第21話 ☆平居郁人 腹黒インテリこのヤロウ!
『先月分の資料です』
3階、主任の田辺がレジュメを手渡してくる。
店の営業時間も終了し、各自が1日の終わりに向けて、または明日の営業に向けて、それぞれの仕事の手を加速させていた。
多くの人間が早く帰宅したいと願い、そして帰れない現状にジレンマを抱く時間だ。かくいう自分もその一人である。
……仕事が終わらない。
憂鬱になりながら、渡された書類に目を通す。
『酷暑が続きましたので、夏物の在庫処分が順調でしたが、秋物の出だしがよくありません。全体的には芳しくない傾向かと……。9月の予想気温も微妙なところです』
気温のグラフを上に載せてくる。最新の気象予報データだ。
「そうか……。うーん、今年もいきなり寒くなる年かもな……。秋にこだわらず、早めの冬服も考えておいたほうがいい」
『各部門に秋在庫の管理と、冬展開の内容をもう一度確認して置きます』
「うん。……頼む」
俺が言うまでもなく、田辺なら、すでにその指示は出しているのだろう。
これは言わば意思確認だ。上司を立てた形での。
だいたい、まだ月初めの1日だぞ……。
すでに先月のデータをまとめ上げて、傾向と対策を付け、必要な情報を添付して上司に報告するって……どんだけ仕事ができんだ、お前。
こうやって俺の仕事の負担を減らしてくれる部下もいれば、いらぬ仕事を増やしてくれる部下もいる。……うまく出来てるもんだな。感心するよ。
褒めて喜ぶ相手なら、ここで「ありがとう」の一言でも付け加えるのだが、田辺は逆にイヤミを返してくるので、あえて流して話を次に進める。
「ブランドの梃入れはどうなってる?」
「大丈夫です。改装に間に合わせます」
「頼んだぞ。……足並み揃えてオープンしたいからな」
『はい。……ところで平居さん。その3階フロアーの改装の件なんですが……』
うっ……。 ヤブヘビになった。
「……悪い。作業書だよな。応援要請もいるから急ぐよな。……明日の朝までに揃えておくから」
もう、まとめてるはずだったんだけどな……。くそ。
『幾分、余裕がありますから大丈夫ですけど……平居さん、何か急ぎの仕事でも入ったんですか?』
「ん? ああ、まぁ、予定外の物がね……。よくある事だよ」
『そうですか……。ちなみに、4階の新人が何かやっちゃったと、1階で噂になっていましたが……大丈夫ですか?』
え?……噂になってるのか、アイツ。
マズイな……フォローをいれとかなきゃいけない……。
『しかも、平居さんの怒号を初めて聞いたと言うレアな体験談が、女子社員の中で、早くも話題沸騰になっていますが……』
え!……マジか! あぅぅ。 やっぱり、ちょっと声を張りすぎたかな……と懸念していたんだ。
「まぁ……。ちょっとワケがあって」
『大声で怒りたくなるような……そんな理由があったと言う事ですね?』
「そ、れは……その」
そう言われると、あそこまで怒る事じゃなかったな……と改めて思う。
実は、直接清算を隠れてやってしまう社員は意外にも多かった。
この事象は、社員のモラルの問題以上に、社販システムの使い辛さに問題があり、本部はその改善を求められているにも拘らず、依然としてこの問題を放置したまま、上層部の体たらくぶりを露呈させていた。……ホントに情けない話だ。
話しは逸れたが、不備はあっても規則は規則。あんなに大胆に、かつ堂々と違反されたのは初めで、そこは俺の気持ちも考慮して欲しい。
とは言っても、佐野さんにやりこまれて、腹いせに怒鳴った理由の方が、はるかに大きい事も分かっている。それについては素直に反省する。上司として、やってはいけない八つ当たりをしている自覚が、少なからずあるからだ。 それでも……
「……いろいろあったんだよ」
言い訳がましいが、わざわざ田辺に言う必要もない。
これをネタに、コイツに突かれるのは非常に不愉快だからだ。
『いろいろ?……それは、佐野さんの、例のムチャ振り企画を押し付けられた……などが該当するのでしょうか?』
……ぐうの音もでなかった。
オマエぇ……全部知ってて、ワザと小出しにしてきやがったな。
佐野さんに完敗した事。藤井に八つ当たりした事。
気付けば全部まとめて、情けない気持ちが自分の中で増殖されていた。こうなると、上層部うんぬんと言える立場じゃないなと自嘲するしかない。 まさに自分も体たらくだ。
しかし、悔恨の培養をコイツに頼んだ覚えなど無いというのに、反省を促されている気がして腹が立ってくる。
知っていたつもりだが、相変わらず田辺の腹は真っ黒だ。
……ああ、もう!
「そうです! やられましたよ! 見事にね!」
半ば、なげやりな感じでそれを認めた。
田辺が “ 非常に驚いた!” という顔をする。
明らかな三文芝居である。……ムカツク事、この上ない。
キッ! と睨み返すと、相手は余裕の笑みを浮べてきた。
……どうにも連敗続きだ。 どうした、俺。
主任ごときに負けていて、大丈夫なのか?
