一
水野さん。
私はこれから、桐谷慎一について書きます。
しかし、その前に、私自身について書かなければなりません。
人は、誰かを裏切った時、相手について語ることで、自分のしたことを薄めようとします。
相手は難しい人間だった。
相手にも問題があった。
相手は私を理解しなかった。
相手が別の選択をしていれば、結果は違った。
私は長い間、そのように考えてきました。
それらは、すべて事実です。
だからこそ、私は事実を信用していません。
事実は、嘘よりも巧妙に人を守ることがあるからです。
私は桐谷を殺してはいません。
これも事実です。
桐谷が死んだ時、私はその場所にいませんでした。
私は刃物も、薬も、縄も渡していません。
死ねと言ったこともありません。
むしろ、生きろと言いました。
少し休め。
治療を受けろ。
仕事から離れろ。
落ち着いたら、また話そう。
私は、適切な言葉を選びました。
その適切さが、桐谷を一人にしたのだと、今では思っています。
私が最初に政治を志したのは、国を変えたいと思ったからではありません。
自分の言葉を、他人に切られたくなかったからです。
私は三十五歳の時、弁護士としてテレビ番組に出演しました。
ある労働事件について解説するためでした。
私は二十分ほど話しました。
会社側の責任。
労働者側の証言の不一致。
制度上の問題。
個別事件だけでは一般化できない点。
裁判で認定された事実と、報道で語られている事実の違い。
放送されたのは二十秒でした。
私は画面の中で、
労働者側にも問題があった。
と言っていました。
前後はありませんでした。
放送後、私は会社を擁護する弁護士として批判されました。
事件の当事者からも、あなたには失望したという手紙が届きました。
私の所属していた事務所には抗議が殺到しました。
私は番組へ訂正を求めました。
番組側は、編集上の問題はないと答えました。
私は確かに、その言葉を口にしていたからです。
嘘ではありませんでした。
私はそこで、初めて知りました。
人の言葉は、本人のものではない。
誰かに届いた時点で、届いた形のものになる。
私は、自分の言葉を守りたいと思いました。
今から考えれば、それが最初の間違いでした。
言葉を守りたいのなら、黙るべきだった。
けれど私は、もっと話そうとしました。
全部話せば分かる。
長く説明すれば誤解は解ける。
直接届ければ、切り取られない。
そう考えました。
その考えを最初に否定したのが、桐谷でした。
彼は言いました。
長く話せば、長く誤解されるだけだ。
私は怒りました。
では、どうすればいいと尋ねました。
桐谷は、
誤解されたまま、責任を負うしかない。
と答えました。
私は、その答えを臆病だと思いました。
何も変えない者が、慎重さを美徳にしているだけだと。
私と桐谷は、大学時代からの友人でした。
彼は、私より頭が良かった。
私は試験に強く、彼は問いを作ることに強かった。
私が答えを出すと、彼はその答えが成立する条件を尋ねました。
私が正義を語ると、彼はその正義によって不利益を受ける人を探しました。
私が現実的な妥協をすると、彼は何を諦めたのかを言葉にしました。
私は彼を尊敬していました。
同時に、彼が嫌いでした。
彼と話すと、自分が何かを決めるたびに、その決定によって捨てたものが見えたからです。
人は、自分が選んだものを見て生きたい。
桐谷は、選ばなかったものを見せる人でした。
彼は公共政策を研究していました。
政策は、正しい答えを実行することではない。
どの損失を受け入れるかを決めることだ。
彼はよくそう言いました。
私は、そんな言い方では人は動かないと言いました。
桐谷は、
動いた先に何があるか分からないまま、人を動かす方が危険だ。
と答えました。
それでも、後に私が政治家になった時、最初に彼を呼びました。
私は、自分に足りないものを知っていたからです。
私は決めることができた。
桐谷は、決めてはいけないことを知っていた。
二人であれば、間違わないと思いました。
私たちは、自分たちだけは違うと思っていました。
それが、私たちの最も凡庸なところでした。




