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魔女の仕掛け絵本ーRー  作者: 蜜りんご
第2章 森の住民たち
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4 泉の妖精と囚われの彼

 ザッ、ザザッとバラの生け垣を揺らす音。

 狂ったようにハートを求める声。

 異形は今も、すぐそこにいる。

 なのに、終わりの時は、いつまで経ってもやって来なかった。


「ハートヲチョウダイ! ハートヲチョウダイ! ハートヲチョウダイ!」


 禁断症状を起こした麻薬中毒患者の怨霊のようにハートを欲しながらも、異形は生け垣を越えようとはしてこない。

 狂ったようにハートを求め、騒いでいるけれど、その意識は美羽には向いていなかった。生け垣のすぐ下に美羽が潜んでいることに、気づいていないようだ。

 やがて、怨霊は勝手に鎮まっていった。


「ハートヲチョウダイ……。ハート……ハートヲ……チョウダイ…………」


 狂乱は冷めやり、虚ろが響く。

 やがて、虚ろな声は。

 ゆっくりと茂みを掻き分ける音と共に遠ざかっていった。


「はぁああああああ…………」

「でかしたわ! 美羽! よく我慢したわね!」

「はえ~~?」


 大きく息を吐きながら美羽は脱力した。アリンが褒めてくれたけれど、それを喜ぶ気力はなく、力のない返事を緩んだ口の端から洩らす。


「言ったでしょ? あいつら、ポンコツだって。下手に逃げるよりも、隠れてジッとしてるのが正解なのよ。見失ったところまで駆けつけて来て騒ぎ立てるくせに、探そうとはしないのよね。それで、その内勝手に大人しくなって、元来た道を引き返していくのよ」

「あー……。なんか、ホラーゲームの序盤の方に出てくる雑魚キャラっていうか、お化け屋敷のしかけっぽいっていうか。見掛け倒し……?」


 完全に座り込んだ美羽の太ももの上に立ち、アリンは自分の手柄でもないのにフフンと胸を張った。確かに……と異形の行動を思い返しながら、美羽は丸めていた背中を伸ばす。


「まあ、そうね。パニックになって、闇雲に走り出したりさえしなければ、割と余裕でやり過ごせるわね」

「ふむ……?」

「森を進んでいる間は、下手にカードを使って戦うよりも、隠れた方が安全なの」

「なるほど?」


 美羽は元気を取り戻し、目を輝かせた。

 カードを持たない美羽にとって、それは朗報だった。

 けれど――――。


「まあ、お城の中は異形がうじゃじゃいるから、この戦法だけじゃ王子様の元にまで辿り着けないけれどね。ま、切り札として温存しておきなさい」

「うっ……。は、はい」


 最終的にはカードに頼る必要があると告げられて、美羽は顔を引きつらせた。温存も何も、そもそもカードを持っていないのだが、それを伝えるわけにもいかず、ギクシャクと頷く。

 襲撃のショックを引きずっていると思ったのか、アリンは美羽のぎこちなさに言及することなく、“もっ”と片手を上げて、バラの小道の先を指示した。


「それよりも、あそこを見てごらんなさい。生け垣が途切れて、アーチになっているところがあるでしょう?」

「……え? あ、ホントだ」

「あそこに妖精の泉があるの。行ってみま」

「よし! 行くよ!」


 小道の前方左手。異形の襲撃を受けたのとは逆側にバラのアーチがあるのを見つけた美羽は、目を輝かせ、アリンに最後まで言わせず立ち上がり、走り出した。

 もちろん、アリンはしっかり抱えている。

 カード(切り札)を持っていないことへの不安を忘れ、胸も息も弾ませる。

 アーチの手前で、美羽は足を止めた。

 歌声が聞こえてきたからだ。


 ラララ……と歌っているだけで、歌詞はないようだった。


 水の流れる音にも似た、心地よい旋律が、儚くも美しい生き物を想像させる。

 泉の妖精が歌っているのだろう。

 無作法に駆け込んで、可憐で繊細な妖精をびっくりさせてはいけないと、美羽はまず深呼吸をして呼吸を整えた。

 充分に息が整ったところで、期待に胸を高鳴らせながらアーチへ向かう。アーチをくぐる前に一声かけるべきだろうかと考え、アーチの正面で足を止め、中を覗き込み、真顔になる。

 立ち止まったまま、腕の中のアリンを見下ろし、納得したように頷いた。

 泉の妖精と聞いて期待しすぎたことを反省してもいた。


 泉……とアリンは言った。が、そこにあるのは美羽からしたら少し大きめの水たまりだった。


 美羽の部屋くらいの、こんもりした木に囲まれた空間。

 足元には、タンポポが咲き乱れていて、その真ん中に水たまりがある。

 なるべくタンポポを避けながら、美羽は水たまりへと足を進めた。

 期待混じりの緊張は、もうどこにもない。

 水たまりの淵まで来ると、美羽はしゃがみ込んだ。

 水たまりは、水たまりにしては割と深めで、そこにはビー玉が敷き詰められていた。ビー玉みたいな石じゃなくて、本当に本物のビー玉だ。中に、赤や黄色や青の模様が閉じ込められているまん丸なガラス玉。

