77.嵐の後の静けさ
リーデマン邸での地獄のような戦いから、はや2週間を数えた。
王城そばの専用病院に搬送された俺たちは、そこで治療を受けた。
さすがは国王御用達、俺たちの傷はあっという間に癒えていった。
ズタボロだったらしい俺の皮膚も、綺麗に元通り。
運動能力も、日々の生活に支障がないくらいには改善した。
ハンドン隊長の計らいで、向こう1ヶ月ほどは副隊長としての職務は免除となった。
枕元に置かれた封筒から手紙を取り出し、目を走らせる。
『魔王軍幹部アザリエルとの戦いぶりは非常に立派だったと聞いている。君はやはり副隊長としてふさわしい人物だ。だが、今は仕事のことは気にしなくて大丈夫だ。戦いの傷をしっかりと治して、万全な状態で戻ってきてくれ。信頼している。ハンドン』
文面こそ短いが、力のこもった筆跡で丁寧に書かれたその手紙は、俺の気力の糧となってくれる。
聞くところによれば、俺の代役は荒川と寺田が担当するらしい。
町の皆の推薦とのことだが、これをきっかけに2人の仲が戻ってくれたらありがたいことだ。
裏切り者騒動以来、あの2人はまさに犬猿の仲……というより、荒川が寺田に萎縮しているような状態だったからな。
……さて、いつまでも病室にこもっているわけにもいかない。
俺は伸びをすると、ベッドから降りる。
杖を片手に、俺は中庭へと向かった。
「風刃! ……よし、だいぶ戻ってきたな」
ここ数日は、こうして中庭に据え付けられた魔法のカカシを虐めるのが日課になっている。
最初は魔力のコントロールさえおぼつかなかったが、かなり本調子に戻ってきた。
主治医の言うところによれば、もう1週間もすれば退院できるらしい。
病院の中も居心地が悪いわけではないが、やはりアルトでの気ままな生活が一番だ。
「……ずっとお偉いさんに見られてるのは落ち着かねえからな」
そう言いながら、俺はすぐ横に聳え立つ巨大な王城を見上げた。
「カンザキ様、またお会いしましたね。鍛錬がお好きなのですか?」
声に振り返ると、そこにはアリスティア・フォン・リーデマンの姿が。
「ええ、今のうちに調子を戻しておかないといけませんからね」
アリスティアもまた、ここ数日は中庭で剣を振る日々だ。
リーデマンのいなくなった今、次期当主としての責任も感じているのだろうか。
……あれ?
俺は1つ、引っ掛かりを覚えた。
「あのリーデマンは、アザリエルが成り代わっていたものだ。とすると、本物のリーデマンはすでに死んでいた? 洗練された配下を見るに、少なくとも2年は経っている。
だとすると、リーデマン家の当主が死んだ時、家には14歳のアリスティアしかいなかった……」
当主の座は、決められた継承順に、先代の死、または退陣と同時に引き継がれる。
そして継承権をもつ条件は、当主の直系なら、15歳以上……。
うろ覚えではあるが、副隊長になる時に読まされた書籍の中にそのような記述があったはずだ。
「……お察しがよいのですね、カンザキ様」
アリスティアの顔は、いつのまにか曇っていた。
「仰る通り、法は父上の死の時点に遡って適用されます。地下牢から発見された人骨から、私の本当の父上が殺されたのは4年前、私が12歳の時とわかりました。そして、その跡を継ぐことのできる人物はいなかった。
リーデマン家は、断絶したのです。私の代で」
アリスティアは、苦痛に耐えるような表情を見せる。
受け継ぎ守ると決意していたリーデマン家が、実はとうの昔に消えてなくなっていたと知ったのだから、当然だろう。
そして、彼女は貴族の位を失い、庶民として下界に放り出された。
西も東も分からぬ彼女が、過酷なこの世界を生き抜いていけようか。
アリスティアの強さを見れば不可能でもなかろうが、それでも死の危険を伴うことに変わりはない。
治安も問題だ。元とはいえ貴族令嬢なんて、金に飢えた盗人たちの餌食に決まっている。
そんな彼女の生きやすい場所とは、一体どこか。
「アリスティア。お前はこれからどうするつもりだ?」
