もう駆け引きはウンザリ
5秒ほどの沈黙を経て、エリカは相変わらず平然とした様子で言う。
「あなた、誰かに何かを吹き込まれたのね。……なるほど。これは推測だけど、『暗き森の魔女オリヴィア』の使える『魔法』の中に、念話――テレパシーのようなものがあったんじゃないかしら? それでオリヴィアが、あることないこと言ってきたんでしょう? 違う?」
「凄いね。今の短いやり取りで、わかっちゃうんだ」
「わかるわよ。そうでなければ、無神経なところはあっても、心優しいあなたが、こんなに直球で、私を傷つけるようなことを言うはずないもの」
そう言って目を伏せるエリカの顔は、本当に傷ついているように見えた。ズキリと心が痛む。エリカは嘘つきで、今の台詞も、私の心を揺さぶるための嘘かもしれない。そうと分かっていても、自分の言葉で彼女を傷つけたと思うと、苦しく、悲しかった。
だけど私は、引かなかった。
エリカを信じたかったから。
さらに、厳しい追及を重ねていく。
「エリカは前に、私の本当の名前は知らないって言ってたよね? あれは本当なの? 嘘なの? お願い。今度は嘘をつかないで。私、あなたを信じたいの。だから、もう嘘は言わないで。あと一回でも嘘をつかれたら、私、もう二度とあなたを信じられなくなる」
再びエリカは黙った。
先程と違うのは、その表情に明らかな狼狽の色があることだ。
弱々しく、右に左に視線をさまよわせるエリカ。
いつだって冷静だった彼女の、こんな顔を見るのは初めてだった。
「ごめんなさい……」
沈黙の後、初めてエリカが口にしたのは謝罪だった。
それから、静かに言葉を続けていく。
「本当は、知っていたわ。あなたの本名は……戸川アカリ」
オリヴィアから聞いた名前と一致。それに何より、自分自身の心にしっくりくる名前。私は本当に、戸川アカリなのだろう。
「どうして、本当の名前は知らないなんて嘘をついたの?」
「……言っても、あなたには理解できないわ」
「私の頭が、エリカよりずっと悪いから?」
「違う。違うわ。そういうことを言ってるんじゃないの」
「じゃあ、どういうこと?」
「私の気持ちを理解するのは難しいって意味よ。……あなただけじゃなく、きっと、他の誰だって、理解できない」
「そんなの、わからないでしょ? 少なくとも、話してくれなくちゃ、私は納得できない。……オリヴィアさんはこう言ってた。エリカが私に本名を教えなかったのは、私が本名を知ることで、意識がハッキリし、思い通りに操ることが難しくなるからだって」
「違うわ! 私、そんなこと思ってない! あなたを操ろうだなんて、少しも思ってない!」
驚くほどに、上ずった声。
エリカがここまで取り乱したのを見たのは、初めてだった。
「落ち着いてエリカ。私だって、それを完全に信じてるわけじゃない。だからこそ、あなたの口から全てを聞かせてほしいのよ。それが、あなたを信じられる根拠になるから」
「…………」
長い沈黙――といっても、せいぜい十秒か二十秒だと思うが、答えを待つ時間は、とてつもなく長く感じる。その長い長い沈黙が、いよいよ三十秒に達しようというところで、エリカは観念したように語り始めた。
「私があなたの本名を言わなかったのは、あなたが戸川アカリだって認めたくなったからよ」
不思議な回答だった。
私を戸川アカリだと認めたら、エリカにどんな不都合があるというのだろう。
私は、今頭の中に浮かんだ疑問を、ほとんどそのまま言葉にしていく。
「私が戸川アカリだって認めたら、何か悪いことがあるの?」
「何か悪いことですって? 最悪よ。だって、戸川アカリがもう死んでるってことになるのよ。嫌なことばかりだった元の世界で、私がただ一人、好きだった女の子……あの戸川アカリが、十代の若さで死んだってことになるのよ? これ以上に最悪なことがある? そんなの、認めたくないに決まってるじゃない!」
堰を切ったような、言葉の洪水だった。
最後の方は、完全に叫び声になっていた。
え?
これってどういうこと?
もう死んでるって、なに?
全然意味が分からない。
困惑する私に、エリカは暗い顔で説明を続ける。
「前に言ったわよね、私たちは『転生の途中』だって。それって、どういう状態なのか分かる? 一度死んだってことよ。元の世界で死んだから、今、別の世界で生まれ変わる途中なの」
「え、あ、そっか……ってことは、私も、エリカも、ガートルードも、クリスティンも、オリヴィア……さんも、すでに元の世界での人生を終えているってことになっちゃうのか」
「そうよ。別に、私が死んだのはいい。でも、戸川アカリが死んだことは、どうしても受け入れられない。健康で、幸せに長生きできるはずだった戸川アカリが、私と大差ないタイミングで死んだなんて、そんなこと、とても信じられない。信じたくない。だから、あなたの名前を呼ばなかった。……いえ、呼べなかったの」
「戸川アカリって……私って、エリカにとってなんだったの?」
「……友達」
「友達?」
「そう。あの、苦痛に満ちた世界で、ただ一人だけの、私の友達」




