第22話 ◆小森裕子 イケメン・ズに頼まれる
『あれ? 今日は直帰じゃなかったんですか?』
3階の事務所に入ると、主任の田辺が不思議そうな顔をこちらに向けてきた。
「ええ、そのつもりだったんですが……少し心配事がありましたので」
『なるほど……女性の勘はよくあたるものですね』
「え?」
『小森さんトコの新人さん。いきなり問題をおこしたんですよ。初日なのに』
まさに頭を殴られたような衝撃を受けた。
恐る恐る聞いてみると、その内容に再び頭を殴られた。
……なにそれ。 ありえないでしょ。
今現在、デスクに平居の姿が無いのは、本館長に呼ばれて事情説明をしているらしい。
つまり、怒られているという事だ。
……だから、心配していたのだ。 POPの子なんて使えないって。
しかも、食堂で顔を合わせた瞬間、“この子はマズイ”と思ってしまった。
田辺の言うところの“女の勘”である。
今すぐ返品出来ないか? ……と現実的でない事まで浮かんだぐらいだ。
ああ、しかし平居も平居である。
お気楽な事ばかり言っているからこんな事になるんだ。この際、彼も少しは反省した方がいい。
ため息をついて自分のデスクで頭を抱えてしまう。
この先、そんな問題児を自分が指導していかなければいけない。いや、まずこの責任を取らなければいけない。まだ何もしていないけれど、私は監督役である。
……もう、勘弁してほしい。
『平居さん、どうするつもりでしょうね……その子』
心配げな顔で田辺が聞いてくる。……本当に平居はどうするつもりなんだろう。
「他所へ出したりできないと思います。非情になれない人ですから」
非情になれるのなら、とっくに太田など他所へ切られている。
『それが平居さんの長所でもあり、短所でもあるんでしょうね……』
田辺が苦笑いを浮かべた。
……本当に。 ただ、最近短所に傾きつつあるような気がしてならなかった。
『まぁ、平居さんが出来なくても、必要があるなら誰かがしますよ』
田辺が淡々とした口調で述べる。
まさに自分が肩代わりしそうな様相だ。……背筋が凍る。
この人なら平居の為に、躊躇う事なくそれをやって退けるのだろう。
彼は仕事に情を持ち込んだりしない。
田辺は、その笑顔の下に、氷のような仮面を隠し持っている。
私も最近知ったばかりだが、その仮面の存在を知る人間は非常に少ない。
普段は温和な好青年で、優しい雰囲気に包まれているからだ。
なんとなく田辺の顔を眺めていたら急に目線が合った。
柔らかい笑みを返してくれる。
『僕の顔に、何かついていますか?』
「い、いえ。……すみません」
慌てて目線を逸らして俯く。
見とれていたのに気がついたのだろう。わざと弄ぶような台詞を言ってくる。
平居も端正な顔立ちだが、田辺も負けてはいない。しかも188センチの細身で長身な体型が、モデル並みに様になっていた。さらに眼鏡の下の涼しげで切れ長の目は、笑うと少し垂れ下がり、優しいまなざしに変るので、女子社員からの人気も高かった。
ただ、残念な事にお付き合いの長い彼女がいるので、人気の軍配は平居に上がってしまうのだけれど……。
『小森主任……』
急に名前を呼ばれてびっくりする。
「は、はい」
『あなたにお願いがあるんです。……あなたにしかできない事』
え? 私にしか出来ない事?
