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こえ  作者: 水川かずみ
先生と遺書
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18/48

一

 水野さん。


 私はこれから、桐谷慎一について書きます。


 しかし、その前に、私自身について書かなければなりません。


 人は、誰かを裏切った時、相手について語ることで、自分のしたことを薄めようとします。


 相手は難しい人間だった。


 相手にも問題があった。


 相手は私を理解しなかった。


 相手が別の選択をしていれば、結果は違った。


 私は長い間、そのように考えてきました。


 それらは、すべて事実です。


 だからこそ、私は事実を信用していません。


 事実は、嘘よりも巧妙に人を守ることがあるからです。


 私は桐谷を殺してはいません。


 これも事実です。


 桐谷が死んだ時、私はその場所にいませんでした。


 私は刃物も、薬も、縄も渡していません。


 死ねと言ったこともありません。


 むしろ、生きろと言いました。


 少し休め。


 治療を受けろ。


 仕事から離れろ。


 落ち着いたら、また話そう。


 私は、適切な言葉を選びました。


 その適切さが、桐谷を一人にしたのだと、今では思っています。


 私が最初に政治を志したのは、国を変えたいと思ったからではありません。


 自分の言葉を、他人に切られたくなかったからです。


 私は三十五歳の時、弁護士としてテレビ番組に出演しました。


 ある労働事件について解説するためでした。


 私は二十分ほど話しました。


 会社側の責任。


 労働者側の証言の不一致。


 制度上の問題。


 個別事件だけでは一般化できない点。


 裁判で認定された事実と、報道で語られている事実の違い。


 放送されたのは二十秒でした。


 私は画面の中で、


 労働者側にも問題があった。


 と言っていました。


 前後はありませんでした。


 放送後、私は会社を擁護する弁護士として批判されました。


 事件の当事者からも、あなたには失望したという手紙が届きました。


 私の所属していた事務所には抗議が殺到しました。


 私は番組へ訂正を求めました。


 番組側は、編集上の問題はないと答えました。


 私は確かに、その言葉を口にしていたからです。


 嘘ではありませんでした。


 私はそこで、初めて知りました。


 人の言葉は、本人のものではない。


 誰かに届いた時点で、届いた形のものになる。


 私は、自分の言葉を守りたいと思いました。


 今から考えれば、それが最初の間違いでした。


 言葉を守りたいのなら、黙るべきだった。


 けれど私は、もっと話そうとしました。


 全部話せば分かる。


 長く説明すれば誤解は解ける。


 直接届ければ、切り取られない。


 そう考えました。


 その考えを最初に否定したのが、桐谷でした。


 彼は言いました。


 長く話せば、長く誤解されるだけだ。


 私は怒りました。


 では、どうすればいいと尋ねました。


 桐谷は、


 誤解されたまま、責任を負うしかない。


 と答えました。


 私は、その答えを臆病だと思いました。


 何も変えない者が、慎重さを美徳にしているだけだと。


 私と桐谷は、大学時代からの友人でした。


 彼は、私より頭が良かった。


 私は試験に強く、彼は問いを作ることに強かった。


 私が答えを出すと、彼はその答えが成立する条件を尋ねました。


 私が正義を語ると、彼はその正義によって不利益を受ける人を探しました。


 私が現実的な妥協をすると、彼は何を諦めたのかを言葉にしました。


 私は彼を尊敬していました。


 同時に、彼が嫌いでした。


 彼と話すと、自分が何かを決めるたびに、その決定によって捨てたものが見えたからです。


 人は、自分が選んだものを見て生きたい。


 桐谷は、選ばなかったものを見せる人でした。


 彼は公共政策を研究していました。


 政策は、正しい答えを実行することではない。


 どの損失を受け入れるかを決めることだ。


 彼はよくそう言いました。


 私は、そんな言い方では人は動かないと言いました。


 桐谷は、


 動いた先に何があるか分からないまま、人を動かす方が危険だ。


 と答えました。


 それでも、後に私が政治家になった時、最初に彼を呼びました。


 私は、自分に足りないものを知っていたからです。


 私は決めることができた。


 桐谷は、決めてはいけないことを知っていた。


 二人であれば、間違わないと思いました。


 私たちは、自分たちだけは違うと思っていました。


 それが、私たちの最も凡庸なところでした。


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