第10話 ♪藤井香織 Aランチは争いを招く
やっぱり一人は淋しいな……。
11時を過ぎたばかりの食堂は、人もまばらで閑散とした雰囲気だった。
お弁当を広げたものの、少し口にしただけで、ただボーっと辺りを眺めていた。
いつもはあっちゃんと、13時過ぎの混雑した時間にお昼を食べていたので、この食堂の静けさにかなり戸惑っている。
しかも今日から独りきりでの昼食だ。この先、これがずっと続くのかと考えると憂鬱さが増してくる。
正直、売場担当の社員に友人は一人もいない。
4階にも同期がいるはずだが、誰が誰だかよくわからない。
もともとPOP室の仕事は、売場から依頼を受けて作成するのが仕事だ。
つまり、売場の社員は私にとって、ある意味お客様であり、仲良くするといろいろ不都合が出てくるのだ。依頼人とPOP作成者なら無茶な依頼を断ることができても、友人と私……の構図になると断りづらくなる。
また、同期の飲み会などもいろいろあって参加した事がない。
総務のあっちゃんは、そんな環境下で出来た奇跡の友人なのだ。
知らず知らずのうちにため息が出てしまっていた。
仕事の辛さはいくらでも頑張れる気がするが、こう言った淋しさは頑張って乗りこえらるものじゃない。慣れるしかないとわかっていても不安になる。
もう一度ため息をついたと同時に、視界に意外な人物が入ってきた。
え? たらし天狗。……ヤツのお昼休みはこんなに早い時間なのか?
さらに目が合ってしまったので軽く会釈しておく。
しかし条件反射というのは恐ろしい。 たらし天狗の視線が逸れたのを確認してから、即行食べかけのお弁当箱を片付け始めた。早くこの場から去らなければいけない。
警笛が頭の中でガンガンと響き、慌てふためきながら席を立つ。
その瞬間
『藤井!!』 ……呼び止められた。……逃亡失敗である。
『座って待ってろ』 ……しかも捕獲されてしまった。……最悪である。
たらし天狗がランチプレートを持って清算カウンターに行く。
よくよく考えたら、後ほど事務所で顔を合わせる相手だ。全く無意味な逃亡である。
この4年半の経験で、天狗の顔を見たら逃げ出すように遺伝子に組み込まれてしまったのかもしれない。
たらし天狗が社員パスを清算機にかざしている。自動で給与天引きされるシステムだ。高給取りは優雅ですな……。なんて考えていたら、たらし天狗がこちらに向かって歩いてきた。
……わぁー。何言われるんだろう? 泣いたことかな? やだなー。
緊張して待っていると、たらし天狗が持っていたランチプレートをテーブルに置いた。
……ん?
しかも椅子を引いて目の前に座ったのだ。
え? いっぱいテーブル空いてますけど……。どうしてソコに座るんです?
思わずキョロキョロしてしまった。
『なんだ。俺との相席がそんなに嫌か?』
そらそうでしょ!! ……なんて口が裂けても言えないので、首を横に振っておく。
にしても、ナゼだ!! いくら淋しくても、この人と一緒にお昼なんてやだぁー!!。
願い空しく、たらし天狗が “いただきます”をしてAランチを食べ始めた。
意外にも礼儀正しいので驚く。
『時間が勿体ないから、食べながら仕事の説明をしていいか?』
あ、そう言う事ですか。 嫌がってすみませんでした。
慌てて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
『とりあえず、ヤングカジュアルの部門についてだけど、3つあるのを知ってるよな?でそのうちの…………藤井? ふ、じ、い!』
我に返る。
「はい?」
『聞けよ』
あ、すみません。でもどうしても気になって……。
「あ、あの質問いいですか?」
『え? もう? ……何?』
「どうして野菜を除けるんですか?」
『は?』
「野菜が嫌いなんですか?」
『う……』 たらし天狗が顔を横に背けた。……やっぱり。
たらし天狗の皿の上で、綺麗に野菜と肉がわけられている。
『別にそんな事関係ないだろ……』
「関係ないですけど、おかしいじゃないですか」
『何がだよ?』
「野菜が嫌いなのに、どうしてAランチの野菜炒めを選ぶんですか? Bランチはハンバーグでしたよ……変じゃないですか」
日替わりランチが食べられるほどお金に余裕のない私だが、見るだけならタダなので、毎回チェックは欠かさない。
『え? そうなの?』
ナニぃ!! ま、まさかの? メニューも見ずに頼んだカンジですか?
