1 村娘は斧娘
妖精の泉で、会話をすることも目を合わせることすら出来ない一方的なものではあったけれど。
助けを待つ王子の姿を水鏡越しに確かめたことで、美羽は彼を救うことを改めて心に誓い、決意を燃え上がらせながら妖精に別れを告げ、バラのアーチをくぐり抜けた。
そうして、バラの生垣ゾーンを抜けたところで、奇襲を受けた。
「キィイイイエェェエエエエエエッ!」
ガサッと足元の茂みが揺れたと思ったら、奇声と共に何かが転がり出てきたのだ。
驚いて足を止めた美羽の前を奇声の主はコロコロと転がっていき、反対側の茂みにぶつかって止まった。
「出たわね。村娘」
「え? 知り合い?」
「知り合いというか、絵本の登場人物よ。今は人形だけど」
「…………村娘っていうか、斧娘じゃない?」
ムクリ……と起き上がったアリンと製作者が同じと思われる布人形は、ギラリと光る斧を持っていたけれど、絵本の登場人形と聞いて美羽は緊張を解いた。
茶番の予感がしたからだ。
黒い毛糸をぶっとい三つ編みにした野暮ったい髪型。草で染めたと思われる色合いの装飾が一切ない素朴すぎるドレス。黒いビーズと赤い刺繍で描かれた、のほーんとした笑顔。
どこからどう見ても、髪型がやぼったくてドレスが質素なだけのアリンの姉妹人形だ。
これで緊張感を維持できるはずがない。
しかし、のほんとしているのは見た目だけだった。
「キィイエエエエ! キエッ! キエッ!」
「わ! わ! ちょ、ちょっと! 危ないってば! あたしは、木じゃないから!」
斧娘は闇雲に斧を振り回しながら美羽に襲い掛かってくる。
あまり動きは素早くないので、美羽は特に華麗でもないステップで攻撃を躱していく。
危ないと言いつつも、さほど危機感は抱いていなかった。斧娘が振り回している斧は、幼稚園のお遊戯会で使う小道具並みのチープ感あふれる一品だったからだ。当たったところで、たかが知れている。
それに、木と勘違いされているだけなんだろうと思っていた。
だから、美羽が切り倒すべき木じゃないと分かれば、謝罪からののほほん茶番が始まるのだと思っていたのだ。
しかし――――。
「キエエエイッ! 王子様の敵! 王子様の敵! 王子様の敵は、排除する!」
「え? えええええ!? 王子様の敵って、あたしのことを言ってるの!? 待って、待って! あたしは、彼……んんん、王子様を助けに来たんだってば! お、おおおおお、落ち着いて!」
「うっるさぁーい! 王子様の敵! 王子様は、アタシが救うんだぁー!」
「え? ええ!? ど、どういうこと!?」
落ち着かせるどころか、激高させてしまった。
斧娘は、ちょこまかと美羽を追いかけまわしながら斧をブンブン振り回してくる。
威力はともあれ、本気で美羽を狙っているようだ。
「あの子はねぇ……。元々の物語では王子様に憧れている純朴な村娘で、普通にわたしの応援をしてくれたんだけど。お外の魔女に絵本の世界を侵略されてから、おかしくなっちゃったのよねぇ……」
「え? 魔女に洗脳されて、挑戦者のことを王子様の敵だと思い込まされてるってこと?」
「うーん、洗脳というか……。人形たちは基本、元のストーリーをなぞっているだけなんだけど。この子は恋する一念で、挑戦者たちがお外からやって来た異物だって察知したみたいなのよね。それもあって、王子を狙う異物は排除……みたいな?」
「い、異物って! 異形の仲間みたいで、なんか嫌なんだけど!」
「敵! 敵! 敵! 王子様の敵! 敵は、排除! 排除! 排除! 王子様は、アタシが助ける! キエ! キエ! キエエイッ!」
「あ。きゃ!」
ブルンと渾身の一撃を振るわれ、アリンとの会話に気を取られ、少々足元がお留守になっていた美羽は、足をもつれさせ尻もちをついた。
斧娘は、その隙を見逃さず「覚悟!」とばかりに両手で斧を振りかぶった。
くらったところで……ではあるのだが、そうは言っても滅多打ちは勘弁願いたいので、美羽は片手を突き出して、何とか説得を試みる。
「ま、待って! あ、あたしは本当に彼を……王子様を助けるために来たの! 王子様を助けるためには、ハートの力が必要なの! ハートを持たない人形のあなたじゃ、王子様を助けられない! 王子様を助けるためには、あたしのハートが必要なの!」
「むっきぃー!」
「いたっ!」
彼を助けるのは、彼にも留められた自分だけだと意気込む美羽にとって、それはどうしても譲れない乙女の一線だったのだが、それは王子様に憧れを抱く斧娘にしても同じことだった。
