4-1 出来損ないのカメレオン
「うう、気持ちわりい……」
俺は教室へ向かい階段を登っていた。それにしても徹夜明けで、体力を奪われた状態での有酸素運動はめちゃくちゃきつい。というかコレ、たぶん体がSOSだしてる。一応まだ十六歳なのに……。
俺はあの後、一夜の間に空となったペットボトルやお菓子の袋をきっちり片づけ、種田邸を後にした。そこは常識人、抜かりはない。
親には泊まりがけで友人と勉強をすると言ってあったので、身支度を整えに一旦帰ったときも、特に詮索はされなかった。我ながら不良少女の外泊の言い訳みたいで気持ち悪いな……。
「おはよーう、水谷君」
俺に挨拶をする存在と言えば坂本と中村ぐらいしかいない。中村が声を掛けてきた。
「お、おお中村、おはよう」
「ん?どうしたの?そんなに動揺して」
「いや、なんでもない」
……妙な感覚だ。昨日種田とBLゲーをして過ごしたという異常感と、中村のいつもと変わらない調子から出る日常感との間で、うまく整合性が取れない。
恐らく彼女とファーストキスを済ませたカップルとかも、こういう日常と昨日のギャップに違和感を感じたりするのだろうな。
……うわ、何か腹立ってきた。中学時代、教室中に大声でファーストキスした旨を報告してた蓮沼君、爆発してくんねえかな。そうそう! 俺の日常って確かこんな感じだった! 蓮沼君少しだけありがとう!
「何でもないとは言うけど、目も赤いし怪しいなー……あっ!そうだ!」
出るぞ、中村のことだ。どうせろくな答えは出てこない。絶対自分お得意の下ネタにつなげてくるぞ。
「昨日、ついに僕おすすめの十二時間超のむふふなビデオフル視聴を敢行したんだね……! いやあ、うれしいよ! ついに水谷君も、あのドラマ性を踏まえた上での独特なエクスタシーの魅力を体感したんだね!」
……中村の恐ろしいところはこういうところだ。必ず下ネタとわかっているのに、内容は恐ろしい程に斜め上の方向に行くことが多い。こっちがいくら準備していようとも、必ず度肝を抜いてくるあたりは流石だ。
「中村、世界はおまえが思っている以上に、エロ以外の魅力に満ちているぞ……」
俺が肩をポンと置くと中村は、「いまそこ、開発している場所で敏感だから気安く触れないで」と俺に注意した。こいつとはなるべく早いうちに縁を切ろうと誓った。
そんな不毛なやりとりを交わしている間にも、何とか階段を登りきった。
そして息もたえだえのなか視線の先に見えたものは、七組に群がる大勢の人たちであった。何やらざわついているようで、周囲の喧噪が耳をつんざく。
「……どうしたんだ?」
「何かあったのかな?」
俺が困惑していると、中村も不思議そうに小首を傾げる。みたところ、自分と同じクラスの連中も結構いる様子だった。
「おい!水谷!中村!こっちこっち!」
そんな俺達の存在に気づき、真っ青な顔で手招きしてきたのは坂本だった。
「何かあったの?」
当然の疑問を中村が投げかける。
「いや、それがさ、いきなり――」
「バカにしないでよッ!!」
坂本の説明は叫び声にさえぎられた。俺はその声を聴いた瞬間、階段を登って掻いた汗がすーっとひいていく感覚を覚えた。
「撤回しなさいよ! オタクが気持ち悪いって言うさっきの言葉、撤回しなさい!」
間違うはずない。
「うっせえなあ! 気持ちわりいもんを気持ちわりいって言って何がわりいんだよ!」
「おまえさー、陰キャの癖にぴーぴーうるせえんだよ!」
だって昨日散々聞いた声だから。
「ちょっとごめん」
「おい水谷!」
何で? 何故? 一体何が起きている?
視野を確保するため、群衆をかき分けて教室の扉の近くまで移動した。
「私が学校内でどういう立ち位置だろうが関係ないでしょ。アンタらのそのちっぽけな脳味噌じゃ、そんなことも理解できない??」
「おーい、おまえホントいい加減にしろよ」
「ちょいちょい、いいっていいって」
あわよくば俺の勘違いであれという俺の願望は無惨にも打ち砕かれた。
俺の視界の先には、教室の中心に位置する種田と、見るからに悪そうな三、四人の男女が睨み合っている状況があった。
何で? どうして? 経緯は? 一体何が起きている?
