第1話 6人目も、ハズレでした
「俺のお母様に従えないなら、別れてもらうしかないよ」
目の前の男は、柔らかな声で諭すように囁いた。
その瞬間、私は悟った。
今回も「ハズレ」だと――……。
◆
アルカディア王国の女性は、婚期が早い。
二十歳前後で嫁ぐのが当たり前。二十三歳にもなれば「行き遅れ」の声がちらほら聞こえはじめ、二十五歳を過ぎれば、ご愁傷様と扇の陰で囁かれる。
そして私、エレナ・フォン・リューベックは、本日ただいまをもって二十三歳・恋人ナシに逆戻りした。
「だけどさ! 一言目にはお母様、お母様って! あのマザコン男!」
結婚適齢期の淑女にあるまじき言葉遣いなのは百も承知だが、自室でくらい暴言を吐かせてほしい。
私はテーブルに溢れんばかりに並べたケーキを次々と口へ運び、紅茶で一気に流し込んだ。
最初は優しかったのだ。本当に優しかった。
笑顔が柔らかく、話題も豊富で、私より七歳年上で大人の余裕がある。こちらが迷えば穏やかに意見を示してくれて、父と同じように、ひとりの女性を大切にする誠実な男性に見えた。
――そう見えただけだった。
◇
母は、私が八歳のときに病で亡くなった。
娘が恥ずかしくなるほど愛し合っていた両親だ。父は十五年経った今も後妻を娶らず、母の肖像画の前でしょっちゅうメソメソ泣いている。
母を亡くした直後は、領地経営と幼い私たちの世話をひとりで抱え込み、とうとう父まで倒れてしまった。母の従姉にあたる王妃殿下のご厚意で、私と弟は三年ほど王宮に預けられたけれど、父は療養中も毎週手紙をくれた。元気になって家へ戻った日には、私たちを抱きしめて何度も謝ってくれた。
だから私は、今も父を尊敬している。
泣き虫だけれど、誠実で、決して愛する人を裏切らない父を。
私もいつか父のような、落ち着いていて、包容力があって、何があっても揺らがない人と結婚したい。
そう思って年上の男性ばかり選んできた結果が、これである。
一人目は、使用人にも丁寧に接する紳士――かと思ったら、見えないところで暴力を振るう男だった。
二人目は、私の話を楽しそうに聞いてくれる社交上手――かと思ったら、私がいつ恋に落ちるかを友人と賭けていた。
三人目は、爵位はないものの仕事のできる頼もしい男性――かと思ったら、既婚者であることを隠していた。
四人目は、羽振りのいい実業家――かと思ったら、賭博で借金まみれだった。
五人目は、女性の扱いに慣れた優しい男性――かと思ったら、私以外にも恋人が四人いた。
そして六人目は、家族思いの穏やかな男性――かと思ったら、三十歳にして自分の髪型から求婚の言葉まで、すべて母親に決めてもらう重度のマザコンだった。
「男運が……ない……」
「男運じゃなくて、男を見る目がないの間違いじゃない?」
横から笑いをこらえるような声が聞こえた。
物心ついてから毎日嫌でも顔を合わせている、五つ下の弟、ユリウスだ。
癖のある淡いブラウンの髪に、エメラルドの瞳。嫌になるほど私に顔が似ていて、なのに弟はモテて私はモテない。解せない。
「十八のガキンチョに、恋愛の何がわかるのよ」
「二十三になっても情緒がお子様な姉様には負けますよ」
ここ一、二年でユリウスはめっきり生意気になった。
母が亡くなったとき、ユリウスはまだ三歳。「姉様がいないと眠れない」とクマのぬいぐるみを抱えて毎晩私のベッドに潜り込んできた、あの可愛かった弟はどこへ行ってしまったのか。
「姉様さ。落ち着いて見える年上なら、誰でもいいの?」
「誰でもよくないわよ。私が探しているのは、包容力があって、誠実で、いざというときに頼りになる大人の男性よ」
「それ、年齢は関係なくない?」
「年上のほうが人生経験も豊富でしょう?」
「その理屈で、六回失敗してるんだけど」
「うるさいわね!」
でも、反論できないのが悔しい。
胸が苦しいのは心が傷ついているのか、はたまた食べすぎによる胸やけか。
燃え尽きたように俯いていると、弟の声にわずかな心配が混じった。
「……そんなに好きだったの?」
実際のところ、あの男を好きだったかといえば――そうでもなかった気がする。
私はいつも、相手の落ち着いた態度に安心して、この人なら大丈夫だと思う。けれど相手の正体がわかった瞬間、驚くほど簡単に冷めてしまう。
