第5話 ハズレではなかった
お相手の名は、レイモンド・クロイツェル子爵。
二十八歳。焦げ茶色の髪を整然と撫でつけた、いかにも実直そうな方だった。
早くに爵位を継ぎ、領地を堅実に治めている。賭け事はせず、浮いた噂もなく、使用人からの評判もいい。何より、今回の初顔合わせに母親を連れてこなかった。
最後の一点だけで感動しそうになった自分が、少し悲しい。
「昨日の騒ぎのあとにお会いするのは、気が進まなかったでしょう」
リューベック家の応接室で向かい合うと、レイモンド様は穏やかに切り出した。
「いいえ。その……私についての噂は、お聞きになりましたか?」
「ええ。ロイエル卿が虚偽を広め、王太子殿下が公の場で訂正なさったところまで」
「でしたら、なぜこの縁談を取り下げなかったのです?」
「あなたに非がないからです」
迷いのない答えだった。
「過去の交際相手に問題があったことと、あなたの人格は別でしょう。むしろ、不誠実な相手との結婚を選ばなかった判断は正しいと思います」
(……ちゃんとした大人だわ)
失礼ながら、心の底から感心した。
会話も穏やかで、話題も豊富。領地で新しく始めた果樹栽培の話は興味深く、私の意見を途中で遮ることもない。
理想どおりの方だった。
そう、理想どおりなのに。
「領地では、リンゴの栽培にも力を入れております」
「リンゴ……」
つやつやと輝くリンゴタルトを差し出す、大きな手を思い出した。
「甘いものがお好きだとか。よろしければ次回、領地のリンゴをお持ちしましょう」
「ありがとうございます」
アレクなら、私がリンゴそのものより、甘く煮たものを好むことまで知っている。
「馬にも乗られると伺いました。私も遠乗りは好きですよ」
「まあ、そうなのですね」
アレクなら、私が速く走ることより、湖畔で馬を休ませながらお菓子を食べる時間を好きなことまで知っている。
比べるなんて、レイモンド様に失礼だ。
わかっているのに、どんな話を聞いても、最後には白銀の髪が頭へ浮かんだ。
「――リューベック嬢」
「はい」
「ひとつ、お尋ねしても?」
「もちろんです」
「あなたは今、私と話している間に、ほかの方を想っておいでですか?」
「ぶっ――!」
危うく紅茶を噴き出すところだった。
「な、なぜ、それを……」
「私の話に退屈しているわけではない。それなのに、ときどき、とても優しい顔をなさるので」
レイモンド様は困ったように笑った。
「昨日の一件で、王太子殿下があなたへ求愛していることは、国中に知れ渡りました。もちろん私の耳にも。私は父君から、あなたがまだ返事をしていないとも伺っています。その様子ですと、やはりあなたの心はもう決まっているのですね」
「……申し訳ございません」
「謝らないでください。今日お会いできたことには感謝しています。ただ、私はあなたが誰かを忘れるための結婚相手になるより、私を見てくれる方と家庭を築きたいのです」
正しい言葉が、胸にまっすぐ刺さった。
「ごもっともです。本当に、失礼いたしました」
「それに、王太子殿下と張り合って勝てる気がしません」
レイモンド様は、そこで初めて少しだけおかしそうに笑った。
「幼い頃からあなたを知っている方なのでしょう?」
「……はい」
私が好きな食べ物も、苦手な虫も、腹が立つと早口になることも。
母を亡くして、弟たちの前で泣けなかった夜も。
アレクは知っている。
けれど、私が心を動かされたのは、長く知っているからだけではない。
私が自分で戦いたいことを理解し、助けに入るべきときまで待ってくれた。
感情を暴走させたことを、王太子という立場に甘えず謝った。
国への責任から逃げず、私の不安も一緒に背負いたいと言った。
私はずっと、年上の男性を探していた。
母を亡くし、父まで倒れたあの頃から、何があっても揺らがず、安心して頼れる「大人」を求めていたのだと思う。
けれど、年齢と誠実さは同じではない。
落ち着いた物腰と、心の強さも同じではない。
私が探していたのは、年上の人ではなかった。
弱い自分を隠さなくても、隣に立っていられる人。
そして、その人はずっと、私のそばにいた。
「レイモンド様」
私は席を立ち、深く頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました。私、行かなければならないところができました」
「ええ。お気をつけて」
「レイモンド様にも、どうか素敵なご縁がありますように」
「ありがとうございます。あなたと殿下にも」
最後まで立派な方だった。
七人目は、ハズレではなかった。
ただ、私が選ぶ人ではなかったのだ。
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次回最終回です。




