76.爆発
「死ねぇっ!!」
俺は弾き飛ばされたリーデマンの剣を操作し、脳天めがけて突き刺す。
すんでのところで身をかわされたが、リーデマンの怯えた表情は実に滑稽であった。
「逃げんじゃねえよ、ゴミが!!」
逃げ回るリーデマンを罵りながら、俺は剣を生成しては投げつける。
数日前の屈辱をいま晴らしているという快感が、脳を駆け巡る。
しばらくの間、俺はリーデマンを一方的にいたぶり続けた。
だが相手は腐った屑でも名門貴族、徐々に落ち着きを取り戻していく。
剣も、やがて容易に避けられるようになった。
潮時かと思い攻撃を止めると、リーデマンは身体中の埃をはらい、おもむろに立ち上がった。
「……ああ、びっくりしたよ。まさかあの牢獄から逃げ出すとは……。
だが、飲まず食わずで疲れ切った今の君が、この万全の僕に勝てるわけはない」
何を言うかと思えば、リーデマンは余裕の表情でそう言い放った。
それと同時に、リーデマンは地面を蹴り、一気に間合いを詰めてくる。
そして拳を大きく振りかぶる。
返り討ちにしてくれる!
「鋼盾!」
リーデマンと俺との間に、厚い鋼鉄の壁が築かれる。
こんなものを殴れば、骨は砕け、血飛沫が飛び散ることだろう──
その瞬間、衝撃と共に鋼鉄の壁にヒビが走った。
一瞬にして、壁は左右に割れる。
避ける間も受け止める間もなく、俺は腹にその弾丸のような拳を受ける。
叫びを上げながら俺は宙を舞い、瓦礫の山に突っ込んだ。
「神埼、気をつけろ! あいつの腕力、どうかしてるぞ!」
瓦礫越しに、井川の声が聞こえる。
なるほど、身をもって実感した。
内臓が灼けるかのような痛みに、俺はかすれた呻き声を上げる。
吐き気が込み上げるが、数日間何も食べていない俺の胃からは、胃液すら出てこなかった。
いつまでもこうしているわけにもいかない。
瓦礫を掻き分け、俺は痛む腹を押さえながら立ち上がる。
「……なるほど、快調好調絶好調ってわけか。なおさらぶっ殺しがいがある」
「まだそんなことを言ってられる余裕があるんだね。僕の本気を舐めるなよ!」
リーデマンは再び急接近すると、今度は左脚を軸に右脚を大きく回転させる。
「風刃!」
リーデマンの脚が俺の脇腹にめり込むその寸前、素手で魔法を放つ。
空気の斬撃は、一瞬にしてリーデマンの脚を切断した。
大きく目を見開いたリーデマンは、左脚で地面を蹴って飛びのく。
「二度と同じ手にはかかるかよ、馬鹿め」
挑発を受けるリーデマンの表情は、底知れぬ余裕を滲ませていた。
「やるね。だが、これで僕が苦しむとでも?」
その瞬間、血をだらだらと流していたリーデマンの右脚が、めりめりと再生を始めた。
わずか数秒の後には、リーデマンは何事もなかったかのように立っている。
「……お前は何者だ? その翼といい、その生命力といい……人間じゃねえな」
リーデマンは、あっさりと認めた。
「そうさ、僕は天使アザリエル。まあ、今は堕天して魔王に仕える身だがね。詳細は後でそこの雑魚共にでも聞くがいいさ」
リーデマンが指差す先には、震えながら肩を抱き合う井川、日比野、アリスティアの3人がいた。
……ちょっと絵面がいけない感じだけども。
しかし、まさか堕天使とは。
頭がおかしい理想を口走り始めた頃から、魔王が絡んでいそうだとは薄々思っていたが。
「……なるほどな。リーデマン……いや、アザリエル」
「その名前で呼んでくれて嬉しいよ。人間の名前はどうも響きが低俗だ」
おおかた、本物の貴族リーデマンはアザリエルに殺され、成り代わられているのだろう。
この生ける可燃ゴミを自分の名前で呼ばれちゃ、リーデマンが可哀想だ。
「喜んでくれて何よりだ。……殺す!!」
俺は体力の限り、魔力の限り、魔法を撃ちまくる。
『不死火』、『煙霞』、『火炎旋風』。
俺の開発した魔法の全てを、アザリエルに叩き込んだ。
掌が炎に、毒に悲鳴を上げる。
そんなことはお構いなしだ。
「それでこそ僕が見込んだ魔術師だよ。さあ、僕に攻撃を当てられるかな?」
アザリエルは翼をはためかせ、食堂中を逃げ回る。
執拗に狙うも、あと一歩で届かない。
突然、アザリエルが視界から消失した。
数瞬、背中に大きな衝撃を受ける。
後ろに回り込まれ、蹴られたのだ。
俺は宙を舞い、地面に頭から激突する。
駄目だ、威力が足りない。
魔法の杖を使い慣れた身では、自分の手先で魔力を調節するのは難しい。
掌の組織は焼け、もはや痛みも無くなった。
杖を。
杖さえあれば……。
「神埼! 俺の杖を使え!」
井川の声と共に、地面に突っ伏した俺の横で、何かがカランと音を立てる。
立ち上がって見ると、それは他でもない、井川の杖だった。
奪い取るようにその杖を掴み、立ち上がって食堂中を見回す。
アザリエルは、俺を試すかのように宙で羽ばたき、こちらを見下ろしていた。
4日間の監禁生活で、俺の体を流れる魔力量は限界に達しかけていた。
今の大戦闘である程度消費したものの、それでも普段の何倍もの魔力が残っている。
この魔力を全てつぎ込む!
