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魔女の仕掛け絵本ーRー  作者: 蜜りんご
第5章 絵本の魔女
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1 霧の森

 くしゃんと一つ、可愛いくしゃみをして、美羽は目を覚ました。

 肌寒さに震えながら身を起こす。

 辺りは薄暗く、濃い霧が立ち込めていた。


(あれ? あたし、どうして、こんなところで……?)

 

 ぼんやりしながら記憶をたどり、思い出した。

 崖の上で渡り守を呼び出すイベントの途中、異形に見つかって、すんでのところでシュワシュワ大河へと飛び込んだのだ。

 美羽は息を止め、身を強張らせた。

 座ったまま、視線だけを彷徨わせ、耳を澄ませる。

 霧が濃いせいで、付近の様子はよく分からない。

 霧の森は、しんと静まり返っていた。

 虚ろな声は、何処からも聞こえてこない。

 この近くに異形はいないようだった。

 美羽はほっと息を吐き、強張っていた体から力を抜く。

 それから、立ち上がって改めて周囲を確認し、首を傾げた。


「あれ? あたし、川に飛び込んだ……よね?」


 大河に落ちた後、運よく岸辺に流された……わけではなさそうだった。

 岸辺どころか、そもそも近くに河川はないようだ。

 水が流れる気配は感じられないし、シュワシュワもパチパチもザアザアも聞こえてこない。

 それに、服も髪の毛も濡れていなかった。

 あの河川を流されたなら、全身ずぶ濡れでグッショリになっていなければおかしい。なのに、美羽の体は……その割には乾いていた。

 霧のせいか、少しだけしっとりはしている。けれど、霧吹きでちょっと湿らせてみた程度だ。

 河川に落ちたばかりとは思えない。


「ねえ、アリン。あたしたち、川に落ちたんだよね? どうして、服が濡れてないんだろ? …………あれ? アリン?」


 首を捻りながら話しかけて、何も持っていないことに気づく。

 血の気が引いた。

 慌てて、名前を呼びながら周辺を探し回る。


「アリン? ねえ、アリン? どこにいるの? 返事をしてよ! アリン! アリン!」


 焦って声を張り上げてみても、返事はなかった。

 姿を探そうにも、霧が濃くて見通せない。

 少し歩き回ってみたけれど、朽ちた倒木に躓きそうになっただけで、人形の姿はどこにも見当たらなかった。


「そんな…………」


 どうやら、河川に飛び込んだ際にはぐれてしまったようだ。

 心細さが、奥の方からジワッと一気に広がっていく。

 沁みるように、染みるように、内側から広がって、美羽を侵食していく。

 皮膚を取り巻く霧は、濃く、重く、冷たかった。

 薄っすらと灰を帯びた白が美羽に纏わりつき、外から忍び込んで来ようとする。

 美羽は身を震わせた。背中を丸めて、両腕を擦りながら不安そうに瞳を揺らす。


 いつまでも、ここで立ち尽くしていたって仕方がない。

 それは分かっているのに、どちらに進めばいいのか、それが分からない。視界同様、八方ふさがりだった。

 美羽は迷子になってしまったのだ。

 せめて、進む方角だけでも分かれば、心を奮い立たせて歩き出すことも出来たのに。

 足を踏み出す方向が分からない。


 おそらく、ここは大河を挟んで反対側の……お城側の森なのだろう。

 辛うじて見える足元は、しっとり湿ったこげ茶色の地面。

 もったりとした霧の中、朧に見える枯木立ち。

 霧は頭上にも覆い被さり、空すら見えない。

 一筋の光も差し込まない、薄暗く、肌寒い森。

 お城が見えないこともまた、美羽の不安を煽った。


「アリン、どこにいるの? ここ、どこなの? お城は、どっちにあるの?」


 不安が声になって、唇から零れ落ちていく。

 お茶会側の森では、どこからでもお城が見えた。その上、イベントガイド付きで一本道を進むだけだったから、行先について迷う必要はなかった。思えば、至れり尽くせりの道中だった。