 木立が途切れているせいで、差し込む陽ざしを反射して、とても綺麗だ。

 バラの生け垣やアーチと比べると少しばかり子供っぽい空間ではあったが、それがまたメルヘンチックだった。

 なのに、どこか冷めた目線で、美羽は水たまりの上で歌いながら飛んでいるソレを見つめる。


 ソレは、フェルトで作られた妖精だった。


 可愛いことは可愛い。けれど、儚さは微塵も感じられない。

 歌声と見た目がマッチしていない。

 正直なところ、アーチ越しに見た時は、虫が飛んでいるのかと思った。

 近寄ってみれば、フェルトの羽を生やした女の子の人形で、妖精と言われれば妖精だ。

 顔は、青いビーズ、口はピンクの刺繍糸。髪の毛は黄色い毛糸だった。

 どこか、アリン味のある顔立ちが、余計に美羽をスンとさせる。


「こんにちは。わたしは泉の妖精よ」

「あ、こ、こんにちは。美羽……です」


 美羽が声をかける前に、妖精は歌うのを止め、美羽の顔の前まで飛んで来て挨拶をした。

 美羽も慌てて、挨拶を返し、名を名乗る。

 妖精は、台本を読み上げるように美羽に語りかけた。


「あなたに、祝福を捧げます。どうか、あなたの愛が本物でありますように。あなたの真実の愛で、王子様が救われますように」


 口調は厳かなのだが、いかんせんフェルト製のマスコットなので、微妙にありがたみに欠けた。子供だましの人形劇を鑑賞している気分だ。アリン味のある顔も、緊張を削ぐ。


「え、えと。ありがとう。それで、その。真実の愛って?」

「あら、魔女の呪いを解くのは、真実の愛と相場が決まっているでしょう?」


 美羽の問いに答えたのは、妖精ではなくてアリンだった。


「し、真実の愛?」


 顔を赤らめながら尋ね返すと、妖精の体が上下に揺れた。たぶん、頷いたつもりなのだろう。


「その通りよ。真に王子様を想う気持ちだけが、王子様を救うことが出来るの。どうか、あなたのハートで、王子様を救ってあげて。魔女はこの先、様々な罠を仕掛けてくるはず。でも、決して、惑わされないで。自分を信じるの。王子様を想う、自分の心だけを信じて」


 そう言うと妖精は、水たまりの上をぐるりと一周した。


「泉よ、応えて。王子様のため、単身で魔女に挑む姫のために、せめて。王子様のお姿を見せてあげて」

「あ……」


 水が、淡く光り輝いた。

 水面が揺れ、水の中から冷たい風が吹きあがってくる。滝の傍に行った時のような、ひんやりとした水気を含んだ心地よい風。

 風が止むと、水面に、奇跡のような美貌が映し出された。

 誰かを待っているような、待ちわびているような顔。

 何かを、誰かを、焦がれてやまない顔。

 美羽は、腕の中の人形をギュッと強く抱きしめた。

 美羽が焦がれてやまない顔。

 人形のように整った顔立ち。

 美羽が魅かれた静かなまなざしは、今。

 何かを切望し、熱を孕んでいる。

 彼は美羽を待っているのだ。

 美羽を待ち望んでいるのだ。

 他の誰か(魔女が選んだ挑戦者)じゃなく、美羽を。

 だって、彼こそが、美羽をこの絵本の世界へと誘ったのだから。


「絶対に、あたしが助けてみせる! 必ず、あたしが助けるから! だから、信じて待っていて!」


 美羽は水面に身を乗り出し、水面に映る姿に向かって叫んでいた。

 でも、こちらからの声は聞こえていないようだった。

 どんなに叫んでも、彼と目が合うことはない。


「お姿を見ることは出来るけれど、声を届けることは出来ないの」


 妖精の声とともに、王子の姿が滲んでいく。

 それは、妖精の魔法が切れたせいでもあるけれど、美羽自身の視界がぼやけたせいでもあった。

 瞼が熱を帯びていく。

 ポタリ、ポタリと、泉の中に熱い滴が落ちていく。


「どうか、可哀そうな王子様を助けてあげて。それが出来るのは、あなただけだから」

「うん……。うん…………」


 しゃくり上げ、手の甲で目元を拭いながら、美羽は何度も何度も頷いた。

 それが、アリンに向けられた(絵本のストーリー上の)セリフかもしれないとは、露ほども思わなかった。

 アリンも何も言わなかった。

 美羽の気持ちが落ち着くまで、アリンはずっと。

 王子の消えた泉を見つめていた。

 王子の残像を追い求めるように――――。


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