疑問符が脳内を駆けめぐる。しかし、この虫食いだらけの設問に未だ解答を導けずにいた。
「あー、種田さん?ぶっちゃけ、あたしも困ってんだよねえ。いきなり説教ふっかけられてさあ。……こんなに注目も集めちゃって」
そういって野田が周りを見回すと、皆は一斉に視線を下げた。
「……確かに私は言い方に配慮が足りなかったのかもしれない。でも、野田さんがこれだからオタクは気持ち悪いって、偏見で人をバカにしたことについては、やっぱりそっちに非があると思う」
……野田さん? バカにした? キーワードから類推するが、まとまった答えは出なかった。突然の状況に困惑していることもあって、何が起きているのか全くつかめない。
「……詳しくはよくわからないけど、何か最初に種田が野田に話しかけにいって、そっからこんな感じになったらしいぜ」
そう言って小声で俺に情報を耳打ちしてくれたのは坂本であった。どうやら、野次馬たちの最前線に行った俺の後をついてきてくれたらしい。しかし、坂本の情報と、いまの状況だけでは相変わらず疑問が残る。
種田は、放課後一緒に野田の元へ行こうと俺に言ってきていた。だが現状、種田は朝から野田に話しかけに行き、そのまま口論になっている。しかも、口論の内容は「オタクを偏見でバカにした」とかなんとか。とにかく、本人に状況をきかなければ、細かいことはわからない。
……いずれにせよ、いま一つはっきりしていることは、種田は相当のバカだってことだ。いくらオタクであることを貶されたからといって、それにいちいち目くじら立てていたら費用対効果が悪すぎる。
言いたい奴には言わせておけばいいんだ。種田は純粋すぎる。野田がオタクをバカにしたとして、それを訂正して何になる。今後関わらなければいいだけなんだ。なのに何で……。
「っていうかさあ、オタクキモいってバカにするなって言ったってさあ。実際、いまてめえ気持ち悪いじゃん!いきなりヒステリ起こしてつっかかってきてよお。ねえ? わたし何も間違ったこと言ってなくない?」
そう言って野田が周囲に同意を求めると、野田たちのグループは「確かに」、「ホントだ」と同意の声を上げやがてゲラゲラと下品に笑い始める。同時に、教室にいた生徒たちもその発言に笑みを浮かべる人間がチラホラいた。
その場にいるだけで胃が痛くなるような雰囲気だった。種田がこの教室にひとりぼっちのような。その雰囲気は俺が中学時代味わったものと酷似しており、俺の足はふるふると情けなく震えていた。
種田、謝ってくれ。いま謝ればどんなに情けなかろうと、嘲笑われようと、とりあえずこの場はおさまる。頼む、はやく謝ってしまえ。それは種田のためと言うより、自分のための情けない祈りであった。
「……それを気持ち悪いと認識したのなら、それはただ単に私の性格が貴方にとって気持ち悪いだけのことよ。オタクであることは全然気持ち悪いことではないわ」
しかし、俺の祈りも虚しく、相変わらず種田は野田の目を一点に見つめ主張を続けた。
「あーもう! 屁理屈ばっかこねてんじゃねえよ! そういうとこがオタク臭くてキモいって言ってんだよ!!」
必死に言い切った種田の言葉は、野田に屁理屈と一蹴された。
……種田の言いたいことはわかる。
「オタクである」という事実は単なる一つの属性に過ぎない。その属性がその人間を確定づけるものとなることなどあり得ない。
だけどこの言葉の中には様々な偏見が内包されている。たとえば「社会不適合者」、たとえば、「キモい」。
その属性をオタクたちが持ち得ていることもあるし、持ち得ていない場合もある。それは一人一人違う。
だが時に、そんな偏見に満ちたイメージを持った人が、その人をオタクと認識したとき、その人は見下す、揶揄する、排斥する。時にオタクたち、一人一人の中身が見られることもなく。
「だからぁ! そのオタク臭いって言う偏見を正せって私は言ってるのよ!!」
種田は涙ぐみながら謝罪の言葉を求めた。
もう、やめてくれ。
「あーっ、もうてめえうるせえなあ!」
野田の取り巻きが種田の胸ぐらをつかむ。種田は「いや、やめてよ!」と必死に抵抗する。
俺はその瞬間、この場を制止しなければ、種田を助けなければいけないような使命感に駆られた。しかし、思いとは裏腹に、体が動くことはない。女子が暴力を振るわれているというのに、俺はそこから、一歩も動けない。
行動に移せない俺は、ただその場で懇願するだけであった。頼むからもうやめてくれ。誰か助けてやってくれ。早く終わってくれと。
別に世界が偏見に満ちていたって、それは種田が傷ついていい理由にはならないはずだ。だから頼む、早く終わってくれ。
その場に留まり、ただ祈ることしかできない自分には情けなさしか感じなかった。動きたい、動いて助けたいという気持ちがあっても、理性が、ずる賢い計算が俺を邪魔をしていた。今後のこと、オタクがバレるデメリット、周囲の反応。そんな実際に起きてもいない想定が俺を動かなくしていた。
助けたい、怖い、助けたい、怖い、二つの感情を何度天秤にかけても答えは出ず、頭がおかしくなりそうだった。
そんな時、下の階から大きな音が聞こえてきた。そして、その音はどんどんこちらに近づいてくる。
「何やってんだお前ら!! 早く自分の教室に戻れ!」
下から聞こえた大きな音は、教員たちが騒ぎをきいて駆けつけてきた音であった。
教師の言葉を聞き、野次馬たちは散り散りになっていく。そして同時に舌打ちをしながら野田の取り巻きは手を離した。
「水谷、戻ろう」
「あ、ああ」
俺も坂本に促されその場を後にしようとする。だが、本当にこのまま戻ってしまっていいのだろうか。心の中で自問自答していたとき、ガタッと机をどかす音がして、誰かが駆け出す音が聞こえた。
「あっ待て!」
教師の声の向く方に目をやると駆けだしていたのは種田だった。種田はそのまま俺のいる前方の扉のほうに真っ直ぐ向かっていった。
駆けていく種田は視線を俺の方に向け、一瞬目が合う。
――ごめん、種田。俺はアニメや、ゲームに出てくるかっこいい正義のヒーローじゃないんだ。
俺は罪悪感からすぐに種田から目をそらした。
そのまま種田の駆けていく音が後方へどんどん遠ざかっていく。
そして放課後まで、種田がクラスに表れることはなかった。




