3 美羽とアリン
彼の元へ一気に駆け抜けたい気持ちを抑えて、美羽はゆっくり慎重に城の中を進んでいった。
城を守っている異形は、広間に下りてきた三体だけではないのだ。
物陰に隠れて周囲の様子を窺い、辺りに異形がいないことを確認しながら、アリンの案内の元、お城の塔の最上階にあるという部屋を目指す。
そこは、元々の絵本でも、王子が捕らわれていた部屋なのだとアリンは言った。絵本の王子様、アリンの王子様が捕らわれていた場所。
そこに、美羽の王子様も囚われているのだ。
空っぽになった王子様の中に彼の心が隠されているのだ、と美羽は考えていた。
だから、アリンに言われた通りの場所を目指した。
アリンの言葉を信じて、アリンに導かれるままに、城の中を進んでいった。
異形たちは、人形であるアリンには反応しないので、アリンは斥候として大変役に立ってくれた。
せっかく案内人がいるのだから、美羽としてはなるべくなら最短ルートを進みたかったけれど、そう上手く事は運ばなかった。目当ての通路を異形が行ったり来たりしていて通ることが出来ず、諦めて引き返して別の道を探すしかないこともあったからだ。進んだり戻ったりしている内に、美羽は自分がどこにいるのか分からなくなってきた。今から広間に引き返せと言われても、一人でたどり着ける自信はなかった。
アリンがいなかったら、早々に迷子になっていたはずだ。
「アリンがいて、よかったよ」
「あら。今頃になって、ようやくわたしのありがたみが分かったのかしら?」
「うん。アリンがいなかったら、きっとここまでたどり着けなかったと思う」
誰もいない通路に出て、少し気を抜いた美羽が小声で素直な気持ちを伝えると、アリンは美羽の腕の中で偉そうにふんぞり返った。なかなかに小生意気な物言いだったけれど、美羽はこれにも素直に頷いた。
冒険の終わりが見えてきたからこそ、ちゃんと伝えておきたかった。
「ふふっ。そんなことないわよ。絵本のストーリーをちゃんと覚えていれば、わたしがいなくたって、きっとここまで来られたわよ。…………あら? 美羽は覚えていないんだったわね?」
「…………う。いや、でも、それとは別に、やっぱりアリンのおかげだよ。アリンがいたから、異形に会った時も、何とか切り抜けられたんだよ。あたし一人だったら、絶対にパニくって自爆してたと思うもん。ありがとうね、アリン」
美羽の殊勝さに何かを感じたのか、今度はアリンも少し声のトーンを落として、美羽を肯定してくれた……と思いきや、最後に煽りが入った。らしくないわよ?……と言いたいのかもしれないが、覚えていないどころか、そもそも絵本の内容を知らない美羽は気まずさに言葉を詰まらせる。誤魔化すように続けた言葉は、それもまた本音だった。
ちゃんとお礼を言えたことに、美羽は安堵し、同時に気恥ずかしさも覚えた。警戒しなければいけないことも忘れ、落ち着きなく視線を彷徨わせた挙句、窓の外へ視線を投げる。
眼下には、ブロッコリーを寄せ集めたような森が広がっている。さっきまで、あの中を歩いていたのだと思うと、なんだか感慨深い。
美羽の腕の中でアリンは小さく含み笑った後、わざとらしく胸を張った。
「ま。気にしなくていいわよ? 何と言っても、わたしはこの物語の主人公ですからね。誰かが絵本を開くたびに、何度も困難な冒険の果てのハッピーエンドに辿り着いてきたの。にわか主人公のあなたとは格が違うのよ」
「………………」
ふふんと鼻を鳴らすアリンを美羽は半眼で見下ろした。
アリンを褒めるのはほどほどにしておこう、と美羽は半分くらい本気で思った。
話を変えよう……と考えて、美羽はおざなりにしていた割とどうでもいい疑問をアリンにぶつけてみることにした。
