第71話「小豆坂への集結」
三河・今川学園。
放課後の生徒会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
長机の上には、数枚の報告書が並べられている。
その一枚には、尾張中央高校付近で発生した喧嘩について詳しく記されていた。
「……大沢拓海が負けたそうですね」
佐藤健が静かに口を開いた。
向かいに座る岡島秀太が腕を組む。
「秋山天馬と大地夢斗、二人が相手だったんだろ?」
「はい。大沢たちは四人です」
「四人で二人に負けたのか」
岡島は呆れたように息を吐いた。
「しかも、勝手に喧嘩を売ったんだろ。何やってんだか」
隣にいた朝比奈優吾も表情を険しくした。
「大沢は以前から、尾張の連中を力で従わせようとしていた」
「知っていたんですか?」
佐藤が尋ねる。
「考え方はな。だが、実際に動くとは思わなかった」
朝比奈は答えた。
「俺の見通しが甘かった」
「責任を押しつけるつもりはありません」
佐藤は報告書を閉じた。
「ただ、これで尾張中央高校との関係も悪化しました」
その時、会議室の扉が開いた。
「全員、揃っているな」
入ってきたのは、今川学園三年の遠藤道流だった。
岡島と朝比奈が姿勢を正す。
遠藤は長机の奥に座り、佐藤へ視線を向けた。
「報告を聞こう」
「はい」
佐藤は立ち上がった。
「尾張中央高校との衝突は、大沢たちの独断です。秋山天馬と大地夢斗が勝利し、大沢たちは撤退しました」
遠藤は黙って聞いていた。
「また、東尾張連合と北陵会は今川学園への警戒を強めています。南尾張では、高瀬宗介を中心に学校間の協力体制が作られました」
「なるほど」
遠藤は指を組んだ。
「つまり、尾張の連中は以前より結びつきを強めているわけだ」
「その通りです」
佐藤は頷いた。
「こちらの接触が、結果的に相手の結束を促しています」
岡島が口を開いた。
「遠藤さん。もう、遠回しなやり方は通用しねえと思います」
遠藤が視線を向ける。
「どういう意味だ?」
「東条も城戸も高瀬も、自分たちの仲間を簡単には手放さねえ。秋山に至っては、今川の名前を出されても引かなかった」
岡島は続けた。
「だったら、こっちも本気を見せるべきです」
朝比奈が眉を寄せる。
「力で従わせるのか?」
「そうは言ってねえよ」
岡島は朝比奈を見た。
「でも、俺たちがどれだけ本気なのか、向こうには伝わってねえだろ」
遠藤は二人の言葉を聞いたあと、佐藤へ向き直った。
「健。お前はどう考える?」
佐藤は少し間を置いた。
「……今川学園が尾張へ進出する方針は、変えるべきではありません」
岡島が顔を上げた。
「ただし、これ以上の無秩序な接触は逆効果です」
佐藤は机に一枚の地図を広げた。
そこには、三河と尾張の境界付近が描かれていた。
「今後は、交渉する相手と場所を明確にするべきです」
佐藤の指が、地図の一点で止まった。
「……小豆坂です」
「小豆坂?」
岡島が地図を覗き込んだ。
佐藤は頷いた。
「三河と尾張を結ぶ街道に近い地区です。現在は複数の学校の生徒が利用する場所でもあります」
朝比奈が尋ねた。
「そこで何をする?」
「尾張の主要勢力を招きます」
佐藤は答えた。
「東尾張連合、北陵会、南尾張の各校。そして尾張中央高校の秋山たちです」
岡島が笑った。
「全員まとめて呼ぶのか?」
「ええ。ただし、一つの組織としてではありません」
佐藤は続けた。
「それぞれ別の代表者として招きます。尾張には、まだ統一された指導者がいませんから」
朝比奈は地図を見つめた。
「……相手が来なかったら?」
「それも一つの回答です」
佐藤は静かに答えた。
「ですが、今川学園が今後どのように尾張と関わるのか、正式に伝える機会にはなります」
遠藤が尋ねた。
「その場で何を要求する?」
「三河と尾張の学校間に、今川学園主導の協議体を設けることです」
岡島が眉を上げた。
「随分、穏やかな名前だな」
「名前だけではありません」
佐藤は続けた。
「学校間の争いが起きた場合、今川学園が仲裁に入る。各校は定期的に代表者を送り、情報を共有する」
朝比奈が腕を組んだ。
「それなら、悪い話じゃない」
「ただし、問題があります」
佐藤は遠藤を見た。
「仲裁役を今川学園が独占すれば、尾張の各校は事実上、こちらの判断に従うことになります」