『僕の頼みを聞いてもらえますか……』
田辺の視線が真っ直ぐに私を射抜いた。
◆―◆―◆
『あれ? 小森、どうしたんだ? 直帰だろ?』
疲れきった顔で平居が事務所に戻ってきた。
「仕事を思い出しましたので……」
『ん、仕事? 急ぎのものなんて持ってたっけ?』
その質問には答えなかった。
平居が自分のデスクに腰掛ける。……と同時に、深いため息をついて天井を仰いだ。
本館長に随分と絞られたようである。
『あれ? 田辺は?』
「先ほどあがられました」
『あぁ、そうなんだ』
特に気にする事もなく、平居が疲れた顔のままパソコンに向かう。
……タイミングを失う前に行こう。
「平居さん」
デスクの前に立ち、対面する。
『ん? 何?』
「先程、田辺主任から藤井の事を聞きました」
瞬時に平居の顔が、苦虫を噛み潰したように歪む。
『あぁ、そうか……聞いたのか。 んー、悪いな。ちょっと計算違いな事がおき……』
「藤井の事は改めて、明日から私が教育し直します」
平居の語尾を引き取って、こちらから宣言した。
『え? ああ、うん。そうなんだけど……思ったより厄介な状況で……』
「予想した通りという事ですね。 致し方ありません」
ここも語尾を引き取り、反省を促す。
『いや……そこまで言わなくてもいいんじゃないか?』
拗ねた声色の平居にぴしゃりと言って聞かす。
「では、どこまでなら許されますか? 実際は、もっと言いたい気分なんですが!!」
『わ、悪かったって。……ごめん。 俺の認識不足です。甘かったです』
平居が慌てて謝ってくる。無駄な言い訳はしない人だ。
しかし、本当にとんでもない新人を引き当ててくれたものである。
『散々、上で怒られてきたから……もう勘弁して』
本館長の顔が浮かんだのか、平居の顔に再び疲労感が滲み出してきた。
「でしたら、平居さんに聞き入れて頂きたい事があります」
『え?……ナニ? かな。 ……もしかして、仕事?』
「はい」
『あ、う―――ん。俺……今、けっこう手一杯なんだよな。それって急ぐ?』
「はい」
平居ががっくりと肩を落とす。こういう前置きをするのは珍しい事だ。本当に手持ちの仕事をかなり抱えているのだろう。やはり田辺の言った通りだった。
『で、何……?』
しかも断らないのが平居らしい。……困った人だ。
「佐野さんの仕事を私に任せてもらえませんか」
『え?』
書類をデスクに提出する。
平居が手にとって確認した。予想の通り、その表情が固まる。
『これは……どういう事?』
平居の声が硬くなった。ここから冗談は通じない。
大事な場面だ。一度、深く息を吸ってから声にだした。
「クリスマスコラボの企画案です」
『見たらわかるよ……どういうつもりなのかを聞いてる』
「私の担当で引き継がせてもらえないでしょうか」
『はぁ? 俺の仕事だぞ。何の……』
「承知しています。その上でお願いしているんです」
最後まで言わせないうちに、自分の言葉を被せて嘆願する。
……平居が考え込んでしまった。
『……田辺だろ』
「……」
思いの外、早くにその名が出てしまう。
『アイツ……相手が佐野さんだから、わざとお前に担当を頼んだな。……アッタマきた』
そう言うや否や、平居が携帯を取り出して電話をかけようとする。多分相手は田辺だろう。……そう思った瞬間、平居の携帯を思わず取り上げてしまった。
『え?』 平居が驚く。 ……自分でも驚いた。
「た、田辺さんはこの企画書を平居さんに通して欲しいと言ってきただけです! 私が企画者名を自分に替えて欲しいとお願いしました。……その方がスムーズに進むと思ったんです。すべて私の考えです。責めるなら私を責めてください」
さらに平居が驚いている。
『お前が担当するという事が、どういう事か……わかっているんだろ?』
「……はい。承知の上です」
『嫌な思いをするかも知れないんだぞ』
「仕事ですから、覚悟しています」
強い気持ちを持って宣言した。しかし、平居が深いため息をつく。
『たしかに仕事だけどさぁ……何でわざわざ? 俺に任して置けばいいじゃないか』
「それは……」
話す事に躊躇いを生じた。田辺に言わないで欲しいと嘆願されていたからだ。
それでも納得してもらう為には、平居に話すしかないと決断する。
「じつは、今回の事がある前から、田辺さんにお願いされていました」
『お願い?』
