大変な展開がありえるだろうか?
これから何が起きるのか、考えただけでもワクワクする。
しかし、平居のバカ……このままだと、勝負にもならないぞ。
そう思ってしまう理由もある。
これまで、平安貴族並みに想い人の元へ毎晩通っていた平居だが、その効果が全く出ていないのだ。 それどころか、逆にお嬢ちゃんに疎まれるという、ありえない状況に陥っていた。
……避けられてどうするんだよ。 マジでバカなのか?
にしても、平居が嫌われるなんて、相当なヘマをしたに違いない。 ……いったい何をしたのか? まさか! 我慢ができなくなって襲ったんじゃないだろうな?!
……いや、さすがにないか。 平居だって、そこまでバカじゃない。
それでも、まぁ、お嬢ちゃんには悪いが、真木は社内でも有名な愛妻家だ。 間違っても、この二人が不倫に落ちる事などないだろう。 つまり、平居にだって、まだまだ逆転のチャンスがある。
そして、そのチャンスというのが、まさに今回の人事異動だ。
自分のフィールドなら、いくら平居が恋愛不器男であっても、ヘマはすまい。
いや、むしろ何もしなくたっていい。 普通に仕事をしているだけで、大抵の女はその姿に惚れるのだから……。 そばにいるだけで、好感度は自然に上がっていくはずだ。
それにしても、他人の恋路でこんなにも楽しめるなんて、思いもよらなかったな。
よし!……もしも、平居がウエディングベルを鳴らせるようなら、ご祝儀は奮発してやろう。
『なぁにぃ? ニヤニヤして気持ち悪いわよぉ』
マスターが目の前にシンハビールと新しいグラスを置いてくれる。
「ん? 頼んでないけど」
『あちらのお客様から……どうぞぉって』
マスターの言うあちらを向いてみると、20代後半だろう年齢の、イケメン二人が爽やかな笑顔を向けてきた。近くにお勤めのサラリーマンだろうか……スーツがよくお似合いだ。礼儀として微笑みを返しておく。……が
「“彼氏がいる”って言っておいてね」
マスターに耳打ちしておく。後で絡まれたら面倒だ。
『なによぉ。フラれたって言ってたじゃなぁい』
耳打ち返しだ。
「困ってません」
『いい子達よぉ。保障するわぁ』
常連か……余計面倒だ。
「心配いりません。彼氏なんて3分で作れます」
『オトコはカップ麺かい……』 ダミ声でツッコまれた。
『ちぃちゃんもぉ、いいお年頃なんだからねぇ。ちょっと考えなさいよぉ』
なるほど、私も今年で31歳になる。そろそろ3分オトコを卒業して、本気の相手を探すべきなんだろうけど……。
まぁ、とりあえず先に、同じ年齢の平居に本気の恋愛を頑張ってもらおう。
自分の事はそれから考える事にする。
『いらっしゃぁ~い。ごめんね。今、満席なのよぉ』
見ると入り口にカップルが佇んでいる。ちょうどよかった。
「マスター、ここ空けるわ」
『あら、ちぃちゃん。もう帰るのぉ?』
どう考えても私より、あちらの二人の方がお金を落として行くだろう。
「稼げる時に頑張ってください」
『ありがとぅ。心配してくれてぇ』
「どういたしまして」
笑顔でお勘定を済ませ、席を立つ。イケメンズに絡まれる前に退散だ。
そそくさと出口に向かうと、すれ違いざまカップルに礼を言われた。
いいお客が付き始めている事になぜだか自分も嬉しくなっていた。
読んで下さってありがとうございます。




