第18話 ♪藤井香織 振り出しに戻る
『ちょっとこい』
清算が終わって商品を受け取った……まさにその瞬間だった。
誰かに腕を強く握られて、ギョッとした。
見上げてさらに驚く。握った相手が、まさかのたらし天狗だったからだ。
……なんでこんな所にたらし天狗が? アンタ、ヒマなのか?
『ありがとうございましたーぁ』
レジアルバイトの軽い挨拶を後ろに聞き流しながら、私の腕をグイグイと引っ張っていくたらし天狗に、オヨヨオヨヨとついて行くのに必死になる。
歩幅の違いなどは、まるでお構いナシだ。
さきほど、駅前に向けた足を自社に戻したのは、本館1階で化粧品を取り扱っている事を思い出したからだ。軽快な足取りで戻ってくると、思ったとおりツケマツゲが多数陳列されてある。これでミドレンジに嫌味を言われないで済むぞ!と喜んでいたのもつかの間、突然このような事態に陥り、かなりビビッてしまっている。
……な、なんだかマズイのに捕獲されたようだぞ。
たらし天狗が右手で私の腕を引っ張りつつ、左手で携帯を取り出し通話を始めた。
……なんて器用な。
『太田、すぐに3階の事務所に来い。 ……あぁん?! 今すぐ来い!!』
……あちゃぁ、アイツか。 まったくぅ、ミドレンジのヤツめ、何をやらかしたんだ? たらし天狗が、尋常じゃないほど怒っているぞ!!
怒りの対象であるミドレンジを不憫に思っているうちに、1階バックヤードに引きずり込まれる。 投げ出される形で腕を放されたので、体勢が崩れて床に手を着いてしまった。
すると……
『オマエ!! 一体何やってんねん!! 』
後ろから罵声が飛んできた。
は? ……私?
『ふざけとんのか!!!!』
振り返り見上げたたらし天狗の形相に、一瞬で血の気が引いていく。
わ、私に怒ってるんですか?
そう認識してすぐに、怒りの原因がピン!と頭に浮かんだ。慌てて釈明する。
「さ、サボってたわけじゃありません!!」
『アホ――!! んな事言ってんちゃうわ!!』
えええ? じゃあ何?
『あ――――あああ!!』
なんだ、何だ? たらし天狗がジタバタし始めた。
『お前は就業規則すら守れへんのか!!』
……え? しゅ、シュウギョウキソク?
『どうやねん!! はっきり言わんかぃ!!』
……へ、返事を待っておられるようだ。……こ、困ったぞ。何のキソクだ?
答えがまったく見つからない。……ひ、ヒントを貰えないだろうか。
返事に困窮していると、たらし天狗の顔が怒りから驚きに変わった。
『お、お前。マジか……?』
すると、たらし天狗が突然しゃがみ込んで、頭を抱えだした。
『ウソだろ……勘弁してくれ……』
どうやら泣き言を言っている様子だ。 ……大丈夫か?
理由は分からないが、何だかとても申し訳ない気持ちになる。
「す、すみません。 あの……申し訳ない、です?」
とりあえず困らせている事は事実なので謝っておく。
その後、急に大人しくなった天狗に連れられて、3階事務所に向かう事になった。
しかし、一体あの怒鳴り散らした関西弁は何だったのだろう? ……発作か?
こんな時にどうでもいい事だが、とてもひっかかる。
……だって、顔に似合ってないんだよ。……関西弁が。
たらし天狗はどちらかと言えば、端整な顔立ちの美形キャラだと思う。
そんなイケメンの口から関西弁が放たれる事に、違和感しか感じなかったのだ。
そのせいか、何を怒られているのか、さっぱりわからなかった。
ホントにハタ迷惑な言語装飾である。 同じ怒られるなら、ちゃんと怒られたいじゃないか。
にしても、どうしてチョイスが関西弁なんだろう?
普段から人懐っこさを売りにしているようなので、上乗せのつもりなのだろうか? 顔と合ってないので、逆効果だろ……。 あ、そうか! 狙いはギャップか?
なるほどねぇ。 いやしかし、そこまでして世の女性達に、キャーキャー言われたいものなのか? ……まったく、ご苦労な事である。
そんな天狗に、私はあえて言いたい。
“男はね、顔じゃないんだよ……佇まいだよ。”
そう言うと、必ず総務のあっちゃんに『ぜんぜん分からない』と、バッサリ切り捨てられたっけ……。
……大事なとこなんだけどな。 男はね <寡黙で優しい> 何よりこれが一番。
にしても、まてよ……。
天狗はいまだに、自分がアイドルだと思っているのか?
それはヤバイ。 もういい年のおじさんだぞ。 あまりにイタイタしいじゃないか。
気が付け! 天狗よ! 愚かな行為だぞ!
可哀想になったので、目の前の天狗の背中に念を送ってみる。
……うぉりゃぁ!! 気付けぇぇ!!
