十六
桐谷の死から十年以上が過ぎました。
私は政治家として成功しました。
党の議席は増えました。
国会では、各分野の専門家が政府を追及するようになりました。
医師が医療政策を問う。
農業者が食料政策を問う。
元官僚が行政の矛盾を暴く。
研究者が統計を示す。
当事者が、自分の経験を語る。
その映像は連日のように広がりました。
国民は、政治が見えるようになったと言いました。
私も、そう思っていました。
しかし議席が増え、私たち自身が政策をまとめる段階になると、別の問題が現れました。
専門家は、自分の分野について正しい。
しかし、一つの分野で正しい政策が、別の分野では損失になる。
社会保障を増やせば、負担が増える。
負担を減らせば、支援が減る。
規制を強めれば、安全は高まるが、費用も増える。
規制を緩めれば、参入は増えるが、事故も増える。
国内産業を守れば、価格が上がる。
価格を下げれば、国内産業が弱る。
誰も間違っていませんでした。
だから、誰かの正しさを捨てなければなりませんでした。
私は、優先順位を決めました。
すると、かつて私たちを支持した人たちから、裏切りだと言われました。
国会で、私は政府側と同じ言葉を使うようになりました。
総合的に検討する。
関係者の理解を得る。
段階的に進める。
現時点で断言することは困難。
私は、それらの言葉が逃げではないことを知りました。
複数の正しさを同時に背負えば、言葉は長くなります。
断言はできなくなります。
けれど、かつての私は、その長さを無責任と呼びました。
私の過去の動画が、今の私を追いました。
昔の私が画面の中で言いました。
「できない理由を並べるのが政治ですか。」
今の私は、できない理由を説明していました。
支持者は言いました。
峰岸は変わった。
権力に取り込まれた。
初心を失った。
私は、変わったのではありません。
初めて、選ぶ側になっただけです。
しかし、その説明もまた、自分を守るための事実かもしれません。




