第76話「全面抗争」
小豆坂、旧運動広場。
東条雅人と岡島秀太の戦いが始まってから、すでに十数分が経過していた。
しかし、広場の状況は大きく変わっていた。
中央では東条と岡島。
北側では城戸圭吾と朝比奈優吾。
その近くでは片瀬翔と三浦直哉。
そして南側では、今川学園の生徒たちが一斉に動き始めていた。
「……来るぞ!」
南翔高校の石原和樹が叫んだ。
その声を合図に、今川学園の生徒たちが距離を詰めてくる。
港南工業高校の柴田亮が拳を握った。
「ようやく本番ってわけか!」
高瀬宗介が柴田の肩を掴んだ。
「……焦るな」
「分かってるよ!」
柴田は前方を睨んだ。
「でも、向こうから来るなら話は別だろ!」
高瀬は周囲を確認した。
今川学園の生徒は、少なくとも十人以上。
対する南尾張の一団は、高瀬、藤崎、石原、村井、柴田、長谷川の六人だった。
「……人数じゃ不利だな」
石原が呟いた。
藤崎が頷いた。
「でも、全員が一斉に来るわけじゃなさそうです」
高瀬は今川学園の動きを見つめた。
(……何か狙いがある)
相手は広く散らばり、こちらを囲むように移動している。
高瀬はすぐに声を上げた。
「全員、離れすぎるな!」
しかし、その時だった。
今川学園の生徒が二人、柴田へ向かって踏み込んだ。
「……来いよ!」
柴田は拳を構えた。
最初の男が右の拳を振るう。
柴田は腕で受け止め、相手の胸元を押し返した。
もう一人が横から近づく。
柴田は身体を捻り、相手の拳をかわした。
そして、腹部へ拳を打ち込む。
「……ぐっ!」
男が後ろへ下がった。
柴田は笑った。
「……その程度かよ!」
しかし、すぐに別の男が背後へ回り込んだ。
「柴田さん!」
村井が叫んだ。
柴田が振り返る。
だが、男の拳が先に届いた。
柴田の頬を拳が捉える。
「……っ!」
柴田はよろめいた。
その瞬間、村井が男へ踏み込んだ。
「……やめろ!」
村井は相手の肩を押し、柴田から引き離した。
男が村井を睨む。
「……何だ、お前!」
村井は拳を握った。
「南浜高校の村井健太だ!」
柴田が顔を上げた。
「……村井」
「大丈夫ですか?」
柴田は口元を拭った。
「……ああ」
そして、少し笑った。
「……助かった」
村井も笑った。
「この前のお返しです」
二人は背中を合わせた。
南尾張の学校同士が、初めて同じ戦場で肩を並べた瞬間だった。
広場の西側。
秋山天馬は、今川学園二年の中本泰史と向かい合っていた。
「……お前が、遠藤の後輩か」
天馬が尋ねた。
中本は笑った。
「そうだ」
「随分、落ち着いてんな」
「お前と違って、無駄に熱くならねえからな」
天馬は眉を寄せた。
「……何だと?」
中本は拳を構えた。
「お前、大沢たちを倒したらしいな」
「……ああ」
「だったら、俺も簡単には負けられねえ」
中本が踏み込んだ。
右の拳が天馬の顔へ伸びる。
天馬は身体を横へずらした。
しかし、中本はすぐに左の拳を振るった。
天馬は腕で受け止め、相手の腹部へ踏み込んだ。
「……っ!」
中本は一歩下がった。
天馬は追撃する。
しかし、中本は身体を捻り、天馬の拳をかわした。
そして、相手の肩を押し込む。
天馬は体勢を崩しかけた。
「……くっ!」
中本が笑った。
「……思ったより単純だな」
天馬は足を踏ん張った。
「……まだ始まったばっかだろ」
「そうだな」
中本は静かに答えた。
「だから、これから教えてやる」
再び中本が踏み込んだ。
今度は拳を伸ばす直前に、足の向きを変えた。
天馬は反応が遅れた。
中本の拳が脇腹へ届く。
「……っ!」
天馬は顔をしかめた。
(……速い)
中本は追撃せず、距離を取った。
「……どうした?」
天馬は拳を握り直した。
「……何でもねえよ」
しかし、先ほど大沢と戦った時とは違う感覚があった。
中本の攻撃には、無駄が少ない。
こちらの動きを見てから、次の攻撃を選んでいる。
(……こいつ、強え)
天馬は初めて、中本の実力を正面から認めた。
少し離れた場所。
大地夢斗は、今川学園の生徒二人と戦っていた。
「……また二人がかりかよ」
夢斗が苦笑した。
一人が拳を振るう。
夢斗は腕で受け止め、相手の肩を押し返した。
しかし、もう一人が背後へ回る。
夢斗はすぐに振り返った。
(……この前と同じだ)
商店街で大沢たちと戦った時も、複数人を相手にしていた。
あの時は天馬が助けに来た。
しかし、今は天馬も中本と戦っている。
(……自分で何とかするしかねえな)
夢斗は一歩下がり、二人を正面に捉えた。
「……悪いけど、簡単にはやられねえぞ」
