表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/6

第2話 ずっと好きだった


 一国の王太子殿下に告白されたら、喜ぶべきなのだろうか。


 落ち着いて考えてみてほしい。


 私が求める夫婦像は「愛し愛される関係」だ。


 ところがこの国では、王太子妃になれば当たり前のように側室がついてくる。


 現に国王陛下には側室が五人おり、アレクシス殿下には弟や妹が十一人いらっしゃる。血なまぐさくなってもおかしくない後宮の均衡が保たれているのは、王妃殿下の手腕あってのものだ。


 そう。あれくらいの胆力がなければ、王妃なんて務まらない。


 私には無理だ。


 そもそも――好きになった人が、当たり前の顔でほかの女性を妃に迎える。その隣で完璧な微笑みを浮かべ続ける自分を想像しただけで、胸の奥がすうっと冷たくなる。


 「愛し愛される夫婦」を夢見る身には、側室込みの結婚なんて悪い冗談だ。


 それに、殿下に「付き合おう」と言われたのは、自慢じゃないが三回目だったりする。


 一回目は殿下が四歳のとき。二回目は八歳のとき。


 初めてあのキラキラの瞳で「けっこんして?」と見上げられたときは思わず頷きそうになったけれど、当時九歳の私は四十歳の騎士団長様に夢中だったので、丁重にお断りした。


 もちろん当の騎士団長様には、微笑ましい幼子の戯言として、きれいさっぱり受け流されたけれど。


 ともあれ、幼い殿下の初恋の相手が私だったなんて、光栄の極みである。


 でも、今回は状況が違う。


 殿下は先日成人したばかりの十八歳。正式に婚約者を定める時期だ。


 五歳も年上の行き遅れ令嬢が、幼い頃から知る王太子をたぶらかした。王妃殿下との縁を笠に着て、未来ある殿下の選択肢を奪った。


 そんな噂が立つのは目に見えている。


 何より、私の記憶にいるアレクは、転んでは私にしがみついて泣いていた小さな男の子なのだ。


 その子の幼い憧れにつけ込み、自棄になって手を出すなんて、できるはずがない。


「僕、もう十八なんだけど」


「私にとっては、いくつになっても弟です!」


「ユリウスと同じ扱いは、傷つくなぁ」


 そう言って悲しそうに眉を下げる顔まで、昔と変わらない。


 ――ただし。


 私の手を包む大きな手のひらだけは、記憶の中とまるで違っていた。


 私はその熱を振り払うように屋敷を飛び出した。


 そうだ。やけ食いの続きは、新しくできたカフェでしよう。リンゴタルトが絶品らしい。


 私は昔からリンゴタルトが大好きだ。甘く煮込んだリンゴに、サクサクのタルト生地。王宮で暮らしていた頃も、よくおねだりして食べていた。


 甘いものはいい。嫌なことも、考えたくないことも忘れさせてくれる。


 もはや、やけ食いは口実で、ただ食べたいだけなのでは――なんて無粋なことは言わないでほしい。







「まぁまぁまぁまぁ、エレナさん。奇遇ねぇ」


 目的のカフェで待ち受けていたのは、リンゴタルトではなかった。


 つい先ほど別れたばかりの元恋人、シグリッド・ロイエルと、別れの原因になった彼のお母様である。


(神様……思考を放棄して食に走った罰ですか……)


 先ほどまで旺盛だった食欲が、一気にしぼんでいく。


「まぁまぁ、せっかくのご縁ですもの。こちらにお座りなさいな」


「ありがとうございます。ですが、お二人のお時間をお邪魔するわけには参りませんわ」


「あら。私が一緒だと、嫌かしら?」


(はい、嫌ですー! 息子さんもご遠慮願いたいですー!)


「エレナ、お母様がここまで言ってくださっているんだ。座りなよ」


(シグリッド様。私たち、さっき別れましたよね?)


 なぜ同席を勧めるのか、本気でわからない。


「ここはチョコレートケーキが美味しいのよ。頼んでおきますからね」


(私が食べたいのは、リンゴタルトなんですが……)


 強引に席に着かされ、勝手に注文までされてしまった。


 一応、これでも私は伯爵令嬢。年配のご婦人に無礼を働けば、社交界で大変な目に遭う。さっさとケーキを食べて帰ろうと決意した私に、シグリッド様のお母様は言った。


「息子と喧嘩したんですって? 私のせいよね。ごめんなさいねぇ」


 しおらしく謝罪しながら、その口元は上がっていた。


「いやですわ。お母様のせいではございません。シグリッド様はとても素敵な方でしたけれど、ご縁がなかっただけですもの」


「エレナ! 俺たちは別れてないだろ!」


 まさかのカウンターが飛んできた。


(いやいや、別れると言ったのはそっちでしょ!?)


「俺のお母様に従えないなら別れる、とおっしゃいましたでしょう?」


「だから、君が謝れば済む話だろう」


「そうよ、エレナさん。早くからお母様がいらっしゃらないから、淑女として自信がないのよねぇ。私に任せておけばいいのよ」


「自信がない……?」


「こう言ってはなんだけれど、教養面で足りないところも多いでしょうし。片親のあなたでもいいと、こちらは言ってあげているのよ?」


(はい、本性出ました!)