唐突に話しかけられた彼女は、しばしの逡巡ののち、口を開く。
「屋敷はなくなりましたし、跡地は国に払い下げられるそうです。今はここで生活できていますが、いつまでも居座るわけにもいきませんし……。どうしたらいいのか、正直に言うと困っているのです」
やっぱりな。
「ならお前、アルトに来ないか?」
伏せられていたアリスティアの目が開かれる。
「治安はいいし、冒険者になれば仕事にも事欠かない。安値で泊まれる宿も多い。悪い環境ではないと思うが」
しばらくの間ののち、アリスティアは口を開く。
「その申し出、ありがたく受けさせていただきたいと思います。私は、アルトという街で新たな人生を歩みたいと、心から願っています」
その顔は、強さ溢れる気丈な貴族令嬢アリスティア・フォン・リーデマンのものではなかった。
自身の未来に希望を抱き邁進する、一人の少女のそれであった。
「分かった。といっても、別に手続きとかは要らんがな。俺たちが使ってる宿に空きがあったはずだから、そこを使え。じゃあ、1週間後にアルトで会おう」
「はい、その日を心待ちにしております」
そして、1週間が経った。
俺は晴れて入院生活から解放され、懐かしきアルトの地を再び踏むことができた。
長い旅路を馬で幾日か、アルト中心地で降りると、そこには皆が勢揃い。
「よう神埼、久しぶりじゃねえか。病院の飯はまずかったよな、今日は俺の奢りだ、好きなだけ食えよ!」
「しーちゃん、会いたかったよ〜っ!」
肩を組んで俺を大通りへ引き摺ろうとする井川、助走をつけて思いっきり飛び込んでくる三城。
煩いことこの上ないが、やはりこれが俺の日常なのだ。
今日ばかりは、皆のアホみたいなテンションに付き合ってやろう。
「……あいつらを完全に舐めてた」
まさか、朝6時に着いて、日が暮れるまで町中を引き摺り回されるとは思ってもいなかった。
野口に教えてくれた剣術が役立ったと感謝を伝え、2人で模擬戦をしたり。
右往左往するアリスティアを冒険者ギルドまで案内したり。
副隊長室に堂々と入り、業務に追われる荒川と寺田の目の前で優雅なティータイムを楽しんだり。
……まあ、いい日だった。
「……そういえば」
俺はあることを思い出し、河川敷へと向かう。
助け出され意識を失う寸前、土岐枝が言っていたあの言葉を。
「まったく、こんなところに呼び出して、あいつは何をするつもりなんだ……?」
夕陽を反射する河面は美しく、さながら黄金の海。
その両脇に広がる草地は、アルトの民の憩いの場となっている。
現に今も、犬と戯れる子供や散歩する老夫婦、無邪気に遊ぶ若者たちの楽しげな声が聞こえてくる。
そのまばらな人の中に、土岐枝の姿をみとめた。
広い草地の中で、ただ一人佇む彼女の姿は、どこか周囲と切り取られたように見えた。
「『アルトに戻ってきたら、夕方に河川敷で待ってる』……ねぇ……」
あの場所だから仕方なかったが、どうにも曖昧だ。
一体土岐枝は、俺に何をするつもりなのだろうか。
「土岐枝、約束通り来たぞ」
声を掛けると、土岐枝は弾かれたようにこちらに向き直る。
「あ……うん。こんな時間にごめんね。……あっ、あと、退院おめでとう、かな?」
その言葉は一語一語を思考の中から手繰り寄せるかのようにたどたどしい。
目をそらし、明後日の方向を見る彼女の頬は、紅をさしたようだった。
というか、分かりづらいが若干化粧している気もする。
「……それで、何の用なんだ? よっぽど重大な案件なのだろうが」
本題に入ると、土岐枝は視線を彷徨わせる。
たっぷり十数秒後、彼女は意を決したかのように小さく頷くと、口を開いた。
「その、こんなこと言われたら迷惑だって思うかもしれないけど……。
私は、ええっと……、うん。自分の気持ちに、区切りをつけたいなって」
そして、これまであちらこちらへと動いていた土岐枝の瞳が、真っ直ぐと俺へと向けられる。
その透き通った色の美しい虹彩に、思わず息を呑んだ。
「私は──




