68.異様な雰囲気
貴族の世界というのは、一般的に想像される華美なものとは裏腹に、厳しいものである。
常に自分の領地に目を光らせ、民が苦しんでいれば速やかに対処しなければならない。
そればかりか、領地や財産を狙ってくる他家の刺客にも警戒せねばならない。
そんな過酷なる貴族の世界において、男児がおらず、一人娘のアリスティアもこのままだと婚期を逸しかねないという現在のリーデマン家の立場は非常に悪い。
この国の法律上、女性が爵位を継ぐことは可能ではあるのだが、それも問題の先送りにしかならない。
リーデマン家当主アリスティアに夫ができなければ、どのみちリーデマン家は断絶する。
リーデマンとしては、一刻も早く婚約相手を見つけ、家の地盤を安定させたいのだ。
「待ってくださいよ、だったら俺みたいな平民より、まともな貴族の方がいいんじゃないですか? 家同士の結びつきも強くできますし……」
リーデマンは、ため息をつく。
「始めはそれで何とかなるだろうと思っていたんだけどね……。
何十人とお見合いしたうち、ただの1人も決闘でアリスに勝てなかった。それどころか、ほとんどが一瞬で決着さ。みんな恐れをなして逃げ帰ってしまったんだよ」
まあ、あの剣技を見たら名家の者だろうと逃げ出すか。
しかし、俺にもはいと言えぬ事情がある。
だって嫌だもの!
何が悲しくてドロドロの政界に足を踏み入れなくてはならないんだ。
そんな役回り、熨斗をつけてお返ししたい。
「ちょっと待ってくださいよ。勝手に神埼を引き取られちゃ困るんです」
玖珠田が立ち上がる。
よかった、俺の味方がいた。
「だって神埼には、将来のお嫁さんがもういるんですから」
「……へ?」
「そうなのかい? だったらこの話は取り下げさせてもらうが……いったい相手は?」
リーデマンは、興味津々といった様子で玖珠田に問う。
なんか嫌な予感がする……。
「そりゃもちろん、三城茉里っていう可愛い女の子!」
ほらーーっ!!
「おい貴様、なに嘘ついてやがる! 三城と婚約した覚えはないし、あいつのどこが可愛いんだ!」
あいつの性格、超を何個つけても足りないほど面倒くさいぞ!
「はあ!? あんた、自分が何言ってんのか分かってるの? 女の子を捨てたあげく可愛くないって……このクズ男!」
「待て完全に誤解だ! そもそも、三城はただの幼馴染だ、一体いつそんな話になった!」
俺と玖珠田は、貴族の屋敷でぎゃいぎゃいと口論を始める。
目の前で大声で騒ぎ始められたリーデマンは、それをただポカーンと見るばかり。
俺と玖珠田は、仲良く傷だらけでリーデマンの前に座っている。
途轍もなく気まずい雰囲気に耐えかねたか、リーデマンがようやく口を開く。
「……結局、あの話は嘘だったのかい?」
「そうですよ。俺に婚約相手はいません……だからと言って、この提案を受けるわけにもいきませんが」
そう言ったところで、玖珠田が露骨にため息をつく。
……あとで魔法ぶっ放したろうか。
実は、と前置きするとリーデマンは語り始めた。
「僕の領地で害虫が発生してね、とんでもない不作で民の不満が高まっているんだ。救ってやりたいところだけど、いかんせんお金がなくてね。地主から税を取り立てようとも思ったんだけど、うまくいかない。にっちもさっちもいかなくなってるんだよ」
リーデマンは、疲れたような表情でため息をつく。
「実のところ、アリスティアの婚約相手がいないというのは嘘だ。決闘なんて儀礼的なものだし、結婚を認めるか認めないか、最終的に判断するのは僕だ。