男たちが同時に踏み込んだ。
夢斗は片方の腕を掴み、相手の身体を横へ引いた。
もう一人の拳が空を切る。
夢斗はその隙に、相手の腹部へ拳を打ち込んだ。
「……ぐっ!」
男が後ろへ下がった。
しかし、もう一人がすぐに立て直す。
夢斗は呼吸を整えた。
(……長引くと、きついな)
その時、背後から声が聞こえた。
「……夢斗!」
振り返ると、竜胆椿が立っていた。
「……椿!」
椿は夢斗の横へ並んだ。
「一人で抱え込むな」
夢斗は笑った。
「……助かった」
椿は前方の二人を見つめた。
「ここは俺たちで抑える」
夢斗が頷いた。
「了解」
二人は拳を構え直した。
しかし、その時、今川学園の後方から一人の男が歩いてきた。
「……そこまでだ」
低い声だった。
男たちが振り返る。
「……工藤さん」
現れたのは、今川学園の工藤春樹だった。
工藤は二人を見た。
「お前ら、下がれ」
男たちは戸惑った。
「でも……」
「俺が相手する」
工藤は静かに言った。
夢斗と椿が顔を見合わせた。
「……また幹部かよ」
夢斗が呟いた。
椿は工藤を見つめた。
「……お前が工藤春樹か」
工藤が頷いた。
「そうだ」
「俺たち二人を相手にするつもりか?」
工藤は静かに答えた。
「……必要ならな」
夢斗は苦笑した。
「……随分自信あるんだな」
工藤は拳を構えた。
「来い」
椿の表情が変わった。
(……こいつ)
立ち方に無駄がない。
視線も落ち着いている。
ただの喧嘩慣れした生徒とは違う。
椿は夢斗へ小さく声をかけた。
「……油断するな」
夢斗が頷いた。
「分かってる」
二人は工藤と向き合った。
広場の東側。
北陵会の水原廉と宮坂亮も、今川学園の生徒たちと戦っていた。
「……宮坂!」
水原が叫んだ。
「右から来るぞ!」
宮坂はすぐに身体を横へずらした。
相手の拳が肩をかすめる。
宮坂はその腕を掴み、相手の体勢を崩した。
「……助かった!」
水原が頷いた。
「まだ来るぞ!」
二人の前には、今川学園の生徒が四人。
すでに何度か拳を交えていた。
宮坂は息を整えた。
「……人数が多すぎる」
水原が笑った。
「だったら、まとめて倒すしかねえだろ!」
「簡単に言うなよ!」
その時、今川学園の一人が宮坂へ踏み込んだ。
宮坂は腕で受け止めた。
しかし、別の男が横から近づく。
水原が間に入った。
「……宮坂に手出すな!」
水原の拳が男の肩を捉える。
男は後ろへ下がった。
宮坂が水原を見た。
「……悪い」
水原は笑った。
「気にすんな」
しかし、二人の呼吸は少しずつ荒くなっていた。
今川学園の生徒たちは、一定の距離を保ちながら交代で攻めてくる。
(……休ませる気がねえのか)
宮坂は相手の動きを見つめた。
その戦い方には、明確な意図があった。
広場の中央。
遠藤道流は、各地で始まった戦いを静かに見つめていた。
隣に立つ佐藤健が口を開く。
「……予定通り、各勢力が動き始めました」
遠藤は頷いた。
「そうだな」
「ただし、尾張側も予想以上に粘っています」
佐藤は南尾張の一団へ視線を向けた。
「特に、高瀬宗介たちは学校が違うにもかかわらず、互いを助け合っています」
遠藤は静かに答えた。
「……それが、あいつらの強さなんだろう」
佐藤は続けた。
「東尾張連合も北陵会も、仲間同士の連携は優れています」
「……ああ」
遠藤は広場の西側を見た。
秋山天馬が中本泰史と拳を交えている。
その少し離れた場所では、夢斗と椿が工藤春樹と向き合っていた。
「……健」
遠藤が口を開いた。
「はい」
「お前は、いつ動く?」
佐藤は少し笑った。
「……必要になれば」
遠藤は頷いた。
「そうか」
佐藤は静かに拳を握った。
(……まだ、こちらの本当の力を見せる時ではない)
しかし、尾張側にもまだ戦っていない者がいた。
佐久間海斗。
桐生拓真。
そして、南尾張の高瀬宗介。
彼らは周囲の戦況を見ながら、次の動きを探っていた。
全面抗争は始まったばかりだった。
だが、すでに尾張勢は人数と連携の差によって、少しずつ押され始めていた。
その中で、秋山天馬は中本の拳を受け止めながら、歯を食いしばった。
(……このままじゃ)
天馬は周囲を見た。
東条も、城戸も、仲間たちも戦っている。
誰も簡単には倒れない。
しかし、今川学園の生徒たちは次々と前へ出てくる。
(……負けるわけにはいかねえ)
天馬は拳を握り直した。
そして、中本へ向かって踏み込んだ。
小豆坂の全面抗争。
その戦いは、まだ序盤にすぎなかった。
第76話 完