『し、しょうがないだろ。いつもは4時頃に食ってんだ。選べるほど、メニューが残ってないんだよ』
「よ、4時って……おやつの時間も終わってるじゃないですか」
『打ち合わせとか、会議とかいろいろあんだよ。ってか、どうでもいいだろ!』
「どうでもいいですけど……。せっかく早く来たんだから、選べばいいのに……」
嫌いなものをわざわざ頼むって、おかしいじゃないですか……。
『別に……面倒くさいし。だいたい腹に入ったら何でもいいんだよ』
わ、でた。作る人の気持ちを考えない、おおざっぱな意見。
「だったら野菜も食べたらいいじゃないですか? お腹に入れば一緒ですよ」
少し嫌味を言ってやる。
『な! うぅぅぅ……いいだろう。仕事の合間ぐらい、どんな食べ方しても』
「その言い方だと、夕食はバランスを考えて食べてるって事ですか?」
『う……』 また顔を背けた。いちいちわかりやすい人だな……。
『……んだよ。俺の勝手だろ』
「だったらいいです。ご勝手にしてください」
こういう食に関心のない人間は嫌いだ。……いや、もともと嫌いなんだけども。
それに比べるとジェントルマンは素晴らしかった。
食通でいろんな事を教えてもらった。料理だってお上手らしい。
そんな彼にはもちろん好き嫌いなど存在しなかったし、いろんな物をご馳走になった。
……ホントに幸せだったなぁ。
素敵な思い出に浸っていると、たらし天狗の好き嫌いなど、本当にどうでも良くなってきた。
「余計な質問をしてすみませんでした。仕事の話をどうぞ進めて下さい」
頭を下げて、説明の続きを待った。……しかし、一向に始まらない。
チラ見でたらし天狗を伺うと、明らかに不機嫌な顔で腕組みしている。
え、しまった! ホントに、ほんとぉーにどうでもいい事で新しい上司を怒らせてしまった。たらし天狗の好き嫌いなんて私の知った事ではない。なのに、何ツッコミいれちゃってんだ、私!
うぉぉぉぉぉ!! テーブルに着いた所からやり直させて下さい!!!
今度は何も聞きません! 何なら全部残しちゃって下さい、そのAランチ!
どうしていいのかわからなくて、パニックに陥りそうになった瞬間、小さな声でたらし天狗が話しだした。
『食べられないわけじゃないけど……。苦手なんだよ、この青臭いカンジが』
代表してピーマンを指差している。 何だかその仕草が、拗ねた子供みたいに見えた。
ほほぉーう。なるほど、味が嫌いなのですね。
それを聞いた途端、ふと思い出した。
弁当箱をふたたび取り出して、ふたを開ける。
「平居さん。コレ食べてみて下さい」
Aランチの白ごはんの上に、今朝作ったピーマンと豚挽き肉のソボロもどきを乗っけた。
たらし天狗は明らかに戸惑っている。まあ、見るからに肉よりピーマンの細切れのピースが多いもの。しかし、そこはさすがに大人。黙って口に運んだ。
瞬間、ビックリマークがたらし天狗の上に立つのが見えた。
『旨い……』
でしょ! お弁当用に味付けを濃くしてあるから、ピーマンの青臭さなんてどっかいっちゃうんだよね。しかもじっくり炒めてあるから、肉汁たーーぷり染み込んでいるし。
「好き嫌いは嗜好ですから仕方ないと思います。でも、調理の仕方で随分カバー出来るんですよ」
素直にたらし天狗が驚いている。
「大切なのは食事に興味があるかないかです。頑張って働いている自分の体を労わってあげられるのは自分だけですよ。だからまず、食事の時間を大切にしてあげてください」
そう、食事は生きていく上で、どんな事よりも大切で、とても重要な作業なのだ。片手間に終わらせるなどあり得ない。
ところが、たらし天狗がため息をついた。
え? マズイ。調子に乗って言い過ぎたかもしれない……。
『そうだな……。少し反省する。これからは多少でも気をつけるよ』
反省? え、ウソでしょ?! あのたらし天狗が?!
あり得ない、あり得ない。まったくキャラにない! ど、ど、ど、どうしちゃったんですか? 今日は朝からおかしいですよ? 大丈夫ですか?
