3 姫と王子と悪い魔女
囚われのアリン姫は、美羽に胴体を掴まれたまま、クイッと片腕を斜め後方へ向けた。
「もちろんよ! いいこと? あそこにお城が見えるでしょう?」
「うん」
腕はお城を指してはいなかったけれど、美羽は頷いた。
「物語は、あそこから始まるの。王子との結婚式の最中だったわ」
「へえ。王子様との結婚式から始まる物語なんだ……」
「ええ、そうよ。けれど、誓いのキスを交わす前に、美しいけれど嫌われ者の魔女がお城に乗り込んできて、わたしたちを…………王子以外のみんなを人形にしてしまったのよ!」
「…………!」
アリン姫の声に、熱と力がこもった。
アリン姫を鷲掴む美羽も、グッと手に力をこめる。
――――似ているけれど、少し違う物語。
美羽の物語では……美羽視点の物語では、人形にされてしまったのは。
ギリギリと、美羽の手が締まっていく。
幸いにも、人形のボディにダメージはないようだ。アリン姫は、コルセットのごとく締めつけてくる美羽の手を気にした素振りもなく話を続ける。
「魔女は王子に、わたしではなく、自分と結婚しろと迫ったの。美しい自分の方が王子にふさわしいからって。でも、王子は、それを断ったわ。だけど、それを聞いて怒った魔女は、王子の心を奪ってしまったの。王子は、体は人間のままだけれど、人形も同然の空っぽになってしまったのよ」
「…………」
一人だけ無事だった王子様も、結局は《人形》にされてしまったようだ。
美羽の彼のように…………。
美羽の指先が、青いドレスの中にめり込んだ。
魔女への怒りが、青白く冷たい炎となって美羽のお腹の底から生まれ、脳髄へと駆け抜けていった。
でもそれは、アリン姫の王子様を人形に変えた、絵本の中の魔女への怒りではない。美羽の彼から心を奪い、魔女の言いなりのお人形さんにした、洋館に住む魔女への怒りだ。
「それから、魔女は邪魔なわたしをお城の窓から外へ放り投げたのよ。まったく、酷いことをするわよね? そう思わない?」
「…………うん。ひどい」
「おまけに! 途中でカラスにキャッチされて、森の外まで運ばれちゃったのよ!」
「そ、それは、災難だったね…………ん? 森の外…………?」
美羽は、アリン姫に共感して頷き、それから首を傾げた。
お茶会会場は、お城と反対側ではあった。けれど、間違いなく森の中にあったはずだからだ。美羽は森の中へ墜ちていって、お茶会のテーブルにつくことになったのだから、それは間違いないはずなのだ。
答えは単純だった。
「ええ。挑戦者さんたちはいつも、少し森を進んだお茶会のシーンで現れるのよね。なんかこう、招待しているっぽいからかしら?」
「あ、あー……」
言われてみれば……と、美羽は絵本の世界へ墜ちる前に見たものを思い返す。
絵本の中の世界ではない、美羽がいたの世界で最後に見たもの。
開いたまま置き去りにされていた魔女の絵本。
美羽が最後に見たお茶会のページは、絵本の途中だった。真ん中よりも、少し手前のあたり。
美羽にとっての始まりの場所は、アリン姫にとっては、物語の通過地点なのだ。
納得すると同時に、疑念も芽生えた。
姫は、挑戦者はいつもお茶会のシーンで現れると言った。
つまり、ここは魔女が設定した、ゲームの開始地点ということだ。
美羽の存在は《イレギュラー》だったが、この出会いはイレギュラーではないのだ。
(となると、この子は、魔女の手下……ってことなのかな? やたらとフレンドリーなのは、あたしを油断させるため……?)