それでもぜひ君をと思ったのは、君が人気だからだよ。君の名声は僕の領地にも知れ渡っている。君がリーデマン家にやってきたと知れば、状況も少しは改善するんじやあないかと期待していたんだけどねぇ……」
そう渋い顔を浮かべるリーデマンの言葉に、俺は少し疑問を覚えた。
「あの、リーデマン閣下?」
「おっ、乗り気になってくれたか?」
「いや、一つ質問があってですね。
……仮にですよ、もしもの話ですからね? 俺がリーデマン家の一員となったとしましょう。その場合、どうして状況が改善するんです? 俺には害虫を駆除したり、作物を元気にするような能力はありませんよ」
魔法を撃ったら田畑はたちまち焼け果てた荒地と化すだろう。
俺を引き入れるくらいなら、榎田でも呼んできて、使い魔に害虫食ってもらった方がよっぽど効率的だ。
俺の疑問を受けて、リーデマンの顔が曇る。
「俺がいることで、農民のやる気が出るとでも言いたいんですか? 害虫は感情論でどうにかなるもんじゃありませんよ。それに、婚約の話を持ち掛けたいだけなんだったら、わざわざ決闘する必要はない。にも関わらず2度も戦わせ、俺の実力を確かめた。剣と魔術の両面でね。
ここまでの話を総合すれば、自ずと答えが分かってくる」
リーデマンは、無言で続きを促す。
「閣下が俺を引き入れようとした理由。それはもはや抑えようのなくなった民の不満を、俺という名の武力で抑え込むため。違いますか?」
静寂は、リーデマンによって破られた。
「なるほど、面白い。さすがは僕が見込んだ人材なだけはあるよ。
その通り、君を呼んだのはそれが目的だ。……悪く思わないでくれ、最終手段だったんだ。うちの領民には有力な冒険者や国王直属の騎士だったものも多い、一度反乱が起きれば取り返しがつかない状態だったんだよ」
ひとときの笑みを浮かべたリーデマンは一転、弁解するような口ぶりになる。
振り返ると、玖珠田が固く拳を握りしめている。
自称女神の嫌な奴だというのが印象だったが、まあ腐っても修道士、正義感はあるらしい。
「まあ、閣下の事情も理解できます。統べる者というのは、皆の理解が得られなければ強い反発に遭いますからね。俺もちょっと前に酷い目に遭いまし──」
その瞬間、俺の脳天に重い衝撃が走った。
「どの口が言ってんのよ! 私あの時のことまだ許しちゃいないんだからね。結果的にあんたが正しかったわけだけど、あの態度は酷かったわよ」
振り返ると、玖珠田がさっき握りしめていた拳を俺の頭にぶち込んだことが理解できた。
そういや、玖珠田はかなり怒っていたと湯梨浜が忠告していたな。
芹沢という裏切り者が実際にいたことで水に流されたと思ったが……。
「まあまあ、押さえてくれ。カンザキ君をあんまり責めちゃかわいそうだ」
反論しようとする俺の代わりに、リーデマンが玖珠田を諭す。
「カンザキ君には、まだ色々と話があるんだ。スミス、彼女を中庭にお連れしてくれ」
リーデマンの呼びかけに、どこからともなく現れた男が、慣れたような動きで玖珠田を連れ出す。
「え、あ、ちょっと……神埼ぃ、あとで覚悟してなさいよ!」
「さあさあどうぞ、今の季節は池に氷が張って大変美しいのですよ」
周りを見ると、先ほどまであちこちに控えていた使用人が、示し合わせたように姿を消している。
何か不気味な予感に、背筋を汗が流れる。
「……誰もいないな。カンザキ君、これは内密の話だ」
リーデマンは俺を見据えると、唐突に話し始める。
「君を一目見た時に感じたよ。君の瞳はあの方……僕の師匠に似ている。純粋な強さを追い求める目だ。君ならば、大いに信用できる」
リーデマンの目に、怪しげな光が灯った。
「僕はこの王国から独立し、全ての人が幸せに暮らせる理想郷を作るんだ」