戸惑っているとたらし天狗が反撃してきた。
『だけど、そういうお前も全然食べてないじゃないか……』
指されたお弁当の中身はたしかに4分の1も減っていない。……というか食べ始めたばかりで天狗がやってきたんじゃないか。残したつもりはない。
『体を労わってやれるのは自分だけなんだろ? 俺も残さないから、藤井も好き嫌いせずにちゃんと食べろ』
好き嫌いって、自分でこしらえてくるのにそんな物あるか! ……とは怖くてやっぱり 言えない。
「……はい。すみません」
悔しいが謝っておく。すると気を良くしたのか、たらし天狗が『俺も質問していいか?』と遠慮がちに聞いてきた。
「なんでしょう?」
『藤井は実家から通ってるんだよな?』
「え?」
??? どういうつながりでの質問だろう? まったく話が見えてこない。
「いえ、一人暮らしですけど」
『え、一人暮らし? じゃあ、それ自分で作ってるの?』
もう一度、お弁当を指さされた。あ、なるほど。そういう事ですか。
たしかに私、料理上手には見えませんもんね。実際あまり得意じゃないし。どちらかと言えば食べる専門ですから……。
といってもこれは、母の愛情弁当ではありません。外食ばかりじゃお金が持たない、苦しい内情のやりくり弁当です。
「はい……一応」
得意じゃないので謙遜しておく。
『へぇ……ホント? すごいな。親が作ったとばかり思ってた。ってか、だったら何で残すの?』
「え、……っと。それは、あの……」
痛い所を突いてきた。
このぉ……蒸し返すなよ、そんな事! アンタが来たから逃げ出そうとした……なんて口が裂けても言えないでしょ!
それを伝えたら、芋づる式にたらし天狗を嫌っている事実も言わなければならなくなる。不本意でもこれから上司になる人だ。伝える事は得策ではない。
話が逸れたと喜んでいただけに、よい言い訳が思い浮かばない。
ダイエット?……そもそもお弁当を作らないだろう。
床に落ちた?……そんなモノを俺に食わせたのか! って殺されそうだ。
あーん。どうしよう!!
『でも、弁当作りって朝とか早起き大変だろ?』
「え?」
苦悩に満ちていると、たらし天狗の方から話題を変えてくれた。……助かった。
「いえ、早起きなんてしてませんよ。朝は苦手ですから」
そう、朝は非常に弱い。起きてすぐに行動できない体質だ。
するとあきらかに、じゃあそのお弁当は何なんだ? と言う顔をたらし天狗が向けてくる。
「私、会社から歩いて7分のところに住んでいるんです。だから早起きする必要はありません」
なぜかたらし天狗が固まった。
『え、マジで? よくそんなトコ住んでるな……』
どういう意味だろう? 住んでいる理由はいろいろあるけれど、至って快適な暮らしだぞ。
『POP室では平気だったかも知れないけど、売場ではあんまり言わないほうがいいぞ』
「なぜですか?」
『じゃないと便利な宿泊施設みたいに使われる』
ぎょ! マジですか?
『藤井の性格だと、頼まれたら断れないだろ?』
さすがによくご存知で……。あなたの依頼、断りきれた例がないですもんね。
「……はい、多分ムリです。心配して頂いて嬉しいです。貴重なアドバイスありがとうございます。」
うん、知らなかった。これは役に立つ情報だ。ナイスだぞ天狗!
親指を立てて、グッジョブしてやりたい気分だが、もちろんしない。笑顔だけで返す。
『ん? いや、別に大した事は言ってない……』
なんだ? 急に天狗が口ごもった。
『まあ、とにかく藤井は、いいお嫁さんになるんじゃないか?』
……は? 今なんと?
急に言われた台詞に驚き、反応できずに固まった。
『料理上手で、旦那のことも大切にしそうだ』
あ、ヤバイ。寒気がした。……笑顔と台詞に。
やっぱり思ったとおり、天狗は典型的な女たらしだ。
たぶん女性相手なら、誰にたいしてもこういう台詞をさらっと吐くのだろう。そういう事を言えば、世の女性が皆喜ぶと思っているのが腹立たしい。
「恐れ入ります」
なるべく不機嫌なトーンにならないよう返事に気をつけた。にしても、やっぱり紳士の風上にも置けないヤツだ。
まったく! 人を極寒の地にさらすなんて……
着任そうそう、風邪でもひいたらどうしてくれるんだ!
読んで下さってありがとうございます。




