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こえ  作者: 水川かずみ
先生と私
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7/18

 選挙が始まると、事務所は眠らなくなった。


 朝は駅前。


 昼は街頭演説。


 夕方は個人演説会。


 夜は配信。


 その合間に短い動画を上げた。


 先生は、失われた三十年について話した。


 国民の所得が伸びなかったこと。


 非正規雇用が増えたこと。


 地域の病院や学校が失われたこと。


 若者が将来を信じられなくなったこと。


 既存政治が決断を避けてきたこと。


 どれも、聞いたことのある言葉だった。


 しかし先生が話すと、自分のことのように聞こえた。


「日本には力があります。」


 先生は街頭で言った。


「技術がある。文化がある。勤勉な人がいる。にもかかわらず、三十年も成長できなかった。これは国民が悪いのではありません。政治が、国民の力を生かさなかったのです。」


 拍手が起きた。


 私は演説の一部を切り抜いた。


 日本には力がある。


 政治が生かしていない。


 その二文を前後につなげ、音楽を付けた。


 映像のコメントには、


 やっと日本を取り戻せる。


 日本人は本来優秀。


 この国を駄目にした政治家を追い出せ。


 と並んだ。


 数日後、先生は別の場所で言った。


「日本が特別に優れているという物語へ逃げてはいけません。私たちが失敗してきた事実を直視しなければ、同じことを繰り返します。」


 この部分も動画にした。


 再生数は、最初の動画の十分の一だった。


 コメント欄では、


 急に日本を否定し始めた。


 外国に媚びた。


 言っていることが違う。


 と批判された。


 私は二つの演説を続けて見た。


 先生の中では矛盾していないのだろう。


 日本には力がある。


 日本が特別に優れているという物語へ逃げてはいけない。


 二つは同時に成り立つ。


 けれど、別々の動画として見ると、別々の先生がいた。


 私は若林さんに相談した。


「一本にまとめた方がよかったでしょうか。」


「長くなります。」


「でも、片方だけでは意味が変わります。」


「両方上げたでしょう。」


「見る人が違います。」


「それは私たちにはどうしようもない。」


「おすすめに出す動画を選べます。」


「選ぶのは運営会社です。」


「私たちが題名やサムネイルを変えれば。」


「伸びる方を伸ばさない理由がありますか。」


 私は答えられなかった。


「水野さん。」


 若林さんは言った。


「あなたは、政治を正しく伝えたいんですか。それとも、有権者に選ばれる政治を作りたいんですか。」


「私は編集者です。」


「それが答えになっていると思いますか。」


 先生と同じようなことを言う人が増えた。


 私が答えられないことも増えた。


 選挙終盤、奈緒さんが応援演説に立つことになった。


 先生は最後まで反対した。


 しかし党本部が求めた。奈緒さんの存在は、先生がなぜ政治家になったかを分かりやすく示した。


 会場には大勢の人が集まった。


 奈緒さんは、制度によって家族が傷ついた過去を話した。


「誰に相談しても、制度上は問題がないと言われました。個別の事情だと言われました。けれど、私たちにとっては、個別の人生が全てでした。」


 拍手が起きた。


「その時、私たちの話を最後まで聞いてくれたのが、峰岸でした。」


 先生は奈緒さんの後ろに立っていた。


 奈緒さんは続けた。


「峰岸は、私たちの声を国会へ持って行ってくれました。」


 私はカメラ越しに先生を見た。


 先生は笑っていなかった。


「私は、峰岸を信じています。」


 大きな拍手が起きた。


 その演説動画は、選挙期間中で最も再生された。


 私たちは勝った。


 議席は大きく増えた。


 開票日の夜、事務所では歓声が上がった。


 先生は当選の花を付け、支持者と握手をした。


 記者が尋ねた。


「躍進の要因を、どう分析されていますか。」


「国民が、既存政治に答えを求めた結果だと思います。」


「峰岸先生が、その答えを示したと。」


 先生は少し間を置いた。


「私たちが示したのは、問いです。」


 記者は次の質問へ移った。


 後で、記事の見出しには、


 国民が答えを求めた結果。


 とだけ書かれていた。


 私はそれを先生に見せた。


「また切られましたね。」


 先生は言った。


「抗議しますか。」


「しません。」


「なぜ。」


「私も同じことをしていますから。」


「何を。」


「国会で。」


 先生は祝いの声が響く部屋を見た。


「相手の長い答えから、都合の悪い部分を切る。切ったものへ、答えていないと言う。」


「でも、質問時間には限りがあります。」


「そうです。」


「仕方がないのでは。」


「仕方がないことは、責任がないという意味ではありません。」


 その時、奈緒さんが近づいてきた。


「おめでとう。」


 先生は振り返った。


「ありがとう。」


「嬉しくないの。」


「嬉しいです。」


「そう見えない。」


「疲れているだけです。」


 奈緒さんは先生の胸の花を直した。


「桐谷さんも、喜んでいるかしら。」


 先生の顔が変わった。


 ほんの一瞬だった。


 けれど、私は見た。


「今、その話をする必要がありますか。」


「今だからするの。」


「奈緒。」


「この議席は、あの人が作ったものでもあるでしょう。」


 先生は周囲を見た。


 誰も二人の会話を聞いていないようだった。


「帰ってから話そう。」


「帰ったら、あなたは話さないでしょう。」


「今は、やめてくれ。」


 奈緒さんは先生を見つめた。


「あなたは、あの人の何を引き継いだの。」


 先生は答えなかった。


 奈緒さんは私に気付いた。


 私たちの目が合った。


 私は咄嗟にカメラを下げた。


 撮ってはいなかった。


 けれど奈緒さんには、撮られたように見えたのだと思う。


「ごめんなさい。」


 奈緒さんは言った。


 何について謝ったのか、分からなかった。


 その夜、先生は最後まで支持者の前にいた。


 笑い、握手をし、写真を撮った。


 私はその姿を編集し、勝利の動画を作った。


 動画の最後に、先生が言った。


「ここからが始まりです。」


 歓声が上がった。


 私は、その直前に先生が一人で目を閉じていた三秒間を切った。

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