3 絵本の魔女
華やかだけれど退廃的な美貌。
まるで、ビスクドールのような女の子だった。
強い存在感を放ちながらも、どこか翳りを帯びている。
綺麗すぎて怖い。だけど、目が離せない。
華やかで、凄みのある美貌。
後藤加奈の上位互換のようでもあった。
あるいは、本物と粗悪な模造品。
ほんの少しの悪意と共に、美羽はそんなことを思った。
ため息が出るというよりは、身が竦むような美しさに圧倒される。
腰のあたりまである煌びやかな金の巻き毛。
赤いとんがり帽子。
赤いローブの下には、シンプルな黒のミニ丈ワンピース。
膝下までの赤の編み上げブーツを履いていた。靴紐の色は、黒。
思い当たる登場人物が一人だけいた。
美羽の物語にはまだ登場していなかった、絵本の主要人物。
「絵本の……魔女…………」
「ええ、そう。私は、絵本の世界の魔女。アリン姫から王子とお城を奪い、みんなを人形にした悪い魔女。それが私」
美羽が絞り出すように正体を言い当てると、魔女はフッと妖しく笑った。
アリンたち日向の存在とは相容れない、仄暗い笑み。
かといって、異形とも違う。異形のように虚ろでも、壊れてもいない。
人形ではない。けれど、人間とも思えない。
何とも言えない得体の知れなさを漂わせている。
洋館で見かけた魔女が、一番似た存在であるように思えた。
(そうか。魔女は、もう一人、いたんだ。じゃあ、もしかして……)
あの子をマネキンにしたのも、絵本の魔女なのだろうか?――と美羽は考え、すぐに打ち消した。
アリンの顔が思い浮かんだからだ。
アリンをはじめとする“絵本の魔女に”人形にされた“絵本の登場人物”たちは、体が人形なだけで、みんな元気にコミカルに楽しそうに生きていた。
だけど、あの子は、あのマネキンは、本当にマネキンだった。
カード受け渡しの儀式のときには、人間の女の子だった頃の名残のようなものを感じたけれど、美羽の気のせいかと思うくらいの本の束の間の……微かな生の余韻だった。成仏する間際の幽霊との触れ合いのようだった。
そう。アリンたちは生きている。だけど、あの子は……。
とても同じ魔女の犯行とは思えない。思えなかった。
両者は、どうやっても重ならない。
絵本の魔女は、アリンたちを人形にしたのは自分だと自白した。
となれば、あの子をマネキンにした犯人は別にいるように思える。
だけれども――――。
美羽は改めて、木の上の魔女を見つめる。
退廃を纏いながら赤いブーツをプラプラさせている魔女。
あの子をマネキンにしたのはこの魔女で、アリンたちを人形にした魔女は、また別にいるのではないか……そう考える方がしっくりくる。
――――この中に嘘つきがいる!
しわがれた声が脳裏によみがえった。
あの時は、“この中”とはお茶会の会場のことを言っているのかと思った。けれど、もしかして、この中というのは、この絵本の世界の中ということなのでは?
だとしたら、嘘つきはもしかして――――?
猜疑心に胸をざわつかせながらも、美羽は絵本の魔女に尋ねた。
嘘かも知れなくても、どうしても確かめたかった。
「ねえ……? あの子をマネキンにしたのも、あなたなの?」
「ええ。そう。私があの子をマネキンに変えた」
「…………どう……してっ……?」
絵本の魔女はあっさりと……というよりも、どうでもいいことのように犯行を認めた。だから何?――と言わんばかりの態度に憤って、美羽は言葉を詰まらせる。
マネキン化が洋館の魔女の仕業ではないのなら、ゲームの勝敗とは関係ない理由なのだろう。ならばなぜ、あの子はマネキンにされなくてはならなかったのだろう?
