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魔女の仕掛け絵本ーRー  作者: 蜜りんご
第6章 ハートの行く末
28/30

4 ハートをあなたに

 くるくると螺旋を描いて昇って、ついに。

 美羽は、その場所に辿り着いた。

 青いとんがり屋根に白レンガの壁の塔。

 その最上階。

 青い屋根の真下の部屋。

 木製の扉は、こっくりとした焦げ茶色だった。

 華美ではないが、絵本のお城らしい可愛さがあって、美羽好みだ。

 心臓が騒いでいるのは、階段を駆け上がったせいだけじゃなかった。

 頬が赤く染まっているのは、息切れしているせいばかりではなかった。

 邪魔な槍は、とっくに手放していた。

 美羽は両手を胸に当て、大きく息を吸って吐き出し、呼吸を整える。

 これから、美羽の物語はクライマックスを迎えるのだ。

 呼吸が乱れてカミカミでは、台無しだ。

 深呼吸を何度か繰り返すうちに、息は整ってきたけれど、心臓は煩く騒いで鳴り止まない。

 むしろ、より一層激しく鳴り響いていた。

 階下に残してきたアリンのことも異形のことも、もう、美羽の頭にはなかった。

 彼との未来しか、見えていない。


 彼はいつも必ず美羽に気づいてくれた。

 テラスで絵本を読む魔女の後ろで美しい背景のように佇みながらも、美羽がゆっくりと通り過ぎる時には、必ず美羽に気づいて、静かに微笑んでくれた。

 それは、いつもほんの一瞬のことで。

 都合のいい錯覚じゃないかというくらいに、ほんの一瞬で逸らされる視線。幻想のように儚く消える微笑み。

 でも、それでも。それだけで。

 それだけで、いっぱいになって、溢れそうになった。

 そして、昨日の夕方。

 美羽は初めて、彼と二人きりになった。

 テラスと通りを遮る銀の柵越しではあるけれど。

 初めて、魔女のいない場所で会うことが出来た。

 柵越しに触れあった指と指。

 絡み合ったまま、離れない視線。

 美羽の声は彼に届き、彼の声が美羽に降り注ぐ。

 美羽は彼の願いを聞いた。

 必ず叶えると約束した。

 絵本の中に囚われた彼の(ハート)を開放して、そして。

 今度は、境界線(銀の柵)あちら(テラス)側とこちら(道路)側ではなく。

 二人を邪魔するものは、何もない場所で。

 二人を隔てるものは何もないところで。

 美羽は、彼と――――。


「……………………っ」


 頬に血を昇らせ、美羽は俯いた。

 鼓動の音が煩い。

 顔も体も熱い。


(い、行こう!)


