三
先生の動画は、私が関わるようになってから、以前より長くなった。
平均三分だったものを、五分から八分にした。
質問だけでなく、政府答弁も入れた。
先生が示した数字の出典を、画面の下に表示した。
反対説がある場合は、説明欄に書いた。
再生数は落ちた。
最初の一週間で、以前の半分になった。
コメント欄には、
編集が政府寄りになった。
余計な答弁を入れるな。
結局何が言いたいのか分からない。
前の方が見やすかった。
という言葉が並んだ。
先生は数字を見ても何も言わなかった。
広報担当の若林さんは言った。
「このままだと、他党のチャンネルに負けます。」
「勝ち負けなんですか。」
私が尋ねると、若林さんは眉を上げた。
「見られなければ、存在しないのと同じです。」
「国会で質問した事実は残ります。」
「議事録を読む人が何人いると思いますか。」
「それでも、意味を変えてまで。」
「意味を変えているのは、長くする方かもしれませんよ。」
若林さんは私の画面を指した。
「八分も見ない人は、途中で離脱する。最初の二分だけ見たら、結論が分からない。あなたは全部入れることで公平にしたつもりでも、視聴者には途中までしか届かない。」
私は黙った。
「短い動画なら、少なくとも最後まで見てもらえる。何を残すかは編集者の責任だけど、何も届かないよりはいい。」
若林さんの言葉も正しかった。
この仕事を始めてから、正しい言葉が増えた。
正しい言葉が増えるほど、私は何を選べばいいか分からなくなった。
その日の夜、先生からメッセージが来た。
少し話せますか。
事務所には先生しか残っていなかった。
窓の外に、官庁街の明かりが見えた。昼間は人が出入りしている建物も、夜になると巨大な箱に見えた。
「再生数が落ちています。」
先生が言った。
「はい。」
「戻したいですか。」
「戻した方がいいとは思います。」
「なぜ。」
「多くの人に届くからです。」
「届いたものが、別の意味でも。」
「別の意味にしないように作ります。」
「できますか。」
「努力します。」
「努力で済むことではないでしょう。」
先生は窓の外を見た。
「あなたは、私が正しいと思っていますか。」
「はい。」
「全部。」
「全部ではありません。」
「では、どこが間違っていると思います。」
私は答えられなかった。
先生の政策を全て調べたわけではない。
反対意見を読んだこともない。
私が知っているのは、先生が国会で質問し、政府が答え、動画が再生されたということだけだった。
「知らないんです。」
私は言った。
「何が。」
「先生が正しいかどうかを。」
先生は頷いた。
「それでいいんです。」
「いいんですか。」
「知らないことを知っているなら。」
「でも、私は先生の動画を作っています。」
「だから、困るんです。」
先生は椅子に深く座った。
「知らない人が、知っているように見える人間の映像を作る。見る人は、その映像を見て、自分も知ったと思う。」
「それは、どの報道も同じでは。」
「そうです。」
「では、どうすればいいんですか。」
「分かりません。」
先生はあっさり言った。
私は驚いた。
動画の中の先生は、分かりませんと言わなかった。
分からないと答えた大臣を追及し、調べていない官僚を批判し、決断しない政府を責めた。
「分からないんですか。」
「分からないから、あなたを雇ったんです。」
「私なら分かると思ったんですか。」
「若い人が何を見るのか、私は知りません。」
「再生数を見れば分かります。」
「再生数は、見たことしか教えない。」
「それで十分では。」
「見た後に何を考えたかは、教えません。」
「コメントがあります。」
「コメントを書く人が、見た人の全部ではない。」
「調査をすれば。」
「質問の仕方で答えは変わる。」
先生はそこで言葉を切った。
「私は、国民の声を聞くと言って政治家になりました。」
「聞いていると思います。」
「何を聞いているんでしょう。」
「要望や、不満や。」
「それは声ですか。」
私は意味が分からなかった。
「声でしょう。」
「言葉ではなく。」
「声と言葉は違うんですか。」
「違います。」
先生は、はっきりと言った。
「言葉は、誰かに伝わる形になったものです。声は、その前にある。」
「その前。」
「本人にも、まだ何を言っているか分からないものです。」
先生は机の上の端末を見た。
「政治は、言葉になったものしか扱えません。要望書、統計、陳情、投票、世論調査。けれど、人が本当に困っている時、最初から正しい言葉で困るわけではない。」
私は、先生が何を考えているのか分からなかった。
「昔、そういうことを言う人がいました。」
先生は言った。
「誰ですか。」
「友人です。」
「政治家ですか。」
「いいえ。」
「今は。」
先生は答えなかった。
私は、額の言葉を書いた政策秘書のことを思い出した。
「辞めた人ですか。」
先生は私を見た。
「小川さんから聞きましたか。」
「少しだけ。」
「名前は。」
「聞いていません。」
「桐谷といいます。」
先生は立ち上がった。
「今日は遅い。帰りましょう。」
その夜、私は帰りの電車で桐谷という名前を検索した。
同姓同名が多く、先生との関係を示すものは見つからなかった。
ただ、一つだけ、古い研究会の記録に、
桐谷慎一 公共政策研究所研究員
という名前があった。
発表題目は、
当事者の声を政策言語へ変換する際に失われるものだった。




