第20話 ♪藤井香織 運命の出会いを果たす
その日の午後から、形だけのまったく意味を成さない筆記試験を受けさせられた。
まぁ、成績は悪いほうじゃなかったので人並みに解けていたと思う。
他社でも、面接で落ちたのであって、筆記で落ちた事は無かったし。
ただ、その試験の後に運命の出会いがあったのだ。
本来なら役員面接の前に済ませたかったんだけど、多忙な人でね……と倉田さんは言っていた。連れて行かれたのは総務の応接室だ。
倉田さんがノックしてドアを開ける。
『失礼します』
そう言って中に入ると、ソファに腰掛けていた男性が立ち上がった。
その人は180センチを優に超えているだろう身長と、ガッチリとした体型で、いかにも男性特有の威圧的オーラを放っていたが、その上についた甘いマスクがよいカンジにそれを中和させていた。
『連れてきました。こちらが藤井香織さんでPOP室に配属される代わりの子です』
倉田さんが私を紹介したあと、履歴書を相手に渡した。
『無理言ってすまなかったね。ありがとう、倉田君』
そういって受け取る笑顔が素敵な人だな……と思ったのを覚えている。
『藤井さん。こちらPOP室が所属する営業企画部の部長で、君の上司になる方だよ』
『真木です。これからよろしく頼むね』
男の人に握手を求められたのは、多分人生で初めてだったと思う。大きな手だった。
「ふ、藤井香織です。よろしくお願いします」
手を握り返してその温かさに驚いた。声が裏返りそうになる。
『それでは、私はこれで失礼します』
そう言って倉田さんは一礼して部屋を出て行く。
二人きりになって、より緊張感が増した。
『そんなに緊張しないでくれないか、簡単な面談だよ……。これで採用を取り消したりしないから』
そう言って、緊張を解すように笑いかけてくれる。
「は、はい」
しかし、朝から不安と心配でいっぱいだったせいか、体の強張りを解くことなど出来ずにいた。
『まぁ、とりあえず座って』
「し、失礼します」
勧められるままにソファに腰掛ける。目の前には相変わらず優しく微笑む部長さんの顔が見えた。どぎまぎして自然に俯いてしまう。
『藤井さんは……』
目線をちらりとあげると、部長さんは私の履歴書に目を落としていた。
『どうしてPOP制作室のアルバイト面接を受けようと思ったの?』
すぐに、役員面接用に事前に用意していた志望動機が頭に浮かんだ。
ゆっくり思い出しながら話そうとした瞬間、ふと思う。
……アルバイト面接? あ、普通の理由でいいのかな?
目の前の部長さんはやっぱり優しく微笑んでいた。
そのせいかもしれない。堅苦しい言葉を脱ぎ捨て、自分の思うままにどれだけ文字を愛しているかを夢中で語ってしまった。しだいにその勢いが止まらなくなる。
こんなに熱く、文字について語ってきた事などこれまでなかった。
いつもは聞く相手が遮るか、または白けたムードを必ず醸し出されたからだ。
でも目の前の紳士は、私の下らないであろう話に真剣に耳を傾けてくれている。
話を聞いてくれるという行為が、こんなに優しさに満ちたものだなんて、今まで感じたことがなかった。 ……ただただ、嬉しかった。
「……POPライターは、私の天職なんです!」
そう言い切ったあと、なぜか沈黙の時間が二人の間に流れる。
あ……ひいてる、かも? す、すこし張り切り過ぎたかもしれない……ジワジワと後悔の波が襲ってくる頃、ようやく部長さんが口を開いた。
『藤井さん。君はすごく面白い女性だね。……うん。ありがとう、面接に来てくれて。これは神様に感謝しないといけないかな』
まさに目の前にいる紳士こそが神様ではないかと思える程、慈愛に満ちた笑顔を向けてくれる。
『僕は、君のような人が来てくれるのを待っていたんだ』
信じられなかった。拒まれても仕方がないと思っていた。
そう、これまで就職活動のすべての面接で、尽く白い目で突き放されてきたのだから。
なのにこの人は、私を受け入れてくれた。
しかも、こんなにおかしな事をべらべらと話した上でだ。奇跡じゃないかと思えた。
またそう思った瞬間おかしなもので、急速に自分の事に自信がなくなっていった。
「あ、あの。……私、そ、それしか出来ないんですけど」
『もちろんかまわないよ。POPライターとして来てもらうのだから』
こんな事がホントにあっていいのだろうか? ……私だよ! 私!