ため息ひとつ吐いて、目の前の男を見上げた。
主任ごときと悪態をついたが、田辺は俺が認めた社員の中でも、特別な存在だった。
こうやってやりこめられるのも、意外と悪いことばかりじゃないと思っている。
田辺は、俺が初めて3階のフロアー長になった時、補佐役として選んだ相手だった。
まぁ、俺以上に仕事ができるので、補佐というよりも、ほぼ相棒 と思っているけれど……。
有能なくせに出来ないフリをして、のらりくらりとやり過している田辺を、俺の相棒として口説き落とす作業はかなり大変だった。
当時の田辺は、とにかく出世に興味がないし、他人を信用しない男だったからだ。しかも、彼にとって俺は “ 同級生で後輩社員なのに上司 ” という、かなり複雑な立ち位置にいた。口説き落とした後も、ここまでの関係を築くのに、かなりの時間と労力を要したのはそのせいもあったと思う。
しかし、苦労した甲斐あって、今では誰が見ても、俺の右腕と呼ばれるほど、優秀な社員に変貌してくれていた。
誰もがその急速な変化に驚嘆したのだが、今日び、なぜか本人を賞賛するよりも、俺の教育の賜物だと誤認されている。
もちろん、コイツを教育した覚えなど俺にはない。あるとするなら、もともと隠していた本人の能力を、暴いてやった事ぐらいだろう。
ちなみに、身に覚えのない賛美の矛先が俺に向いているのは、田辺本人がそう仕向けたからだ。なぜそんな猪口才なマネをするのか、正直理解できないでいる。
俺は、褒められると素直に嬉しいタイプなので、褒められても嬉しくないという、田辺の天邪鬼的な発想が理解できないのだ。まあ、困らないので好きにさせているけれど。
なんにしても田辺が、今の俺にとって必要不可欠な存在であることに変わりはない。
にしても、その優秀さを、俺以外に向けて発揮してもらえると、ありがたいんだけどな……。
『めずらしいですね。平居さんが他人に蹴り落とされるなんて』
む! まだ落ちてないわ! 蹴られたぐらいだ!
……前言を撤回する。 やっぱりコイツの変貌は、俺の癇にしか障らないようだ。
田辺が、眼鏡のズレを中指一本で眉間に押し戻しながら聞いてくる。
『で、なにか手伝える事がありますか?』
このインテリヤロウめぇ――。
ったく、回りくどい事をして、結局それが言いたかったんだろ!
「……今回はいい。おれの失敗だし、自分で方をつける」
決して強がっているわけではない。
普通に考えて、1階と4階のコラボなのに、無関係な3階の主任に甘えるわけにいかないじゃないか。
『素直じゃないですね……』
「う、うるさいわ!!」 ……その台詞! お前にだけは言われたくない!!
だいたいその上から目線はなんなんだ!! これでも俺は、お前の上司だぞ!
そのインテリ眼鏡は伊達か?!! 歪んで見えるなら割ってやるぞ!!
憤慨していると、田辺がニコリと笑ってきた。
『わかりました。困ったときは遠慮なく申し付けてください』
な! 自分だけ大人の対応か? 俺だけ子供みたいじゃないか!!
「心配無用だ!!」
引きつりながらも笑顔で返してやる。
と同時に携帯の呼び出し音が響きだした。俺の社内フォンだ。
取り出して着信相手を確認する。
「西尾さん……だ」
嫌な予感がした。……こういうカンを、俺は外した事がない。
『本館長……ですか?』 田辺の顔にも不安の色が浮かぶ。
通話ボタンを押した。
「はい、平居です」
(平居か? お前、今日1階を騒がせたそうだな……)
……マズイ、フォローが出遅れた。
「申し訳ありません……」
(とりあえず、説明に来い。話はそれからだ)
ヤバイな。何でだろう……今日はすべてが後手後手にまわってしまう。
「すぐに伺います」
通話を終えて、盛大なため息をついてしまった。
『……大丈夫ですか?』
これは田辺の本気の心配だ。
「ああ……大丈夫。怒られるのは俺の仕事だからな……」
ただ、その内容がよろしくないけれど。
『……平居さん。差し出がましい事を承知で言わせてもらいますが、今回の人事、本当に4階のプラスになるんでしょうか? ……事の次第によっては、早めに切り捨てるという選択もお考えになられた方が……』
あぁ……お前までそう言うのか。
くそぅ……。俺、間違ったのかな……。
お前に言われると、途端に自信がなくなってくるよ。……ダメだな。
ブレブレの俺の心中を察したのか、田辺が意見を引っ込める。
『申し訳ありません。出過ぎた事を言いました』
「いや、うん。まぁ、とにかく営業事務所に行ってくる」
俺を信じろ……と言い切れない自分が情けない。
とりあえず席を立って3階事務所を出た。返事は自動的に保留になる。
第一営業部事務所は本館最上階にあった。
エレベーターのカゴが来るまでの間、田辺の言葉が頭を巡る。
“切り捨てる”……か。
場合によっては本気で考えなければならない事だ。フロアーマネージャーとして当然の責務である。……ため息が自然に洩れた。
今、考えるのはよそう。まともな判断ができるとは思えない。
思考を切り替える為、プライベートフォンを取り出してすばやくメールを打つ。
とりあえず、今日は仕事の方が付きそうになかった。
“悪い。今夜は無理だ”
送信して数秒、返信が来た。
“了解”
短いメールである。お互い約束を反故にしても怒る間柄ではない。
……今夜、香坂は飲み明かすんだろうか?
できれば俺も飲んだくれてしまいたい気分である。
……いやいや。 ダメだ! しっかりしろよ!
こんな不抜けた気持ちで本館長の前に立つわけにいかない。
あっという間に足元すくわれるぞ! 気の抜けない相手だろう!
両頬を平手で何度か打って、気合を入れなおした。到着したカゴに颯爽と乗り込む。
……とにかく今は、言い訳無用の謝罪だ。
読んで下さってありがとうございます。