岡島が口を挟んだ。
「それが狙いだろ?」
佐藤は否定しなかった。
「そうです。だからこそ、相手は簡単には受け入れません」
遠藤はしばらく黙っていた。
やがて、地図から顔を上げた。
「健」
「はい」
「俺たちが尾張に進む理由を、忘れていないな?」
佐藤は頷いた。
「三河だけでは、これ以上の勢力拡大に限界があるからです」
「それだけじゃない」
遠藤は静かに言った。
「学校ごとに争い続ける状況を変えたい。力のある連中が、それぞれ勝手に動けば、いつまでも抗争は終わらない」
岡島が口を閉じた。
遠藤は続けた。
「だが、俺たちの考えを受け入れない相手もいる。それは分かっている」
「……はい」
「だから、一度だけ選ばせる」
遠藤は地図の小豆坂を指さした。
「今川学園と協力するのか。それとも、自分たちのやり方を貫くのか」
朝比奈が尋ねた。
「拒否された場合は?」
遠藤は顔を上げた。
「その時は、力で決着をつける」
会議室が静まり返った。
佐藤が確認する。
「……抗争も辞さない、ということですね」
「ああ」
遠藤は答えた。
「ただし、一般の生徒を巻き込むな。学校を襲うことも認めない。俺たちと戦う意思のある連中だけが相手だ」
岡島が笑みを浮かべた。
「ようやく、俺たちの出番ってわけか」
朝比奈は岡島を見た。
「遊びじゃないぞ」
「分かってる」
岡島は真剣な表情に戻った。
「俺だって、尾張の連中を甘く見てねえよ」
会議が終わったあと。
佐藤は廊下で朝比奈に呼び止められた。
「健」
「どうしました?」
「……一つ聞いていいか」
「はい」
朝比奈は窓の外を見た。
「小豆坂に全員が来たとして、本当に話し合いで終わると思うか?」
佐藤はすぐには答えなかった。
「……難しいでしょうね」
「やっぱりか」
「東条雅人は仲間の自主性を重視しています。城戸圭吾も、他校からの指図を嫌う。高瀬宗介は学校同士の対等な関係を求めている」
佐藤は続けた。
「秋山天馬も、誰かに従うために動く人間ではないでしょう」
朝比奈が小さく笑った。
「全員、遠藤さんとは考え方が違うな」
「ええ」
「だったら、最初から戦いになると分かってるんじゃないのか?」
佐藤は朝比奈を見た。
「……だからこそ、正式な場を設けるんです」
「どういうことだ?」
「今川学園が何を望み、尾張が何を拒むのか。それを曖昧にしたまま争えば、終わりが見えなくなります」
佐藤は静かに続けた。
「戦うことになったとしても、何を懸けた戦いなのかは明確にしておきたい」
朝比奈はしばらく考えた。
「……なるほどな」
その時、佐藤のスマートフォンに通知が届いた。
大沢拓海からだった。
『佐藤、俺たちはどうなる?』
佐藤は画面を見つめた。
「……大沢たちにも、きちんと責任を取ってもらいます」
朝比奈が頷く。
「必要だな」
「小豆坂には参加させません。今回の件を曖昧にすれば、同じことが繰り返されます」
佐藤は返信を打ち始めた。
今川学園が次に進むためには、まず自分たちの行動を統制する必要があった。
翌日。
今川学園から尾張の各勢力へ、同じ内容の連絡が送られた。
『三河・今川学園代表、遠藤道流より』
『今後の三河と尾張の関係について、正式な協議の場を設けたい』
『場所は小豆坂地区の旧運動広場』
『各校の代表者による参加を求める』
そして、最後には一文が添えられていた。
『協議が決裂した場合、互いの意思を力で示すことも辞さない』
東尾張工業高校では、神谷亮介がその文章を読み、東条雅人へスマートフォンを差し出した。
北陵高校では、宮坂亮が城戸圭吾に連絡を入れた。
南翔高校では、藤崎蓮が高瀬宗介のもとへ走った。
そして尾張中央高校。
秋山天馬のスマートフォンにも、同じ知らせが届いていた。
「……小豆坂?」
天馬は画面を見つめた。
隣にいた夢斗が顔を覗き込む。
「何だ、それ?」
天馬は最後の一文を読んだ。
「……今川の頭が、俺たちを呼んでる」
夢斗の表情が変わった。
「遠藤道流が?」
「ああ」
天馬はスマートフォンを握り直した。
「しかも、ただの話し合いじゃ終わらねえかもしれない」
窓の外には、いつもと変わらない学校の風景が広がっていた。
しかし、その日を境に、尾張の各勢力は一つの場所を意識し始める。
小豆坂。
三河と尾張の未来を懸けた対立が、そこへ向かって動き出していた。
第71話 完