(もしかして私、一度もちゃんと恋をしたことがないのかしら)
愛し愛される結婚がしたいと願いながら、恋がどんなものなのかも知らない。
その事実が、六人目の失敗よりも胸に痛かった。
「じゃあさ、アレクシスと付き合っちゃえば?」
私は勢いよく紅茶を噴き出した。
「わっ、きったな! 姉様、それは淑女としてアウトでしょ」
「あんたのせいでしょ! だいたい、王太子殿下を呼び捨てにするのはやめなさいよ!」
ぴしゃりと弟を叱ることで、噴き出した事実をなかったことにする。
「外ではちゃんとしてるから大丈夫だって。俺ら、幼馴染みたいなもんだしいいじゃん。――なぁ、アレクシス?」
弟の視線が、私の背後――侍女がお茶を運んだあと、開け放たれていた扉へと向く。
……嫌な予感がした。
「うん。僕はいつでも、大歓迎だよ」
そして私は、盛大にむせた。
「エレナ、大丈夫?」
むせて言葉も出ない私の背中を優しく撫でるのは、アレクシス。
アレクシス・ルキウス・アルカディア――この国の王太子殿下、その人である。
白銀の髪に、彫刻めいた端正な顔立ち。貴族令嬢の注目度ナンバーワンの貴きお方が、なぜ一伯爵令嬢の自室で背中を撫でているのか。
それには、それなりの事情がある。
父が倒れた三年間、私たち姉弟を王宮へ迎えてくださったのが、現王妃殿下だ。
王妃殿下は亡き母の従姉であり、幼い頃は実の姉妹同然に育った、母の一番の親友でもあったのだという。
母の訃報に誰よりも涙されたお方で、父が倒れたと聞くや、「あの子の忘れ形見を、わたくしが預からずにどうするのです」と、恐縮する父を笑顔で押し切ってくださったのだと、後になって聞いた。
そうして王宮で暮らした三年間、私たちは、弟と同い年のアレクシス殿下と姉弟のように育ったのである。
その頃の私は、母を亡くして泣いてばかりの幼い弟を守らなければと必死だった。王妃殿下がお忙しい日は、寂しそうなアレクシス殿下も一緒に面倒を見た。
転んだ膝を洗い、夜中に怖い夢を見たと泣けば背中を撫で、ユリウスと二人でいたずらをすれば同じように叱った。
私にとってアレクシス殿下は、昔から守るべき「もうひとりの弟」なのだ。
私は背中を撫でる手からそっと逃れ、慌てて淑女の礼をとった。
「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく――」
「エレナは相変わらず固いなぁ。昔みたいにアレクって呼んでよ」
「恐れながら、現在の私の立場では、殿下をそのようにお呼びするわけには」
「僕のお尻を叩いたことがあるのに?」
ぐぅっ、と喉から変な音が出た。
私が十歳のとき、五歳のユリウスとアレクシス殿下が、私の部屋でカマーキーの卵を孵化させたことがある。私は二人のお尻をこれでもかというほど叩いた。しかも生尻で。
間違いなく不敬罪ものだが、乙女の部屋を数百匹のカマーキーの赤ちゃんで満たすほうが先に有罪だと思う。
「アレクシス、からかうのはそのへんにしとけって。姉様、失恋したてなんだから」
弟よ。それは助け舟なのか、それとも追撃なのか。
「失恋? エレナみたいに魅力的な人が、どうして?」
「振られてません! こちらから振ったんです! あんなマザコン男、こっちから願い下げよ!」
「だから姉様は見る目がないんだって。アレクシスにしとけって、前から言ってるのに」
「ちょっ、黙りなさい! あんた不敬がすぎるわよ!」
弟の口を塞ごうと立ち上がった瞬間、反対側から手を取られた。
見慣れていたはずの手が、いつの間にか私のものよりずっと大きくなっていた。
「ユリウスの意見に、僕も賛成だな」
アレクシス殿下が私の手を包み、まばゆいばかりの笑顔で言った。
「そうだよ、エレナ。――僕と付き合おう?」
お読みいただきありがとうございます!
六人連続で「ハズレ」を引いたエレナの前に現れたのは、五歳年下の王太子アレクシス。
弟扱いされている彼の求愛は、果たしてエレナに届くのでしょうか。
毎日更新6話完結です。
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