第12話 ☆平居郁人 出世の仕方を質問される
「あ、仕事の話を進めていくけど……」
わざと咳払いをして、藤井を促した。若干ブラックなオーラを取り払いながら藤井が頭を下げる。
「4階の販売課は二つにわかれてるよな。知ってる?」
『ヤングカジュアルと子供服です』
さも当然のように答えてきた。さすが元POP室。全館の売場を相手に仕事してきただけの事はある。
「その内、藤井の配置先はヤングカジュアルになるんだけど、3つの部門にわかれていいて……これはわかるか?」
『はい! カジュアル服、婦人靴、服飾小物です』
完璧だな。さすがだ。
「正解。……で、藤井は婦人靴の担当になってもらう」
『え? 服じゃないんですか?』
「服がよかったか?」
『い、いえ、どこも似たり寄ったりで……』
「だろうな。……カジュアル服は4階で一番難しい部門だ。それに比べて婦人靴は取り扱いメーカーも少ないし。在庫管理も比較的簡単だ。初心者にはそちらが好ましいだろ?」
あきらかにホッと胸を撫で下ろす藤井だか、そこは釘をさしておく。
「言っとくけど、比較するとまだ易しいってだけで、忙しい事に変わりはないぞ。俺の部下でいる限り、暇な部署にまわれると思うなよ」
藤井の顔が引きつる。
遊びじゃないんだ。それぐらいの覚悟はしておいてもらわないと困る。
「それぞれの部門の責任者は売場に行ってから説明する。ちなみにヤングカジュアル全体の責任者はわかるか? 小森主任だけど」
『あ、はい。わかります。 あの、胸の大きな人ですよね?』
「ええ?」
……どういう覚え方してんだ。 つうか、アイツ、そんなに胸が大きかったか? 言うほどのこと無いだろう。
『あ! あの方じゃないですか?』
藤井の目線に合わせて振り返る。たしかに小森が食堂の入り口に立っていた。
こちらに気付いたのか、歩いて向かってくる。
なるほど、売場の制服を着ている時はわからなかったが、こうして外出用にタイトなスーツに着替えると、たしかに胸が異常に目立つ。
うーん。 小森の胸って、前からこんなに大きかったかな……。
『平居マネージャー、今から出てきます。申請どおり直帰しますので、あとの事お願いします。……平居さん?』
え? あ。
「ごめん! いや! あの、わ、わかった!……気をつけて行って来て」
何、胸ばっか見てんだ、俺! つうか、今日おかしいぞ。どうした、俺! 慌てて視線を逸らしたから余計に気まずいじゃないか。
あああ!! お前は普段から恋だの愛だの職場に持ち込まない主義だろ! 社内恋愛撲滅委員会なるものがあるなら、率先して委員長を務める男だろうが! どうした俺! 気合を入れなおせ!
視線を前に戻すと、藤井の目があきらかに侮蔑の色に変わっていた。
な! 俺はやましい事なんて何にもないぞ!
だいたい、お前が胸の話なんかするからいけないんだろーが! 気付いてもいなかったのに、どうしてくれる! この先すごくやりにくいじゃないか!
『あ!……あなたが藤井さん?』
小森が話題を拾ってくれる。気の利くいい部下だ。
「はい! 藤井香織と申します。これからよろしくお願いします」
立ち上がって深々と礼をする。……何度も思うが、礼儀だけは正しい。
『……あ、ヤングカジュアルの責任者で小森裕子です。こちらこそよろしくね』
配属前に辞めてしまえと願っていた女とは思えないほど優しい声だ。さすがにやり手。
『今日は外出で無理だけど、明日からしっかり指導させてもらうからね』
気合の入った言葉に藤井が身構えた。……小森、できれば穏便に頼むよ。
『それと……』
小森がこちらに向き直る。
『佐野マネージャーが約束を14時から14時半に変えてほしいそうです。大丈夫ですか?』
「ああ。調整しておく」
『よろしくお願いします。それじゃあ私はこれで』
「いってらっしゃい。藤田さんによろしく伝えて」
『わかりました。行って来ます』
小森が出口へと向かった。 姿が消えるのを確認して、藤井が声を掛けてきた。
『あの、小森主任が私を指導して下さるんですか?』
「基本はそうだけど……どうして?」
『平居さんは……?』
「俺? なんだ……俺に指導してもらいたかったのか?」
『とんでもありません!!』
即答って……どういう意味だよ。
「俺は新人を付きっ切りで指導できるほど、ヒマじゃありません」
『当然です!!』
なにか言い方にトゲがあるんだけど。 気のせいか?