 それなのに、今は――――。


 美羽の足元に道はない。近くにあるのかどうかも分からない。アリンを探して周辺をうろついた時には、同じようなこげ茶色が続くばかりで、見つけたものといえば朽ちて倒れた木の残骸と石ころだけだった。

 進むべき道は見当たらない。助言をくれる協力者もいない。せめて、お城が見えれば、どちらに向かって進めばいいのか方角くらいは分かるのに。すべて霧が押し隠してしまっている。

 アリンも。進むべき道も。目的地であるお城も。


 空を墜ちていく時には、霧がかかった森なんてなかったはずなのに。

 お城に気を取られて見逃してしまっただけならば、それでいい。けれど、もしも――――。


 美羽は、腕をこすっていた手を止め、ギュッ強く鷲掴む。

 掴んだ腕は、震えていた。

 震えているのは、寒さのせいだけではない。


 霧の森は、異質だった。


 陽光の匂いがする、メルヘンみが溢れた森とは、まるで別物だった。

 ページを飛び越えてやって来たというよりも。

 別の絵本(世界)へ飛ばされたかのようだった。


 死んだ森みたいだと美羽は感じた。

 すべてが枯れ果て、死に絶えた森。

 生き物の気配が、まるで感じられない。

 物音ひとつしない。

 自然そのものが死んでいる。

 いや、死んでいるというよりも、最初から造り物の森のようだった。

 人形を飾るために造られた森。

 アリンたちのような心ある人形ではなくて、お店のショーケースの中に飾られているような、物言わぬ本物の人形を飾るために造られた森。

 この森に、ほのぼのとした布製の人形やぬいぐるみたちは似合わない。どこか退廃的な雰囲気の漂うビスクドールならば、しっくりくるかもしれない。あるいは――――。


 あるいは、魂なき虚ろなる人形……異形ならば、もっと、ずっと。

 ここは、もしかしたら、異形たちの……。


 美羽は目を閉じ、思考にも蓋をした。

 けれど、一度思いついてしまったソレは、蓋の隙間から滲み出るようにして、冷たく淀んだ水のように美羽を浸していく。

 ここは、まるで異形たちの住処のようだと美羽は感じた。


 異形――――。

 心を奪われた伽藍洞。

 ゲームに負けた挑戦者たちの成れの果て。

 魂のない虚ろな人形。


 挑戦者が現れたら、ハートを狩るために霧の森から出て行き、狩りが成功しても失敗しても、ゲームが終われば、また霧の中に戻ってくる。

 そうして、次のゲームが始まるまで、ここで立ち枯れた木に混じって、静かに、虚ろなままに、新しい挑戦者(獲物)を待ち続けるエンジのブレザーの群れ。

 その中の一人(一体)が、自分そっくりの顔をしているのを想像して、戦慄する。

 氷の矢で、体の真ん中を貫かれたような衝撃。

 抱きしめるようにして両腕を掴んでいる指に、跡が残りそうなほど力を込める。

 痛みは、どこか遠くに感じられた。

 ここから逃げ出したくてたまらないのに、逃げることさえできずに立ち竦んでいる自分が、悔しくて情けなくて不甲斐なくて、涙が零れる。

 アリンが恋しかった。

 あの賑やかさが。日向の香りが。とぼけた笑顔が。自信満々な物言いが。

 助言はありがたいけれど、いなくても何とかなると心のどこかで思っていたのに。

 今は――――。

 恋しくて、恋しくて。心細くて、心細くて。

 堪らない。

 自信満々に「こっちよ、美羽!」って、導いてほしかった。

 美羽が進むべき道を指示してほしかった。


「アリン、アリン……。ねえ、アリン。どこにいるの? 早く、出てきてよ。どっちに行けばいいのか、分からないよ。ねえ、アリン。…………アリン!」


 アリンがいないことが、こんなにも心細い。

 嗚咽を飲み込み、唇を噛みしめる。溢れてくる涙を拭っていると、少しだけ霧が晴れてきた。

 もしかしたら、お城が見えるかもしれない。

 微かな希望を抱いて顔を上げた美羽は、数歩先に人影を見つけて、凍り付いた。


 スルリと左右に解けていった白灰の霧の隙間から現れたのは、見慣れたエンジのブレザーだった。


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