2 魔女の噂
美羽の通う中学では、ある噂が流行っていた。
女子の間でだけ流行っている噂。
魔女の噂だ。
曰く――――。
『町外れの洋館には、魔女が住んでいる。
魔女は人形を集めている。
新しい人形が欲しくなると、魔女は洋館を通りがかった女の子をゲームに誘う。
ゲームに誘われるのは、魔女のお眼鏡にかなった女の子だけ。
ゲームに勝てば、なんでも一つだけ願いを叶えてもらえる。
でも、ゲームに負けらたら、魔女に心を奪われて、人形にされてしまう。
魔女のコレクションの一つにされてしまう。
洋館からは時折、女の子のすすり泣きが聞こえてくるという。
人形にされてしまった女の子たちのすすり泣く声が…………』
それは、女子の間でだけ、ひっそりと語り継がれてきた噂話。
いわゆる七不思議の類だ。
浮き沈みを繰り返しながらも、途絶えることなく語り継がれてきた噂。
舞台となる町外れの洋館が実在しているのも、噂の存続に一役買っていた。
きちんと手入れはされているのに、誰も住んでいない洋館。
でも実は、魔女がひっそりと暮らしているというのだ。ゲームの戦利品である、元は人間の女の子だった人形たちと共に。
しばらくの間、下火だったその噂は今。
校内を席巻していた。
その手の話に興味がなくても、女子なら誰でも知っていた。
校内のいたるところで噂は囁くどころではなく、時に声高に語られている。
噂の方が勝手に耳に飛び込んでくるのだ。
なぜか男子たちは、噂に全く関心がないようだったけれど……。
「本当に、なんでも願いが叶うのかな?」
「でも、負けたら人形にされちゃうんでしょ?」
「洋館の中のコレクション部屋で、ずっとすすり泣いて、外を通り過ぎる人を怖がらせる毎日を永遠に……」
「ちょっと、止めてよ! 怖いって!」
「そもそも、魔女に選ばれなければ、エントリーすら出来ないんでしょ?」
「あー、どういう基準なんだろうね?」
「ま、本当に魔女がいればの話だけどねっ!」
教室内や廊下のあちらこちらで。
半信半疑に繰り返される噂話。
美羽のグループでも、日に何度か話題に昇った。
美羽が洋館と同じ地区に住んでいるということもあって、最初の内は、色々と聞かれたりしたものだ。
けれど、残念ながら美羽は噂を盛り上げるようなネタは持っていなかった。むしろ――――。
「うーん。今は誰も住んでいないけど、ちゃんと管理している人はいるから、勝手に中に入っちゃダメだって、親からも先生からも散々に言い聞かされてきたからなー……。特に、夏休みの前とか、勝手に入ったら、おまわりさんに捕まっちゃうんだからねって念押しされた」
「ああー。見つかって警察沙汰になるとか、親と学校からしたら現実的な怖い話だよねぇ」
「もう何人もの女の子が人形にされてるって噂もあるけど、実際には行方不明になった子とか、いないみたいだしね」
「いたら、もっと大人が騒いでるよね」
「やっぱ、噂は、しょせん噂かー」
ご近所だからこそのリアルな情報で、噂に水を差してしまう結果となった。それでも、魔女の噂話が話題から消えることはなかった。
魔女なんているわけがないと、美羽は思っていた。けれど、もしかしたらという期待を捨て去ることも出来ずにいた。きっと、みんなもそうなのだろう。
だって、もしも魔女が本当にいて、魔女に選ばれて、なおかつゲームに勝てたなら、なんでも願いが叶えてもらえるのだ。
どうしたって、夢を見てしまう。
魔女に選ばれてゲームに勝てば、三浦君だって――――。
そう思いはしたけれど、一人で洋館を訪れたことはなかった。
美羽の家も外れの方なので、少し回り道をすれば、学校帰りに寄り道できる。けれど、その姿を誰かに見られて、噂を本気にしているんだと思われるのは恥ずかしい。
とはいえ、みんなでならば、一度だけ。休みの日に、待ち合わせて様子を見に行ったことがある。けれど、やっぱり館に人の気配はなく、同じ目的だと思われる女子のグループを見かけて、ちょっと気まずい思いをしただけだった。
それもあって、余計に、足を運びづらくなっていた。
それでも。
後藤加奈が何か仕掛けてきそうな気配を感じたら、なりふり構わず、ダメもとで連日通ったかもしれない。
だけど、ここのところ、後藤加奈は美羽のクラスに姿を見せていなかった。
きっと、他にも気になる男子がいて、今はそっちにかまけているのだろう、くらいに美羽は考えていた。
この隙に……なんて思いつつも、自分から声をかける勇気すらなく、ジダモダしながらも三浦君を見つめる日々を過ごしていた。
沈んでいた噂が再燃した発端を知ってしまうまでは――――。
噂が広まるきっかけを作ったのは、後藤加奈だった。