 ここでこうしていても、騒ぐ鼓動も熱も治まらないとようやく察して、覚悟を決めた。

 頬を熱で染め上げたまま、焦げ茶色を二回、ノックする。

 中に異形がいるかも……なんて考えは、微塵も浮かばなかった。

 美羽は今、美羽だけの物語の主人公だった。

 ゲームのルールも勝利の条件も知らないのに。

 お膳立てされた告白イベントに臨むような高揚感。

 美羽が想いを伝えれば、愛の奇跡で何とかなるのだと。

 何の疑問もなく、ハッピーエンドを信じていた。


「どうぞ? 鍵は開いているよ」

「…………っ! し、失礼します」


 彼の声だ!……と美羽は瞳を潤ませる。

 少し声が硬いのは、ノックの主が誰だか分からないせいなのだろう、と美羽は急いで銅色のドアノブを捻り、焦げ茶色の扉を押し開ける。

 早く美羽の姿を見せて、安心させてあげたかった。

 約束通り助けに来たよ、と早く伝えたかった。

 中に入ると、狭い小部屋の中は落ち着いた色調の家具で品よくまとめられていたが、美羽の目には入らなかった。

 部屋の奥には、アーチ型の小窓があって、薄く雲が棚引く青空が見える。

 アリンと森を冒険していた時に見えた空。

 王子は、窓際に立って、空を見上げていた。

 白を基調に鮮やかな青のアクセントが入った豪奢すぎない衣装。


「あ、あの、あたし! 美羽です!」


 王子が振り返った。

 見間違えるはずもない、人形のように整った、落ち着いた美貌。

 白と紺のシンプルな装いも似合っていたけれど、品の良い王子装束もよく映えていた。


「ミウ?」

「は、はいっ! あ、あたし! 約束通り、ちゃんと助けに来ました!」


 名前を呼んでもらえたのは、初めてだった。

 テラスで約束を交わしたときには、“君”としか呼んでもらえなかったし、記号のような名前しか教えてもらえなかった。

 嬉しくなって、笑みを零しながら、美羽は子犬のように王子の元へ駆け寄る。

 けれど、柵がないのに、柵がないからこそ。

 あともう一歩の距離までしか、近寄れなかった。

 お互いに手を伸ばさなければ、触れ合えない距離。

 最後のもう一歩は、王子の方が踏み出してくれた。


「ミウ。君を待っていた」

「は、はい」


 王子の左手が、美羽の肩に触れた。

 あの時と同じ距離。でも、あの時よりも、もっと……。

 美羽の視界が滲んでいった。

 綺麗な顔がよく見えないのは残念だけれど、ぼやけているからこそ目を伏せずに見つめ返すことが出来た。

 至近距離すぎて、障害物なしに見つめ合うなんて、美羽には出来ない。

 美羽にはまだ、難易度が高すぎる。

 視界がぼやけていても、視線は感じた。

 王子様が美羽を見つめている。

 それだけで、幸せだった。

 他には、何も考えられないくらい。


「ミウ。君のハートが欲しいんだ。君のハートを、ボクにちょうだい?」

「うん。最初から、あたしのハートは、あなたのものだよ……」

「ありがとう。嬉しいよ、ミウ」


 王子が微笑んだ気配がした。

 美羽の肩に乗せられた手にそっと力が籠る。

 反対の手が、美羽の胸元に伸びてきた。

 美羽は涙を零しながら、幸せそうに笑った。

 美羽のこれまでの人生の中で、今が一番幸せだった。

 でも、きっと、これで終わりじゃない。

 これから訪れるはずの。

 これから、美羽と王子に訪れるはずの更なる幸せを思って、美羽は甘く蕩けた顔で、王子の手を受け入れた。

 甘く高鳴るその胸に、王子の手を。

 指先が、ゆっくりと美羽の胸の中に沈んでいく。

 エンジのブレザーを通り抜け、美羽の胸の中に、音もなく埋まっていく。


「あぁ…………」


 美羽は、うっとりとため息を洩らした。

 痺れるような甘美なさざ波が、胸を起点として、体中に広がっていく。

 やがて、美羽の胸から引き抜かれた王子の手には、綺麗な蛍光ピンクに光り輝くハートが握られていた。

 美羽の、ハートが。

 王子は上を向いて、上品に口を開いた。

 美羽のハートを口の上に持って行き、お行儀悪くハートを絞る。

 ハートはキュッとひしゃげた。ドロリと蕩けて、王子の口の中に落ちていく。

 やがて、美羽のハートはすべて、王子の中に納まった。

 王子の手の中に、蛍光ピンクは欠片も残っていない。

 陶然とした顔つきはそのまま、けれど光が消えた瞳で美羽……だったものは、一途に王子を見上げていた。

 歪な……けれど、美しい笑みを口の端にのせ、王子は優しく語りかける。


「さあ、ボクの可愛いお人形さん?」

「ハイ、オウジサマ」

「もっと、ハートが欲しいんだ。ボクのために、ハートを狩って来てくれるね?」

「ハイ、オウジサマ」

「ふふ。ありがとう。さあ、ハートを狩りに行っておいで? ボクのために」

「ハイ。オウジサマ。…………ハート……ハートヲ……ハートヲチョウダイ……ハートヲ……」


 虚ろな声で繰り返しながら、異形は王子に背を向け、開いたままの扉から出て行った。

 入れ替わるようにアリンが部屋に入ってくる。

 王子はすかさず、トコトコと床を歩くアリンに歩み寄り、優しく抱き上げた。


「ああ。アリン。ボクのお姫様。会いたかった」

「わたしもよ。王子」


 王子は両手で大事に抱えたアリンを目線が合うように持ち上げ、春の陽だまりが蕩けたような笑みを浮かべた。

 優しく、温かい、なのにどこか歪みを感じる、そんな笑み。

 アリンはいつものとぼけた笑顔で、それを受け止める。

 ハートを取り込む度に、少しずつ歪んでいく王子を、受け止める。


「アリン。人形の君も、変わらず愛している。ボクのお姫様は、永遠に君だけだ」

「わたしもよ、王子。どんな王子も、わたしは等しく愛するわ」

「君がいれば、ボクはボクでいられる。君を愛するボクでいられる」

「…………ええ。そうね、王子」

「今は、ゲームが終わった後の少しの時間しか会えないけれど、もっとハートの力を溜めたら、ずっと二人で過ごせる世界を創るよ」

「…………ええ、王子。待っているわ」


 人形の王子と姫は見つめ合い、魔女が絵本を閉じるまでの束の間の逢瀬(幸せ)に浸った。


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