「……はい。 今度の3階の改装は、4年ぶりの大改装だから平居さんの責任は重い。だからできるだけ集中できる環境にしてあげたいと……そう言われてたんです」
そう告げたとたん、平居の顔が再び歪んだ。
『なんだそれ? ……俺も、えらく見縊られたもんだな。 それぐらい、集中しないと出来ないような事じゃない』
少し、怒った口調に気持ちが怯んだ。 しかし、ここで引き下がるわけに行かない。
「それでも、上司に大きな成果を上げて欲しいと思う部下は、おかしいでしょうか?」
『そ、……れは……』
逆に平居が躊躇った。 このまま押せるかもしれない。
「藤井の教育係りは、私なりに覚悟を持って受けたつもりでした。 それなのに、いきなり平居さんの手を煩わせる事になってしまって……本当に申し訳ありません。この責任を取らせて下さい」
『いや、小森の責任じゃないし』
「いえ、こんな日に外出すべきではありませんでした」
『いや、だから、許可したのは俺だし』
「いえ、私の判断も甘かったと思います。やっぱり……」
『ああああ!! 止めよう! 』
いきなり、平居が手を大きく振りかぶった。何かを一掃した感じだ。
「あの……」
『こういう不毛なやり取りは好きじゃない。 責任の所在の話なんて、いまさら無意味だろ? すでに話は、これからどうするか……だよな?』
そう言われて我に返った。確かに無駄なやりとりだ。
平居がもう一度企画書を熟読し始める。
奪った携帯をデスクに戻し、返事を待つ。
『そう言えば……田辺は3階にくる前、佐野さんの下だっけ?』
そう。 1階で3年働いている。
『なるほど、佐野さんの好きそうな企画内容だな……』
……私も目を通してそう思った。
例えば、1階がイチ押しする“ハンドクリーム”と、4階服飾小物が今年力を入れている“手タレが愛用する、肌に優しい手袋”を使った企画。
“素敵な指先に仕上げて、イブに指輪をはめてもらおう”……と銘打った、まるで佐野マネージャーの頭を覗いたのか? と疑いたくなるような内容だった。
その他に上げられた企画も、同じようにロマンチックテイストな路線である。
気付くと平居が、またも頭を抱え込んでいた。
『……アイツ。どうやったらこんな短時間で、これだけの企画書が書けるんだよ。 何物だ? 田辺は人間じゃないのか?』
その質問に笑いたくなった。
そう教育して仕立て上げたのは、紛れもなくアナタだ……。
その平居が、大きなため息をはいて結論を出す。
『ここまでされたらな……。あぁ、もぉ――!! わかった!……わかったよ。 今回は田辺に甘える事にする。……ただし! 担当は俺が続ける』
「平居さん!」
思わず叫んだ。どうして田辺だけなのか? 納得がいかない。
『小森には引き続き、藤井の教育と監督を頼む』
「納得がいきません。それもきちんとやれます!」
『状況が変ったんだ。聞き分けてくれ』
ぴしゃりと言い切られた。それでも納得がいかず前のめりになる。
「でも……」
『小森……。藤井はどう見ても一筋縄ではいかない相手なんだよ。……多分、俺やお前が想像している以上の……そうだな、アイツはモンスターかも知れない……』
モンスター……って、どういう事ですか? それは破壊をもたらすって事ですか?
『ホント……ちっちゃいのにゴジラ級なんだよ……アイツ』
平居が小さな声でぼやいた。
そのまま、自らのゴジラ発言に項垂れる。
つまり、要約すると、藤井は使える使えない以前の問題で、状況がとても深刻だという事らしい。
まったく……信じられない。 だから、引き取って大丈夫か確認したのに……。
今更言っても栓の無いことだが、ため息しかでてこなかった。
『……ごめん。マジで申し訳ないんだけどさ。油断せずに、暫く藤井を見守ってやってくれないか? ……頼むよ。 俺でも、手に余るぐらいなんだ。……アイツ、ホントに要注意人物なんだよ』
悲しげな顔で、平居が訴えてくる。
……そうですか。 あなたがそこまで仰るというなら、そのモンスターとやらを完璧にしつけますよ。
「わかりました」
新たな平居の頼みを、不承不承引き受ける事になったのだが、この言葉をもっと真剣に受け止めておけばよかったと思うのは……もう少し後の事になる。
読んで下さってありがとうございます。
※手タレ……手を専門としたパーツモデルさん。もちろん、手が美しい人。