 ようやく決まりそうだった結婚を諦めたくないのだろう。


 けれど、片親と馬鹿にされて「わかりました」と頷く女だと思われては困る。


「母が亡くなって十五年。父は病に倒れても、私たち姉弟を守る責任を決して手放しませんでした。今も亡き母だけを一途に愛し続ける父を、私は心から尊敬しておりますの」


 私はにっこりと微笑んだ。


「その父に育てられた私を『片親』と蔑まれたと知れば、父がなんと申しますか。まずは、ロイエル家との今後のお付き合いについて相談してみますわね」


 お母様の肖像画を見てはいまだにメソメソ泣く父だが、娘が侮辱されたと知れば間違いなく激怒する。


 父の名を出した途端に黙り込む二人を見て、ああ、この人たちは自分より下だと見なした相手にだけ強く出るのだな、と気持ちが冷めていった。


 年上なら落ち着いている。年上なら頼れる。


 私は何度、その思い込みに騙されるのだろう。


「それでは、ごきげんよう。二度とお会いすることがありませんよう、心よりお祈りしておりますわ」


 淑女の礼をとり、今度こそその場を辞した。


 悔いはただひとつ。リンゴタルトを食べ損ねたことだけである。


「……今度、侍女に頼んで買ってきてもらおうかしら」


「リンゴタルトなら、僕が買っておいたよ。昔から好きだよね」


 ……幻覚だろうか。


 乗り込んだはずの我が家の馬車に、なぜかアレクシス殿下が座っている。


「ま……間違えました……」


 そっと踵を返そうとしたが、時すでに遅し。次の瞬間には手を引かれ、殿下の隣に座らされていた。


「な、なんで殿下がここにいるんですか!?」


「ユリウスが『姉様は凹むと甘いものに走る』って言うから。行き先はこのあたりの新しい店だろうと思って追いかけたら、案の定だった」


 アレクシス殿下は膝の上の箱を開けた。中には、つやつやと輝くリンゴタルトが二つ並んでいる。


「ロイエル家には、僕から正式に抗議しておく」


 すっと、声が低くなった。


「不要です。自分で解決できますもの」


「エレナは、ああいうの、自分で殴り返したい人だもんね」


 ……よくわかっていらっしゃる。


「抗議も不要よ。これからも自分で解決するから、アレクは手も口も出さないで」


 ――しまった。呼び方が昔に戻った。


 アレクは、それはそれは嬉しそうに目を細めた。


「うん。じゃあ、手も口も出さない代わりに、そばで見てる」


「見ていなくていいのよ!?」


「相変わらずエレナはかっこいいなぁ。あの母子への啖呵、痺れたよ」


「淑女に『かっこいい』は、褒め言葉なのかしら……」


「もちろん!」


 アレクは笑って、私へリンゴタルトを差し出した。


 私が何を食べたいのか。口に出さなくても、この人は昔から知っている。


 そんなことに、今さら気づいた。


「ねぇ、エレナ。僕と、本当に付き合わない?」


「成人したての子に手を出すほど、私は飢えてないの」


「シグリッド・ロイエルは三十だけど、二十三のエレナに手を出してたよね」


「うっ……それとこれとは……」


「七歳差はよくて、五歳差がだめな理由って、ある?」


(正論で殴らないでほしい……!)


「私にとってアレクは弟なの! 三歳の頃から知っているのよ!?」


「うん。だから――僕は四歳のときから、ずっとエレナが好きだよ」


 ……ん?


 今、なんと?


「四歳のプロポーズ、あれ、本気だったんだけどな。あの頃のエレナは四十歳の騎士団長に夢中で、本当に面白くなかった。団長が幼女趣味じゃなくて、心の底からよかったよ」


(た、確かにそれは大問題だわ……)


「王宮で三人で暮らしていた頃、母上は後宮をまとめるのに毎日忙しくて、僕、けっこう寂しかったんだ。そこに来てくれたのが、エレナだった」


 アレクの声が、少しだけ柔らかくなる。


「エレナだって、お母様を亡くしたばかりで一番つらいはずなのに、僕とユリウスの前では絶対に泣かなかった。転んだら起こしてくれて、眠れない夜には手を握ってくれた。僕が王子だからじゃなく、ひとりの子どもとして叱ってくれた」


 当時のことを、私は断片的にしか覚えていない。


 ただ私が泣いたら、弟たちまで不安になると思って必死だったことは覚えている。


「……夜中にひとりで、こっそり泣いていたのも知ってるよ」


 ――知られて、いたのか。


「かっこよくて、優しくて、少し泣き虫なエレナは、僕の憧れで、初恋で……十四年経った今も、ずっと好きな人だよ」


 アレクは私の髪をひと房すくい上げ、そっと唇を寄せた。


 その仕草と眼差しがあまりに大人びていて――どこを探しても、私が守っていた小さな男の子の顔が見つからない。


 頬が一気に熱を持つ。


「僕の気持ちを、もう子どもの憧れだとは思わないで」


 ――ガタン、と馬車が停まった。屋敷に着いたのだ。


「つ、着いたわ! 解散! 今日はもう解散です!」


 私は転がるように馬車を降りて、自室まで全力で逃げた。


 背後で楽しそうな笑い声が聞こえた気がしたけれど、振り返る余裕なんて、あるはずもなかった。




読んでくださりありがとうございます。

14年間、エレナだけを想い続けていたアレク。

しかし当の本人には、まだまだ「弟」としか見てもらえていません。


次回、王宮のガーデンパーティーで事件が起こります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