三
奈緒の集めた資料は、精密ではありませんでした。
日付が曖昧なものもありました。
家族の記憶だけに基づくものもありました。
制度上は別の事例を、同じ問題として扱っているものもありました。
桐谷は、それらを一件ずつ分けました。
行政記録を請求し、通知文を読み、当時の運用を確認しました。
本人に話を聞ける場合は、家族とは別に聞きました。
私は、法的に争える事例を選びました。
奈緒は、その作業を手伝いました。
私たちは何度も衝突しました。
奈緒は、除外された事例の人たちを見捨てるのかと言いました。
桐谷は、違う事例を同じだと言えば、全体が信用を失うと答えました。
私は、勝てる部分から変えるべきだと言いました。
「勝てる部分だけ変わったら、残った人はどうなるんですか。」
奈緒が尋ねました。
「全部を一度には変えられません。」
「では、誰から救うかを決めるんですか。」
「決めなければ、誰も救えない。」
私はそう答えました。
その言葉を、私は正しいと思っていました。
今でも、政策とはそういうものだと思います。
しかし、正しい言葉は、それを言う人間の動機まで正しくしてくれません。
私は奈緒に、自分が決める人間だと思われたかった。
桐谷より、現実を動かせる人間だと思われたかった。
その気持ちを、私は長い間、責任感と呼んでいました。
やがて私たちは、制度改善を求める提言書を作りました。
桐谷が本文を書きました。
私は法的な論点を加えました。
奈緒は事例を整理し、当事者の言葉を付けました。
提言書は百二十ページになりました。
私たちは各党の議員へ送りました。
返事はほとんどありませんでした。
ある議員の事務所からは、要約版を送ってほしいと言われました。
桐谷は二十ページにしました。
返事はありませんでした。
次に五ページにしました。
それでも返事はありませんでした。
奈緒が言いました。
「結局、誰も読まないんですね。」
桐谷は答えませんでした。
私は、知り合いの番組制作者へ連絡しました。
以前、私の言葉を切った番組とは別の局でした。
当事者の声を取り上げたいと伝えると、担当者は興味を示しました。
ただし、条件がありました。
一人の事例に絞ること。
制度の説明は短くすること。
行政側の問題を明確にすること。
視聴者が理解できる被害の形にすること。
私は奈緒に出演を頼みました。
桐谷は反対しました。
「まだ、制度との因果が確定していない。」
「問題があることは確かだ。」
「問題があることと、奈緒の弟に起きたことの全てが制度の責任であることは違う。」
「そんな言い方では、誰も見ない。」
「見るかどうかで事実を変えるのか。」
「変えない。伝え方を変えるだけだ。」
「お前は前に、それで傷ついたんじゃなかったのか。」
私は腹を立てました。
「だから、今度は私が編集に関わる。」
「自分なら正しく切れると思っているのか。」
「少なくとも、他人に任せるよりは。」
桐谷は私を見ました。
「お前は、自分の言葉を守りたいんじゃない。」
「では、何だ。」
「自分が切る側に回りたいだけだ。」
私は彼を殴りそうになりました。
実際には、殴りませんでした。
私は冷静な人間だったからです。
私は、桐谷にもうこの件へ関わらなくていいと言いました。
奈緒は何も言いませんでした。
番組は放送されました。
奈緒の話は、大きな反響を呼びました。
行政は、制度上適切に対応したと説明しました。
その答弁が、さらに批判を呼びました。
国会でも取り上げられました。
審議会が設置されました。
運用の一部が見直されました。
説明時に、本人の理解能力を確認する手続きが追加されました。
家族や支援者の同席も、以前より認められるようになりました。
実際に救われた人がいました。
奈緒には感謝の手紙が届きました。
私は、自分たちが正しかったと思いました。
桐谷も、制度改正自体は評価しました。
ただ、一度だけ私に言いました。
「これで、制度が原因ではなかった人まで、制度の被害者になった。」
「何が悪い。」
「本人の人生が、政策を動かすための説明に変わった。」
「救われた人がいる。」
「そうだな。」
「では、成功だ。」
「成功だ。」
桐谷は認めました。
彼が認めたことで、私は勝ったと思いました。
何に勝ったのかは、今も分かりません。