わずかとはいえ、あの子とは心が触れ合った。
だから、あの子の身に何が起きたのか、真相を解明したいと思った。
それが、弔いになるとでもいうかのように。
そのおかげでカードを入手できたことや、嘘つき云々のことは、頭から消え去っていた。
ともあれ魔女は、またしてもあっさりと答えをくれた。
「王子のことが好きだから」
「…………え?」
内容の方もあっさりしていた。あっさりしすぎている上、思いもよらないものだったので、美羽は戸惑ってパチ……と瞬く。
魔女は、足をプラプラさせるのを止め、もう一度、繰り返す。
「王子のことが、好きだから。だから、あの子が許せなかった。それだけ」
「……え? それだけって……。待って、どういう……」
どういう意味かと問う前に、魔女はスルリと枝から滑り降りた。猫のようにしなやかな動きで枯れ地に降り立ち、美羽が瞬きをしている間に、美羽の目の前に現れ出た。
比喩ではなく、本当の意味で。
降り立った瞬間に美羽の瞼も下りて、目を開けたらもう、すぐそこにいたのだ。
魔女は美羽ではなく、美羽が手にするカードを見つめていた。
「カードを持っていないって、どういうこと?」
「…………ぇ?」
美羽はビクリと身を竦ませた。
突然のドッキリ過ぎて悲鳴も上げられなかった美羽の喉奥から、かすれるような息が漏れる。
「失くしたわけじゃないのは、分かっている。外の世界からの異物は、あなただけ。他に、異物の気配はない。つまり、カードはまだ、あなたが身に着けているということ。自分のカードをどこかに隠し持っているということ」
「…………あ。ちが……あたし、ほんとに」
「挑戦者たちは、みんなカードを大事にしていた。外の王子から手渡されたものだからって。あなたも挑戦者なら、それを知っているのでしょう? なのに、どうして? 持っていないなんて嘘をついてまで、あの子のカードを奪ったの? 他の挑戦者が王子のカードを持っているのが許せなかったの? あれは、あの子のカードなのに?」
「ち、違う! そんなんじゃない! 本当にカードを持ってないのっ! 嘘をついて奪ったわけじゃないの! それに、あたし、そんなこと、知らなくてっ!」
魔女は淡々と、けれど矢継ぎ早に美羽を問い質した。責めるような口調ではなかったけれど、後ろめたいことがある美羽は、必死に言い募る。
嫉妬深い強奪者だと思われたくない一心だった。
自分のカードを持っているくせに、他の女の子が|彼から手渡された招待状《彼からの贈り物》を持っていることが許せなくて、嘘をついて奪い取るような、後藤加奈みたいな傲慢で自分勝手な女の子だと勘違いされたくなかった。
それでも、敵か味方か分からない魔女に、自分が招待状されていない挑戦者だとはバレたくなくて、その辺りは伏せたまま、なんとか誤解だけを解こうとしたのだけれど、無駄だった。
「ふうん?」
魔女は青い宝石のような美しい瞳で、美羽の全身を観察する。頭のてっぺんから、つま先に向かって、青い宝石のような瞳がゆっくりと動いていく。
「なるほど? つまりあなたは、招かねざる客というわけね?」
「ま、魔女には選ばれなかったけれどっ! あ、あたしは! 彼に頼まれたの! 絵本の世界に閉じ込められた、彼の心を救い出してほしいって! あたしは彼に選ばれた! 彼に招待されたの! あの子に託されたカードで、あの子に代わって、きっと彼を助けてみせる!」
美羽は観念して、開き直った。
この期に及んで言い抜けられる術を美羽は持っていない。交渉ごとに向いていないのは、自分でもよく分かっている。
魔女が敵でも構わない。魔女同士が繋がっていたって、構わない。
それでも、何とかしてみせる。
彼を想う気持ちがあれば、きっと何とかなる。
そんな決意を込めて、啖呵を切った。
魔女は――――。
ビスクドールのように美しい魔女は、口の端を薄く歪めて笑った。
歪めてなお、退廃は濃くなれど、魔女の美しさは損なわれなかった。
呑まれそうになる心を奮い立たせ、美羽は魔女を睨みつける。
「情報の対価に忠告をあげる。嘘つきに気をつけなさい? 嘘つきは、絵本の中だけとは限らない。箱庭の外にも、嘘つきはいる。それじゃあ、健闘を祈っているわ……」
「………え? まっ……!」
白灰が満ちてきた。
白灰の霧が、赤いローブの魔女を包み、覆い隠していく。
目の前が、白灰一色になる。
霧の魔物に襲われそうな恐怖にかられ、美羽はギュッと目を閉じる。
暗闇は白灰を遠ざけ、退けた。
毛穴に潜り込んできそうな重く冷たい湿気は消え失せ、代わりに軽やかな風が頬を撫でていく。風は心地よく、身を包む空気は春のように暖かかった。
目を開けると、すっかり見慣れた小道の向こうにお城が見えた。
遠く木立の向こうに見えていたお城は、目前だった。
「え? なん……で? 夢……じゃないんだよね?」
狐につままれたような気分だった。
白昼夢でも見ていたのかと思った。
だけど、そうじゃない。
美羽の手の中には、ちゃんとその証拠が残されていた。