その考えは、なんだかしっくりこなかった。
洋館の魔女は、影が滲むような少女だった。
闇とも違う、滲むような翳りを帯びていた――――。
対して、手の中の人形は、絵本の主人公らしく、陽光の気配が強い。心清らかかというには、少々いい性格をしているようだが、それでも。
紛うことなき光の住人だ。
魔女の手下とは思えない。
それに、《《魔女に人形にされた女の子とも違う》》ように思う。
人形姫を握りしめたまま、美羽は物思いに沈むが、姫はお構いなしに物語の続きを高くて愛らしい声でハキハキと語った。
「まあ、とにかく! わたしは、森のみんなの協力を得ながら、一路お城を目指したのよ。王子を……いいえ! 魔女に奪われた、すべてを取り戻すためにね! もちろん、最後はハッピーエンドよ! わたしは、心優しきお姫様として、愛の力ですべてを取り戻し、王子と結ばれたのよ!」
美羽はハッとファンタジーな現実に立ち戻った。
とりあえず、アリン姫の物語は、子供向けの絵本らしく王道のストーリーのようだ。
けれど、美羽はその結末に勇気づけられた。
見た目の美しさではなく、心の美しさがウリのお姫様が、美しいだけの魔女に打ち勝ち、王子様と結ばれる。
とはいえ、この時。美羽の脳裏に浮かんだのは、洋館の魔女の顔ではなかった。
後藤加奈。アイドルめいた派手な顔立ち。美貌を鼻にかけた嫌な女。
このゲームの正式な招待客。
そう言えば、アリン姫からは、彼女の話題は一度も出てこなかった。
彼女はまだ、ゲームに参加していないのだろうか?
怖気づいて逃げ出したのならば問題ないが、そうでないなら、いつまでもこの場に居たら鉢合わせるかもしれない。
出来れば、それは避けたかった。
美羽がゲームに参加していることを、彼女には知られたくなかった。
となれば、アリン姫に口止めをして、さっさとこの場を去るべきだった。
目的地の検討はついている。
絵本のストーリーをなぞるのならば、お城には今、空っぽの王子様と絵本の中の魔女がいるのだろう。
そして、美羽の予想が正しければ、美羽の探し物もそこにあるはずだった。
美羽の彼と絵本の王子様には、共通点がいくつかある。
だから、きっと。
美羽が探し求めるものは…………。
グッと拳を握りしめ、決意を固めたのだけれど、口止めよりも姫のセリフの方が早かった。
「ま、そういうわけで! 何度も辿った道ですからね! お城への道案内は任せてちょうだい!」
「あ、やっぱり、あのお城がゴール地点…………ん? え? 案内……してくれるの? どうして?」
姫は美羽に同行を申し出た。
図らずも目的地の答え合わせが出来た美羽はポンと手を合わせた後、「ん?」と首を傾げた。
それは、願ったり叶ったりの申し出ではあった。
テディベアと日本人形から美羽の存在がバレることはなさそうだし、お喋りなアリン姫が一緒について来てくれるというのなら、口止めも必要なくなる。
ゲームの最終目的地で間違いなさそうなお城への道案内をしてくれるというのも非常にありがたくはある。だけど、いささか都合がよすぎる気もして、美羽は理由を尋ねる。
アリン姫のチープでのほほんとした見た目に騙されて職務放棄していた警戒心が、ようやく仕事を始めたのだ。
けれど、姫の答えは、単純明快だった。
「あら。そんなの、決まっているじゃない。早いところ、あなたたちのゲームを終わらせてもらわないと、いつまでたってもわたしの物語が始められないじゃない! 言ったでしょ? この物語の本当の主人公は、わたしなのよ! いつまでも、お外の魔女に乗っ取られたままじゃ堪らないわよ!」
「あ、そういう理由」
心優しいお姫様には似つかわしくない、なかなか利己主義に溢れた返答ではあったけれど、とても分かりやすい理由ではあった。
アリン姫からしたら、洋館の魔女は、絵本を乗っ取り、姫を主人公の座から追いやった憎い相手なのだ。
つまり――――。
「敵の敵は、敵ってことよ!」
「…………いや、味方じゃなくて?」
「そうとも言うわね!」
美羽は半眼で言い間違いを指摘したが、アリンはそれを認めず、エヘンと胸を張った。
美羽は呆れたけれど、如何にもな心優しきお姫様キャラよりも、このくらいの方がパートナーとして付き合うには、ちょうどいいな、とも思った。
「まあ、いいや。それじゃあ、よろし……」
美羽は、姫の体を開放し、協力を受け入れる旨の挨拶をしかけ――――途中で言葉を止めた。
遠くから微かに、影を這うような悍ましい声が聞こえてきたのだ。
「ハートヲ…………チョーダイ…………ハートヲ……」
ハッと顔を上げ、声がしてきた方へと視線を投げる。
嘘つきを糾弾するテディベアの背後。
お茶の席を取り囲む木立の向こうに、滲むような影が見えた。




