第23話 ◆田辺真司 美味い酒と不味い酒を飲む
『誰か 待っていらっしゃるんですか?』
「……え?」
待ちわびたような空気を出しただろうか……バーテンダーの白野が、カウンターの向こうから声をかけてきた。
普段は放って置いてくれるタチなので、よっぽどだったのだろう。
会社を出てからなんとなく、真っ直ぐ家に帰る気になれなかったので、行きつけのショットバーで一杯飲んでいた。
「そんな風に見えましたか?……」
『すみません。……なんだか楽しげに見えたので』
そうか、案外顔にでるもんなんだな……。
「……賭けをしたんです」
『賭け?……ですか』
仕掛けは上々の出来だと思う。獲物が釣れるかどうかは疑似餌次第だが、最適な物を選んだつもりだ。……
「そろそろ結果がでる頃なんです。……どうだったのかなって」
『その賭け。何だかブラックな香りがしますね』
「白野さんって……結構失礼ですね」
笑顔で答えたが、これもブラックだったかもしれない。
『申し訳ありません』
彼も、申し訳ない雰囲気は全く無かった。
むしろ当ててやった感がありありだ。
『どうされますか……』
白野が尋ねてくる。
酔いたいわけじゃなかったので、ビアをグラスで飲んでいた。
それがいつの間にか空になろうとしている。……どうしようかと迷ったが
「同じものを……」
『かしこまりました』
もう少しだけ、こんな空気に身を浸しておきたい気分だった。
◆―◆―◆
気分が高揚しているのか、その後、なんだかんだと白野と話し込んでしまった。
こんな夜は自分でも珍しいと思う。三杯目のグラスも、間もなく空になりそうだった。
そろそろ帰らないとな……。
そう思ってチェックを頼もうとした瞬間、ドアベルが響いた。
鳴らした男に、おや?……と思う。
『いらっしゃい』
白野が、隣の空いている席にコースターを置く。
『あぁ、ごめん。ノンアルで適当に……』
平居が出された水を口に含んだ。今宵の彼はどうも不機嫌な様子だ。
つまり、成果は上々ということらしい。
「お仕事は?」
『ノドが渇いただけだ。飲んだら戻る』
……なるほど。一言、物申すということか。
「大変そうですもんね」
『しらばっくれやがって……』
「……何が、でしょうか?」
相手の顔が、かなりふて腐れている。少し、ひと悶着あったのかもしれない。
『……お前、わかってて小森にけしかけただろ』
言われた事は分かっているが、何の事か分からない振りをする。
『あいつに頼んだら、自分が担当するって……言い出すのを分かってたんだろ?』
かなりのご立腹だ。……これは、変に言い訳しないほうがいい。
「……怒っていますか?」
その途端、かなりの目つきで睨らまれた。
事務所で睨んできた目とは比較にならないほどだ。思わず目線を逸らしてしまう。
「……」
返す言葉が見つからない。
すると間を読んだのか、白野が平居の前にグラスを置いた。
『サラトガ・クーラーです』
平居が礼を言い、そのまま口につける。
『……ん? これは、ジンジャエールですか?』
驚いた様子で、白野に尋ねた。
『はい。ライムジュースをジンジャエールで割って、シロップを少し……』
ジンジャエールは彼の好物だ。
聞けば、ケース買いするほど愛飲しているらしい。
平居は時々、なんの躊躇いもなく、そういう子供っぽい一面を自分に見せてくる。
隠してもいいような内容に、こちらも戸惑うことが多かった。
そんな平居に「それ、三●矢サイダーでもよくないですか?」と、ジンジャエール好きを馬鹿にして笑ったら、『バカ!全然違うだろ!』と真面目に怒られた。
……天然なのか? と思うことも多々ある。
そういえば、白野はそれを聞いていて、陰で笑っていたな……。
『うん。……さっぱりしてて、すごく旨い』
平居が上機嫌な声でカクテルを褒め、バーテンダーとレシピ談義に花を咲かせる。
とても気に入ったようだ。
グラスが空に近づくに連れ、その場の空気も軽くなっていく。
その事にホッとしたのも束の間、白野が他のお客に呼ばれてしまった。
一礼して、この場を去っていく。
残された二人の空間に、再び重い沈黙が呼び戻された。
その重さに耐えかねたように、グラスの氷が冷たい音を響かせる。
何も言えないまま、ぬるくなったビアを、飲むでもなく、ただ持て余した。
『真司……』
不意に名前を呼ばれた。
覚悟して振り向くが、視線が合うことはなかった。
『次は…………許さない』
……本気の警告だと知る。
「……わかりました」
襲ってくるこの気持ちが何なのか、自分にはよくわからない。
……が、すごく息苦しかった。
『ただ、小森は外すが、お前には甘える事にするよ……』
緊張した空気を壊すように、平居が何だか悔しげな顔で告げてきた。
その顔を見て少しだけホッとする。
すべてを拒絶されたわけではないらしい。
『明日の朝には作業書、デスクに置いておくから……後を頼む』
「……承知しました」
引き換えにという事だろうか? ……急がなくても間に合わせられる仕事なのに。
『白野さん。……これで』
平居がカウンターの上に1万円札を置く。
慌てて白野が釣りを用意するが……
『隣の男の分も入れておいて』
そう言って釣りを受け取らずに席をたった。
……今夜の自分はすべてにおいて行き過ぎたようだ。
残りのビアを飲み干して思う……後味が悪い。
今夜は一杯で止めておけばよかった。自業自得だが、美味い酒で終われなかった事を残念に思う。
さらに、後悔という言葉が自然に頭に浮かんできた。
自分にとって嫌われたくない相手が存在するという事を、今夜自覚させられるとは夢にも思わなかったからだ……。
……ホント、嫌な男と出会ってしまったもんだ。
ため息をつくと、嫌味な笑みを向けてくるバーテンダーを睨みかえし、そのままチェックを頼んだ。
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