二十
水野さん。
あなたは、なぜ私の動画を作るのですか。
最初に尋ねた問いを、もう一度書きます。
政治を若い人へ届けたいから。
国会を身近にしたいから。
真実を知らせたいから。
仕事だから。
再生されるから。
どの答えも、嘘ではないでしょう。
しかし、そのどれも、あなた自身を完全には説明しません。
人は、自分の行為に理由があると思いたがります。
理由がなければ、自分が空っぽに感じられるからです。
けれど、理由の多くは後から作られます。
私は国民の声を届けるために政治家になった。
奈緒を救うために制度を変えた。
桐谷の知識を生かすために原稿を使った。
日本を変えるために断言した。
それらは全て本当です。
同時に、私は自分の言葉を奪った者へ勝ちたかった。
注目されたかった。
奈緒に選ばれたかった。
桐谷より現実を動かせる人間だと思われたかった。
支持者に必要とされたかった。
自分が空っぽではないと確かめたかった。
どれが本当の理由なのか。
今の私には、決められません。
人の中に、一つの本当の声があるという考え自体が、間違っているのかもしれません。
それでも政治家は、自分の声で話しているように見せなければなりません。
有権者は、誰かの中に一つの意志があると信じなければ、選べないからです。
私は、多くの人の資料を読みました。
専門家の意見を聞きました。
当事者の声を聞きました。
職員が原稿を書きました。
広報が言葉を短くしました。
あなたが映像を切りました。
推薦の仕組みが、それを必要とする人へ届けました。
そして国民は、私の言葉を聞いたと思いました。
では、私はどこにいたのでしょう。
私は、他人の言葉を選んだ。
その選択こそが、私だと言うこともできます。
けれど私は、選んだ責任を、
専門家が言っている。
当事者が求めている。
国民の声である。
と返し続けました。
私は、自分の中身がなかったのではありません。
自分の中身として引き受けることを避け続けたのです。
それが、私の空洞です。