『ん?』
タイミングよく天狗が振り返るものだから、慌てて視線を逸らして俯いた。
……う、受け取ってんじゃねーよ。 ビビるじゃないか。
『どうした?』
「な、なんでもありません」
胸の内をドキドキ言わせながら、天狗について行く。間もなく3階事務所に到着した。ここにはPOP依頼の打ち合わせで何度か来た事がある。
たらし天狗とその部下である主任クラスのデスクがある場所だ。3・4階が合同で使用しているので結構な広さが確保されている。
中に入ると先にミドレンジが着いていて、私たちを待っていた。
『お疲れ様っス!』
『お疲れ……』
入ってすぐ、たらし天狗が一番奥の自分のデスクに腰掛けた。
二人でその前に立つ。
『あ、あの。どうして藤井が一緒なんっスか?』
怖ず怖ずとミドレンジが質問する。
『途中で拾った』
仏頂ぎみな声でたらし天狗が答える。どうやら不機嫌ではあるが、怒りは納まったらしい。
『ところで太田。俺は藤井を売場に出すなと言ったよな』
『はい。出してないっス』
ええええ!! 出そうとしてたじゃん!!
『じゃあ、どうして俺が1階の売場で、藤井を拾う嵌めになるんだろうな?』
『は? 1階っスか? え? 』
ミドレンジが慌てふためく。
『このお嬢さんは、優雅に1階でお買い物を楽しんでいらっしゃったぞ』
『えええええ!!』
な! 楽しんでなんかいないぞ!! 濡れ衣だ!!
『しかも、直接清算って……いつから藤井はお客様になったんだ?』
『ま、マジっスか!!!!』
って、アンタが命令したんじゃん!!!
『お前!! 何やってんだよ!! 信じられねぇ』
って、ええええ!! こっち向いてそんな事言う!! それこそ信じられない。
『とにかく、ちゃんと目が届いてないようじゃ、お前に頼んだ意味がないだろう』
『は、はい。すみません。……気をつけます』
うわぁ。反省してるフリだ。ムカつく。
『あぁ。でも、もういい。悪いけど予定を変える』
『え?』
ミドレンジが驚くが、私も驚く。……予定を変える?
『藤井、今から事務センターに戻って総務に行って来て』
「え、総務?……ですか?」
『先に連絡入れておくから。総務で就業規則表を出してもらって、ちゃんとイチから勉強しておいで』
「えええ!!」
『えええ!!じゃない!! 売場の仕事の前に、まず一般社員として一人前になって来い! 話はそれからだ!』
うっ。……怒られた。
『とにかく、俺がさっき怒った理由がわかるまで、戻ってこなくていいから』
うう。マジですか。 事務センターに逆戻りなんて……。
『はい、解散! 行って!』
たらし天狗が手を打って、外へ向けて手を払う。
それを合図に一礼してミドレンジが回れ右をした。慌てて付いて行く。
あぁ、まさにこれは、すごろくで言う“振り出しに戻る”だな。……悲しい。
事務所を後にして廊下に出た途端、呆れた顔でミドレンジがつぶやいてきた。
『お前、何やってんだよ。バッカじゃないの』
な! 何でそんな事アンタに言われなきゃいけないのさ! だいたいアンタが……
『コンビニで買えって言っただろ!』
それは! だって
「売って無かったんです!」
『はぁ? だからって売場で買っちゃダメだろう! 規則違反じゃん』
「その規則ってなんなんですか?」
『え? マジで言ってんの? 制服を着たまま、売場のレジを使っちゃダメじゃんか』
「え、そうなんですか? ……それじゃあ、社員は買い物出来ないんですか?」
『は? 何言ってんだよ。天引きシステム使うとかさぁ、いろいろあるじゃん。 とにかく社員は、別清算が基本だろ?』
なんて細かい規則なんだ。初めて聞いた。
「知りませんでした……」
『え? マジ知らなかったの? つうか、入社した時に全員習うじゃん。なんで知らないんだよ』
知らないものは知らないのだ。それを責められても困る。
しかしなるほど、だからたらし天狗が、あんなに怒っていたんだな……。
これは反省しよう。そして勉強になった。……よし!
踵を返して事務所に向かう。
『おい! どこ行くんだよ!』
「え? 理由が分かったので、平居さんに謝りに行くんです」
『はぁ? お前ホントのバカなのか? 俺から聞いて謝っても意味ないだろ』
「え? でも理由が分かるまでって」
『そういう意味じゃないよ。 バカでもわかるわ』
むっ! バカにされてる。……じゃなくて、バカ以下にされてる。
「とにかく、就業規則に目ぇ通してこいよ。他にも大切な約束事が載ってるから」
あぁ、やっぱり振り出しに戻るのか……。
売場よさらば……また来る日まで。 がっくり。
『あ、そうだ! 藤井、ちゃんとツケまつげしてこいよ!』
あ、でた。そもそもの元凶……ツケまつげちゃん。
「あのぉ。ホントに必要なんですか?」
『当たり前じゃん! そう! 4階の就業規則だかんな。覚えとけ』
マジっすか! 就業規則だったなんて! ……わかりました。
これ以上規則に振り回されるのは勘弁だ。忘れないようメモをとっておく。
読んで下さってありがとうございます。