「あ、あの。こんな変な人間ですけど、よろしいのでしょうか?」
『ん? どういう意味だい?』
思わず確認してしまったが、自分で言っておいて言葉が続かない。
これ以上喋れば自分を卑下する言葉しか出てこないからだ。
『うーん。それって変と言うより個性的ってことじゃないのかな? 僕は素晴らしいと思うけど……君はどう思う? 個性的な人間はダメな人間だと思うのかい?』
「い、いえ! そんな事はないと思います」
『だったら問題ない。……そうだろう?』
にっこり笑ったその笑顔に、すでに私はメロメロだった。
“ FALL IN LOVE ”
恋の落とし穴はどこに掘ってあるのかわからないモノである。
『バッカじゃないの。何、ノロケ話してんのよ!』
「えええ!! いいじゃん。聞いてくれてもぉ。馴れ初めなんだしぃ。」
呆れた顔のあっちゃんが、就業規則の冊子を丸めて殴ってきた。
「いたぁぁ!! なにすんだよ」
『馴れ初めっつうのは恋人になってから使う言葉! なれても愛人だっつうの!』
ちょっとむくれた顔であっちゃんを睨んでやった。わかってるもん。
『何度言ったらわかるかな……。妻子もちに惚れてどうすんの?』
む! 仕方ないじゃん。
「妻子もちに惚れたんじゃなくて! 惚れた相手が妻子もちだったの!」
『その微妙な違いに何の意味がある? ん? 不倫したいのかい?』
「しません! 絶対しません!」
それだけは神に誓ってもいい。そんな事は決して望んでいない。
『だったら、どうしたいわけ? そんな未来のない恋……意味あるの?』
うっ……。 い、意味は無くても……
「片思いだって恋の一つでしょ。仕方ないじゃん。真木部長の事がスキな……」
“ バッチ――ン ”
盛大な音を立てて、あっちゃんに横っ面を引っぱたかれた。
え? な!な!な!
「なにすんだよぉぉぉぉ!!!!」
『お疲れ様で――――す!!!!』
被せる様に、あっちゃんが立ち上がって叫ぶ。
はぁ? なんだ?
振り返って、あっちゃんの視線の先を確認すると……
のぉぉぉぉぉぉぉ!!!! ジェントルマン!!!!!
『お疲れ様……ってあれ? 藤井、どうして事務センターにいるんだい? 今日、異動の初日だったんじゃなかったのかい?』
え、いや、それは……
『平居さんにクビって言われたんです』
あっっっっちゃ――――ん!!!! なんて事言うんだ!!
さらりと爆弾発言をするあっちゃんに、アゴを外して驚いた。
『え? もう? えぇぇー!!』
目を見開いて驚く真木部長。
って、なんですかぁぁ!! 部長ぉぉ!! 真に受け過ぎです!!
『……じょ、冗談ですよ。部長』
あっちゃんも驚いて、慌てて訂正する。
そうです! イッツァ、ジョーク! です。
バカバカバカ! あっちゃんのバカ! 部長に嫌われたらどうすんだ!
『おいおい。びっくりするじゃないか。藤井ならあり得るから本気にしたよ』
「ぶ!ぶちょぉぉぉぉぉ!!」
それはあんまりです!! ひどいじゃないですか!! ショックです!!
項垂れて悲しんでいると、頭の上にポンと大きな手がのった。
『ハハハ……冗談だよ。藤井』
のぉぉぉぉ……部長まで……ヒドイです。泣いてしまいますぞ。
落ち込む私に笑顔を向けてくる部長。そのスマイル光線は、曲がったへの字口が思わず逆を向くほどの凄まじい威力をもっている。……なんて、喜んじゃう私もどうかしてると思うけど。
しかし、今頃になってあっちゃんに叩かれた左頬がジンジンと痛みだしてきた。
咄嗟の機転とは言え、思い切りが良過ぎませんか?