「炎よ、汝は全てを焼き尽くし灰燼に帰す悪魔なり。ひとたび産声を上げれば、大いなる緑はたちまちのうちに枯れ果てた大地へと変わるであろう……」
俺は詠唱しながら、精神を統一する。
地獄の業火など生ぬるい、まさに災害そのものを思い描く。
「目の色が変わった。面白い、受けて立とう」
アザリエルは動かない。
俺は1分、2分と唱え続けた。
杖の先に浮かぶ魔力の球は、太陽が地に落ちてきたかと錯覚するほどの強烈な光を放ち始める。
辺りの小さな瓦礫が、球に吸い寄せられていく。
「……全てを、森羅万象を燃やし尽くし、焦がし尽くし、壊しつくせ。我はいま炎の支配者なり!
滅びよ……『爆炎旋風』!!!」
その瞬間、俺の視界から色が消滅した。
燃えるような赤が一瞬、そして永遠に近いと思えるほどの純白。
音もない。
倒したのか?
俺は死んだのか?
術者が自分の魔術で死ぬなど聞いたことがないが、あり得ない話ではない。
だとすれば笑い話にもならないが。
「……! ………ん!」
ふと、微かな音を聞いた。
「……くん!」
これは、人の声? なら、俺は死んでいないということか?
「ねえ、答えてよ、返事してよ……神埼くん!!」
「うわああああああっ!!!」
叫び声と共に、俺は一気に現実世界に浮上する。
痛みはない。
だが、徐々に感覚は戻ってきた。
機関銃のようだった心音は規則的になり、呼吸も落ち着いてくる。
すると俺は、誰かに見下ろされているのに気づく。
その人物が、今にも泣き出しそうな目をしていることも。
「……土岐枝?」
名前を呼んだ瞬間、その人物の顔は安堵に綻ぶ。
「よかった、わかるんだね……!」
「ああ、俺の頭は無事みたいだ」
だが、一番確かめたいのは……。
「それで、アザ……いや、お前は知らないか。リーデマンはどうなったんだ?」
そう問うと、土岐枝は無言で背後を指差した。
そこには、黒く燃えたアザリエルの純白の服があった。
倒した……。
俺は安堵のため息をつく。
周りを見渡すと、崩れ去った屋敷の瓦礫を踏みつけ、百人をゆうに超えるであろう衛兵があたりを忙しなく歩き回っている。
担架が5つ、人を載せて運ばれていく。
食堂にいた井川、日比野、アリスティア。
そして廊下で待機していた三城と玖珠田が載っているのだろう。
無事に……とは言えないが、助け出されたようだ。
「……ちなみに、今の俺ってどんな状態だ?」
あの豪邸を瓦礫の山に変えてしまうような爆撃を、間近で喰らったのだ。
まあ、無事ではないだろう。
案の定、土岐枝は視線を泳がせる。
「ええっと……、私が火加減間違えたときの焼き魚……かな?」
人を料理に例えんな!
……まあ、要するに真っ黒焦げってことね。
見えるし聞こえるということは、中枢神経はなんとか無事なようだ。
痛みが全くないから、皮膚の細胞は全滅のようだが……。
「……立てる?」
ふいに、土岐枝はそんなことを聞いてきた。
「立てるわけないだろ。指一本動かないんだから」
「……そっか。じゃあ、こうするしかないか。しょうがないね」
その言葉と同時に、土岐枝はこちらに手を伸ばす。
そのまま俺の体に手を回すと、俺を背負った。
「衛兵さんたちのところまで連れていくだけだから、我慢してね」
「我慢? いや、ありがたい限りだが……」
しかし、数ヶ月前のあの出来事が思い出されるな。
ヘーレ迷宮で死にかけた土岐枝を、俺が助けに行ったあの出来事だ。
あの時は、俺が土岐枝を背負って3層まで戻ったが、立場が逆になってしまった。
「……ねえ、神埼くん」
ゆっくりと歩を進めながら、土岐枝は前を向いたまま話を振ってくる。
「私ね、あの迷宮で神埼くんに助けられてから、ずっと恩返ししないとって思ってたんだ。
でも、神埼くんが困ることなんて滅多にないし、芹沢くんの事件の時、私は大した活躍できなかったし……。このまま私、命の恩人に何もできずに終わるのかな……って。
だから今日、ほんの少しだけだけど、私にできることをしたんだ。屋敷を脱出して衛兵さんを呼んで、周りの人を非難させたりとか」
土岐枝の独白は続く。
「私、神埼くんの役に立てたかな……?」
返答は決まっている。
「ああ。お前は俺の命の恩人だ」
まさか、助けた相手に助けられるとは。
もっとも、三城たちにも後で感謝しなければならないな。
やがて、俺は衛兵に保護された。
「あなたは、この屋敷の貴族に招かれていたというカンザキさんですね。すぐに搬送します」
「国王陛下の許可が出て、主治医の方々が治療してくださるそうです。安心してください」
励ましの言葉をかけられながら担架に乗せられ、俺は王城の方へと運ばれていった。
安心感と疲労その他諸々が、俺の瞼を押し下げる。
だが、俺は最後にはっきりと聞いた。
衛兵と何やら話し終えた土岐枝が、最後に俺の方を見て、俺に囁いた内容を。