「それは小森も同じで、彼女は監督だと思ったほうがいい」
『……といいますと?』
「コーチは別だ。 直接仕事を見てくれるのはパートの福田チーフだ」
見ると藤井があきらかにホッとしている。それが油断なんだよ。
「言っとくけど、福田さんは一番厳しい指導者だからな。舐めてかかると痛い目にあうぞ」
『え? あ、はい! がんばります』
藤井が背筋を正した。
「ただ……」 これだけは言っておかないと。
「何かあったらすぐに俺に言え。言い難いなら小森でもいい。とにかく一人で抱え込むな。仕事も。悩みも。売場はチームワークが大切だ。一人で何でも出来るなんて思い込むなよ」
『……はい』
少し遅れて返事がきた。
POP室と違って一人で没頭して行う作業なんて売場では少ない。まずその違いだけでも、ついて行くのに苦労するだろう。でも逆に言えば沢山の人間がいる。沢山の手があるって事だ。つまり人の数だけ仕事のやり方がある。慣れればこんなにおもしろい仕事はないと思う。気付いてくれれば嬉しいんだけどな……。
『ひとつ質問してもいいですか?』
遠慮がちに藤井が手をあげる。
「ん? なんだ」
『平居さんは出世の亡者ですよね?』
……藤井。 日本語がおかしいぞ。それは本人を前にして使う単語じゃない。
「……亡者ではないですが。 まあ、他人より出世してますね。 それが何か?」
『どうしたら出世できますか?』
すごく直球だな……。っていうか、今その質問をするか?
ほかに聞くべき事が山ほどあるだろうに。
「藤井は出世したいのか?」
『したいです! すぐにでもしたいです!』
お、おいおい。前のめり過ぎるだろ。ちょっと引くぞ。
でもまあ、のらりくらりと仕事されるより、出世に燃えてる方がまだマシか。
「どうしてそんなに出世したいんだ?」
『出世して、真木部長の部署に戻りたいからです!』
はぁ? シバくぞ! おっと、標準語だと殴るぞ!……か?
これから世話になる上司を前にして、違う部署の男と仕事がしたいと言うか?
それもその方法を俺に聞くか? 図々しいにもほどがあるだろ、バカ!
……ダメだ。怒りで素の関西弁が、さらに出てきてしまいそうだ。
「とりあえず、他人に信用される仕事をする事。それが大事じゃないか」
ぐっと気持ちを押さえて教えてやる。……俺は大人だ。
『もうちょっと、具体的な方法を教えてもらえるとありがたいんですが……』
はぁい? ナメとんか? 出世は手続きすればできると思とんのか?
どこにそんな窓口があんねんな? あるんやったら俺が知りたいわ!!!
……だ、ダメだ! 押さえろ俺! こんな事で怒るな……。
「……と、とにかく仕事を覚えて下さい。出世はそれからです。仕事を覚えられない人が出世なんて出来ません!」
怒りを我慢したら、逆にバカ丁寧な言葉使いになった。
『うーん。わかりました。仕事を覚えたら、また教えてください』
いけしゃあしゃあとそんな事を言う。本気で腹ただしい。
覚えられたらな! ……歯噛みした気分で、心の内で返事した。
くそぉ……真木からとんでもない挑戦状を受け取ってしまったようだ。
ああ、できれば無かった事にならないかな……。
目の前の野菜と藤井に、ウンザリしている俺だった。
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