美羽がそれを知ったのは、別のグループの子たちが話しているのを偶々聞いてしまったからだ。
「ねえ、聞いた? あの噂の出どころって、隣のクラスの後藤加奈だったらしいよ?」
「え? そうなの? あ、それでこんなに一気に拡散したのかな? 他所のクラスにまで名が知れ渡ってるし。あれ? でも、その割に、後藤加奈の名前は出てこなかったような?」
「なんか、後藤加奈がね? 洋館のテラスで、黒いワンピースの地味で陰気な子が本を読んでいるのを見たっていい出しのが始まりらしいよ?」
「それは単に、無人だった洋館に誰かが住み始めたというだけの話では? うわー。別に本気で信じてたわけじゃないけど、知りたくなかったな。そんな真相!」
「それがさ? 後藤加奈ってば、本気でその子が魔女だって信じてるみたいなんだよね? で、絶対に魔女に選ばれて、願いを叶えてもらうんだって、それはもう熱く語ってるらしいんだよね?」
「後藤加奈が?」
「うん。後藤加奈が」
「そういうの、信じるタイプだったんだね。人は見かけによらないっていうか、びっくりだよ」
フルネームで呼んでいる辺り、二人とも後藤加奈とは親しくないのだろう。魔女の噂と後藤加奈の話は、それ以上掘り下げられることなく終わった。
二人が言っていた通り、確かに意外だった。
そういう話を信じる女子たちのことを小馬鹿にするタイプだと思っていた。
自分の美貌を鼻にかけ、魔女に願うまでもなく、己の美貌があれば叶わない願いなんてないと思っていそうな、嫌な女。
その後藤加奈が、魔女の噂に夢中になっている。
魔女の力で、願いを叶えてもらうために。
(一体、何を願うつもりなんだろう? どんな男も意のままに出来る力……とか? その力で、三浦君がたぶらかされちゃったら、どうしよう?)
さりげないとはいえ、他の男子ならとっくに鼻の下を伸ばしているはずのささやかなアプローチにちっとも靡かない三浦君を魅了してほしいと願うつもりではないかと、美羽は心配になった。
魔女なんているはずない、と思いつつも。
でも、もしかしたら――という思いが拭えない。
その日の放課後、美羽は遠回りして洋館まで足を延ばした。
何かはっきりとした目的があったわけじゃない。
ただ、そうせずにはいられなかった。
――――そして、美羽は。運命に出会ってしまったのだ。
通りすがりに住んでいる人の姿を確認できるとしたら、テラスのある庭がある通りだろう、と当たりをつけていた。
小学校では魔女の噂なんて聞いたことがなかった。
けれど、おしゃれで可愛い洋館は、やはり噂の的だった。
こんな所に住んでみたいという憧れもあって、小学生の頃はよく足を運んだものだ。友達と一緒に、人目を気にせずきゃあきゃあと騒ぐのが楽しかった。
中学生ともなると、気恥ずかしさが勝って、足が遠のいていたけれど、勝手知ったるなんとやらだ。道に迷うこともない。
洋館は、相変わらず心が震える可愛らしさだった。
白い壁。緑の窓枠。赤茶色の洋風瓦屋根。
テラスのある庭。
よく手入れされた花壇。
通りと庭を隔てる、花飾り付きの銀色の柵。
テラスには、白い丸テーブル。おそろいの椅子は一つだけ。
そこまでは、見慣れた風景だった。
だけど、その日。
管理している人の姿すら見たことのない洋館のテラスに、明らかに住人と思われる人の姿があった。
一人は、テーブルに座って、絵本を読んでいる黒いワンピースの少女だ。
長い黒髪。取りたてて美少女というわけではないけれど、どちらかといえば綺麗めな顔立ち。よくいえば、落ち着いている。けれど――――。
率直にいえば、彼女はまさしく魔女だった。魔女と言われても納得してしまう、そんな少女だった。
地味で陰気どころじゃない。
影が滲み出るような、影そのもののような少女なのだ。
そして、もう一人。
その背後で、執事のように控えている人形のように美しい青年。
少女の方は、柵の向こうにいる美羽に気づくことはなく、絵本から目を上げることはなかった。
けれど、執事のような青年は。
フッと美羽に視線を向け、綻ぶように笑いかけてくれた。
それは、ほんの一瞬の出来事で、青年はすぐに美羽から視線を逸らし、また元通り執事役に徹した。
ついさっき美羽に向けてくれたはずの爽やかな甘さは微塵も感じられない怜悧な美貌で、魔女のような少女の後ろにそっと佇んでいる。
美羽が、なるべくゆっくり歩きながら視線を注ぎ続けても、その後は一度も目を向けることはなかった。
幻のような一瞬の出来事。
でも、それだけで。
美羽のすべては、青年に奪われた。
美羽は、運命と出会ってしまったのだ。




