本物じゃない
それに、落ち着いてよく見ると、剣を振る動作も隙だらけだ。そりゃそうだよね。この人は、本物の『女剣士ガートルード』じゃなくて、中身はただのヤンキー女。喧嘩慣れはしていても、剣道の修行をしたことなんてないだろうし。
よし。
やるぞ!
意を決した私は、ガートルードが剣を振り上げた瞬間に、一瞬で距離を詰め、全力で体当たりした。気の小さい私が、どうしてこんなに積極的な行動を選択したかというと、それもまた、気の小ささのせいである。とにかくガートルードを行動不能にして、この戦闘――異常な緊張状態を、終わりにしたかったのだ。
「ぐっ! てめぇっ……!」
『体当たり』なんて、人生で初の経験なので、当たり具合はイマイチだったが、それでもなかなかの手応え。ガートルードは転倒した。あの恐ろしい衝撃波を発する剣も落とし、私は『勝った!』と思った。
思った。
思ったんだけど……
気づくと私は、床に寝転がされていた。
倒れたガートルードが、両足で私の足を挟み込むようにし、転がしたらしい。そして、流れるような動きで彼女は私に馬乗りになる。本当に、一瞬の出来事だった。
ガートルードの顔に、先程までの余裕はなかった。
思ってもみなかった私の反撃が、彼女を焦らせ、本気にさせたらしい。
ガートルードは、とてつもない、鬼の形相をしていた。
「ひっ……」
情けない声が漏れた。
これは、私の悲鳴である。
怖かった。
生まれてこの方、殴り合いの喧嘩どころか、激しい言い争いもしたことのない私は、生まれて初めて向けられた、強烈な憎悪と殺意の眼差しに、完全に震えあがった。いや、殺意自体は先程から向けられていたわけだが、さっきまでは距離も離れていたし、どことなくゲーム感覚で、現実感がなかったのである。
「このクソガキが、やりやがったな……! てめーみてーなのに舐められてたまるかよ。こちとら毎週ジムに通ってMMAやってんだぞ。あ? どーよ、このマウント。返せるもんなら返してみろや」
ガートルードの言う『MMA』なるものが何なのかはよくわからなかったが、格闘技の一種だろうか? とにかく、馬乗りのこの姿勢がよろしくないことだけは本能的に分かった。
「そのツラ、グッシャグシャにしてからぶっ殺してやる。覚悟しな」
ガートルードが拳を振り上げたので、顔を庇うように両手を前に出す。その隙間を縫うようにして、ガートルードの拳が私の顔面に振り下ろされる。
衝撃。
鼻の辺りが、カッと熱くなる。
そう。
痛みよりも、熱い。
なにこれ。
ぐわんぐわんする。
『人を殴る訓練をしてる』人に。
『本気で殴られる』って。
こんな感じなんだ。
衝撃。
また、同じところに拳を打ち下ろされた。
視界が歪む。
熱い。
息ができない。
鼻血。
衝撃。
視界が歪む
熱い。
苦しい。
衝撃。
熱い。
死ぬ。
殺される。
やだ。
怖。
パァン。
ドサッ。
何の音?
何の音でもいいか。
あの、怖い衝撃がもう来ない。
それだけで、充分だった。
・
・
・
気がつくと、私のそばにエリカがいた。
エリカは体育座りの姿勢で私を見下ろしている。
どうやら彼女も、私の意識が戻ったことに気がついたらしい。
心配そうな、それでいて、少し非難するような瞳だった。
「良かった。気がついたのね。……あのね、体を張って頑張ってくれたあなたを責めるようなことは言いたくないけど、作戦にないことをしないでちょうだい」
「え……? あ……う……? わ、私……何したっけ……?」
口の中が痛い。
どうやら、何度も殴られたことで口内がズタズタに切れているらしい。
歯が折れていないのは、とてつもなく幸運なことだった。
「あなたがガートルードにいきなり体当たりしたときは心底ビックリしたわ。思わず叫びそうになったわよ。『作戦と違うでしょ!』って。作戦は、ガートルードの攻撃を回避しながら、少しずつ私の射程範囲に彼女を誘導する手はずだったでしょ?」
「あ……うん……。ご、ごめん……ガートルードと向き合ったら、その、怖くなったり、興奮したりで、細かい作戦、頭から吹っ飛んじゃった……」
「そう。まあ、そういうこともあるわよね」
「ごめん……」
「いいえ。あなたはよくやってくれたと思うわ。こっちこそ、責めるようなことを言ってごめんなさい」
エリカはそう言って、乱れた私の髪を指で直してくれた。
作戦を無視した(忘れた)私に対しても、エリカは優しかった。わずかにあった非難の色も、今はもうない。ガートルードの真っ黒な悪意をぶつけられた後だから、その優しさが、震えるほど嬉しかった。
そこで、やっと落ち着きを取り戻した私は、現状を正確に理解した。
ああ。
そうか。
エリカがここにいて。
私は殺されてなくて。
恐怖の衝撃波も飛んでこないってことは。
エリカが隠れてた場所から飛び出して、私を助けてくれたんだ。