「あ、そう言えばさ。ハートの騎士が現れたのって、映画やドラマみたいに物凄くいいタイミングだったけど。もしかして、ずっとあたしたちの後をついてきていて、出てくる機会をうかがってたってこと?」
「もちろんよ。わたしたちは、絵本の登場人物ですもの。見せ場は大切にしないとね。主人公のピンチに颯爽と現れて敵をなぎ倒す、さすがハートの騎士、分かっているわ」
「…………」
どうりで、ハートの騎士が現れた時のアリンのセリフがわざとらしかったはずだと、今更のように美羽は再び半眼になった。
「さ、無駄話はこれくらいにして、先を急ぎましょう。話し声を聞かれて異形に見つかったりしたら、目も当てられないわ」
「うん」
そうだった……と、美羽は顔も気も引き締めて頷いた。
それからは、また黙って周囲を警戒しながら足だけを進めていく。
そうして――――。
見覚えのある白い甲冑がずらりと並ぶ通路や、王冠を被った人形が描かれた絵画が壁に飾られた通路を通り抜け、いくつかの階段を上がったり下がったりして、遂にあと一歩のところまでたどり着いた。
T字通路の角で、美羽はアリンと最後の作戦会議をした。
最終作戦は、すぐにまとまった。
立案はアリンだ。
美羽でも覚えられて、かつ実行できそうな簡単な作戦だった。
「本当にいいんだね? アリン」
「もちろんよ。任せなさい。主人公の力、見せてあげるわ」
「分かった。じゃあ、行くよ?」
「ええ。いつでもいいわ」
美羽は、右手にアリン、左手に槍を装着し、右に折れる側の角ギリギリに立って呼吸を整えていた。槍は、甲冑が並ぶ通路で拝借したものだ。
チャンスは一度だけ。
失敗は許されない。
最後に大きく深呼吸をして、お腹に力を入れると、美羽は廊下の中央へと躍り出て、右に向き直った。
通路の先には扉があった。
剣を構えた異形が一体、門番をしている。
「お、王子様を助けに来た! そこをどきなさい!」
半分、ひっくり返った声で、アリンのシナリオ通りに異形を挑発する。
槍を持つ手は、震えていた。
それでも、やらなくてはならない。
彼のために。
ついでに、アリンとアリンの王子様のために。
アリンにアリンの王子様を返してあげるために。
このゲームを終わらせるために、彼の心を取り戻すのだ。
絵本の魔女に空っぽにされた王子様の中に隠された、彼の心を――――。
「ハート。ハートヲチョウダイ」
扉を守っていた異形が、美羽に剣先を向けた。それから、剣を振りかぶり、美羽に向かって走り出す。素材とされた女の子は運動が苦手だったのか、足はあまり速くなかった。
美羽のいる場所から扉までの距離は、およそ10メートル。
異形が半分ほど進んだところで、アリンが叫んだ。
「美羽。今よ!」
「やあああぁぁぁぁっ!」
美羽は駆けだし、異形の顔に向かってアリンを投げつけた。
見事命中したアリンは、両手両足を使って異形の顔に張り付いた。
「離さないわよー。さあ、美羽! 今のうちに、行くのよー!」
異形がアリンを引きはがそうともがいている隙に、美羽は槍を右手に持ち替え、異形の左側から槍を思いきり叩きつけた。よろめいて、右の壁にもたれかかる異形。
美羽は、廊下の左端ギリギリを走り抜け、扉へと向かう。
鍵はかかっていなかった。
扉を開けると、螺旋階段へと繋がっていた。
アリンの言っていた通りだ。
この階段の先に、彼がいるのだ。
右に円を描く螺旋階段は、外階段になっていた。
明るい日差しに目を眇めながらも、階段を駆け上がる。
後ろは、一度も振り向かなかった。
美羽の頭にはもう、彼のことしかなかった。
アリンのことも、異形のことも忘れて、ひたすら最上階を目指す。
尖った青い屋根の真下の部屋。
ゴールを目指して駆け上がる。
そうして、すっかり息が切れた頃、ついに美羽は辿り着いた。