これ、腫れますから……。
頬もマブタも腫れまくりで、本日、顔が瀕死状態である。
……乙女なのに。
『で、どうして就業規則なんて、復習させられているんだい?』
まるまった黄色い冊子を持ち上げて、ジェントルマンが聞いてきた。
『それが部長、聞いてくださいよお うご ごご ご』
慌ててあっちゃんの口を塞ぐ。
「たいした事ではありません。ホホホホホ」
友よ! なんでもかんでも部長に報告しないで下さい!
『……なるほど。藤井にとっては、営業時間中にレジを使うことなんて、たいした事じゃないんだね?』
「!!!!」
どどどど、どうしてご存知で?
『僕としては、一番社員がしちゃいけない事だと認識していたんだけどな……。藤井との見解の相違に、元上司としてはとても残念に思うよ』
にょおおおおおお!! すみません!! もうしません!!
「も、申し訳ありませんでした!……二度と致しません!! ごめんなさい!」
全力で頭を下げた。 ダメなら土下座も厭わない。
『わかってもらえてるなら結構です。……ダメだよ。約束ごとは守らなきゃ』
大きな手が再び、頭の上に乗っかてきた。
どうにか許してもらえたようなのでホッとする。
『でも、藤井はこれ、読んだ事がないのかい?』
ジェントルマンが黄色い表紙をこちらに見せながら、じぃーっと私の目を見つめてくる。
その目を見ていたら、とんでもない事を思い出してしまった。
『ま、今回いい機会だから、よく読んで勉強しなさい。それじゃあね』
冊子をテーブルにおいて、ジェントルマンは立ち去った。
『うーん。すごい情報網を持っているとは聞いていたけど、ここまで早いとはね……。
カオリン、あの男、やっぱり近寄らないほうがいいよ。……って、どうした? カオリン?』
あっちゃんが、テーブルに突っ伏している私を揺り動かす。
「私、とんでもない事思い出しちゃった。」
『え? とんでもない事?』
「この黄色い冊子、多分お家にある。……それも新ピンで」
『はあ?』
「あの入社面談の後、部長に頂いたの。よく読んでおくようにって……。あああ、メロメロ状態だったから、すっかり忘れてたぁ」
『……って4年と半年もかい!』
するどいツッコミをあっちゃんにされつつ、自分の頭を抱えた。
ジェントルマンのあの悲しそうな目が網膜に焼きついて離れない。もうかなり呆れられた事だろう……。
ああああ! ホントにこれは大失敗だ。今になってようやく気が付く。
ものすごくダメな社員ではないか。
「くぅ、平居さんのせいだ!」
『……って、おいおい。平居さん関係ないじゃん』
あっちゃんが驚きの視線をこちらに向けてくる。
「平居さんが真木部長に告げ口したんだよ! 絶対そうだ!」
『えええ!! カオリン……小学生だよ、その発想』
あっちゃん! これは決して幼稚な発想では無いのだ!!
ああ見えてたらし天狗は、小さい女をいじめる事に執念を燃やすような“チっちゃい男”なのだ。そう思った途端、いまにも天狗の高笑いが聞こえてくる気がして、頭の中が煮えたぎる。
「ううう、むぅかぁつぅくぅぅぅ!!」
どうにか平居の写真を手に入れて、鼻毛を3本描いてやる!! ……と、どうでもいいような仕返しを頭に浮かべた。……ダメだ、それでは気が済まない。
いやしかし、今は仕返しを考えるより、もっと重要な事を考えなければいけない。
たらし天狗にどんなに怒られようが全然構わないが、ジェントルマンに嫌われるのだけは、なんとしても避けたい。
と言ってもこの減点、どうやって穴埋めしたらよいのやら……。 くううう。
「平居メぇぇー! マジで許さん!」
自分の失敗を棚上げしちゃってる感は拭えないが、とりあえず本館で働いているであろう相手に、届かぬ怒りをぶつける。
……届かないからぶつけている。とも言う。(怖いから)
『だから、怒りの矛先違うって……』
なんだかんだとツッコミを入れてくるあっちゃんを置き去りにして、丸くなって揺れている就業規則の冊子に正面から向き直った。
とにかく、まずはダメ社員から普通の社員に戻らねばならない!
読んで下さってありがとうございます。