怒りの一撃が美羽の額にポコリと下される。
額が割れる惨劇は起こらなかったが、痛いことは痛い。
美羽が額を撫でていると、斧娘は再度斧を振り上げることはせず、役に立たなかった斧を放り投げ、自分の胸にズボリと腕を突っ込んだ。
胸には、予め切れ目が入っていたようだ。
斧娘は、胸の中から何かを取り出し、ジャジャンと頭上に掲げた。
「ふん! 見なさい! ハートなら、アタシだって持っているのよ! だから、あなたの腐って爛れたハートなんて、必要ないのよ! 」
「……………………」
それは、ラメラメしく光る紫のミニハートクッションだった。
美羽は無言でそれを取り上げると、茂みの向こうに思いっきり投げ捨てた。紫のラメハートは、綺麗な放物線を描いて飛んで行った。
「ああっ! なんてことをするの! アタシのハート! アタシのハートぉ!」
斧娘は放り出した斧を忘れて、茂みに向かって突進した。ガサガサと茂みを掻き分け、ハートを求めて茂みの奥へと潜り込んでいく。
「ひどいことをするわね?」
「う。だ、だって! あたしのハートのことを、腐って爛れてるとか言うから……」
斧の一撃を受けた時に腕から取り落したアリンが、さっきまで斧娘がいた場所、美羽の正面に立って、もっともな指摘をした。
美羽は胸の前で右の人差し指と左の人差し指を合わせ、気まずそうにアリンから視線を逸らす。
斧の回収も忘れて、自分よりも背の高い茂みに突っ込んでいった姿を見た時には、さすがにやりすぎたかな、とは思ったのだ。
けれど、斧娘の腐って爛れたハート発言は、どうしても許せなかった。
彼を思う美羽の気持ちを貶められたようで、ついカッとなってやってしまったのだ。
「それに、人形のおまえにはハートがないだなんて、人形差別じゃないかしら?」
「う、それは……その…………ごめん」
立て続けに耳の痛い指摘を受けて、美羽は項垂れた。
そんなつもりじゃなかった、なんて言い訳だ。
人形には心がないという現実での常識から漏れ出た発言だけれど、ここは絵本の中の世界で、現実じゃない。
そして、アリンたちは、見た目は人形でも、元は……絵本の登場人物とはいえ、人間だったのだ。
お茶会の場にいたテディベアや日本人形は微妙だが、アリンやタマゴーズ、そして泉の精霊からは、ちゃんと心を感じた。
心無い入れ物がプログラム通りに喋ったり動いたりしているわけじゃない。
見た目はどうあれ、ちゃんと心がある。生きている。
あれは、ここにきてからずっと行動を共にしていたアリンに対しても失礼な言葉だった。
そして、斧娘の発言に目を吊り上げた美羽だったけれど、最初に心無い言葉を投げつけたのは、美羽の方だった。
王子様に憧れている斧娘に対して、おまえには心がないから王子様を助けることは出来ないだなんて、今思えば本当に酷いことを言ったなと思う。
斧娘が怒って言い返してくるのも、当然だった。
美羽の本気の反省を感じたのか、アリンはそれ以上美羽を言い募ることはせず、軽い口調で場を治めてくれた。
「ふふ。冗談よ。ま、王子様を助けるためには、ハートのカードが必要なのは本当のことだしね? そういうことにしておいてあげるわ」
「う、う……ん」
切り札たりえる招待状を持っていない美羽は、気まずくなって視線を彷徨わせる。罪悪感にかられ、本当のことを打ち明けてしまおうか……と迷ったが、心を決める前にアリンが「ふっ」と笑って、今さらなアドバイスを告げてきた。
「ちなみに、他の挑戦者たちは、相手にしないで小走り、あるいは本気走りでやり過ごしていたわね」
「…………あ!」
美羽は目を見開いて膝立ちになった。
相手は、膝下くらいしかない人形なのだ。本気で相手をせずとも、逃げてしまえばよかったのだ。
「ああ~……」
どうして気づかなかったのだろう?……と美羽は両手で顔を覆って、再びへたり込む。
真面目に渡り合おうとしたことが馬鹿みたいで、恥ずかしさで頭がいっぱいで、決着がつかなかった迷いの方は奥へ埋められてしまった。
「さ。行くわよ! お次のイベントは、大河越えよ! あそこを越えないことには、お城へは辿り着けないわよ! さ、立って! キリキリ歩きなさい! 大河を渡って、ようやく半分よ!」
「…………はーい」
イベント扱いを突っ込む気力もなく、美羽は人形を抱きかかえて立ち上がり、冒険を再開した。
その先で待つイベントが、美羽にとってある意味、異形とのエンカウントよりも難関……というより鬼門であるとも知らずに――――。




