第66話「北尾張の誇り」
北山高校。
放課後の校門前には、十数人の男子生徒が集まっていた。
その中心で、一人の男子生徒が地面に座り込んでいる。
北山高校二年、藤原大輝。
頬には赤い痕が残り、制服の襟元は乱れていた。
「……もう一回言ってみろよ」
藤原の前に立つ男が、低い声で問いかけた。
今川学園二年、朝比奈優吾。
以前、城戸圭吾との話し合いにも同行していた男だった。
藤原はゆっくり顔を上げた。
「……俺たちは、北陵会を裏切らねえ」
朝比奈は眉を寄せた。
「誰が裏切れなんて言った?」
「今川学園と組むなら、北陵会とは縁を切れって……」
「それを誰に言われた?」
藤原は黙った。
朝比奈は小さく息をついた。
「……だから、何度も言ってるだろ」
朝比奈は続けた。
「俺たちは、北陵会と敵対しろなんて言ってねえ」
「じゃあ、何で俺たちの学校に何度も来るんだよ!」
藤原が声を荒らげた。
朝比奈の後ろにいた三河の生徒が一歩前に出た。
「お前、朝比奈さんに向かって何だその口の利き方は!」
「やめろ」
朝比奈が制した。
しかし、その生徒は藤原の胸ぐらを掴もうとした。
藤原は反射的に腕を振り払った。
二人の身体がぶつかる。
周囲の生徒たちが一斉に身構えた。
「……おい」
朝比奈の声が低くなった。
三河の生徒が動きを止めた。
「俺は、やめろって言ったよな?」
「……すみません」
朝比奈は藤原を見た。
「立てるか?」
藤原は警戒しながら立ち上がった。
「……ああ」
朝比奈は少し考えた。
「最初から話を整理しよう」
その時だった。
「……随分騒がしいじゃねえか」
校門の向こうから声が聞こえた。
城戸圭吾。
その後ろには、片瀬翔と宮坂亮がいた。
藤原の表情が変わった。
「城戸さん……!」
城戸は藤原の顔を見た。
「……誰にやられた?」
藤原は答えなかった。
代わりに、三河の生徒の一人が口を開いた。
「そいつが先に突っかかってきたんだよ」
城戸は男を見た。
「お前に聞いてねえ」
男が眉を寄せる。
「何だと?」
城戸は藤原へ視線を戻した。
「藤原。何があった?」
藤原は唇を噛んだ。
「……俺が、先に手を出しました」
片瀬が驚いた。
「お前が?」
「はい」
藤原は続けた。
「北陵会のことを馬鹿にされて、我慢できなくて……」
城戸は黙って聞いていた。
朝比奈が口を開いた。
「……城戸圭吾」
城戸が顔を向ける。
「朝比奈か」
「ああ。久しぶりだな」
「遠藤と一緒に来た時以来か」
「そうだな」
二人は互いを見つめた。
朝比奈は続けた。
「今回の件、俺たちにも落ち度はある」
城戸は眉を上げた。
「……へえ」
「こっちの生徒が余計なことを言ったらしい」
朝比奈は後ろの男を見た。
「お前、北陵会と縁を切れって言ったのか?」
男は視線を逸らした。
「……別に、そんなつもりじゃ」
「言ったのかって聞いてる」
「……言いました」
朝比奈は小さく息をついた。
「何で勝手なことを言う?」
「今川学園と付き合うなら、北陵会との関係は邪魔だと思って……」
「それを決めるのは、お前じゃない」
朝比奈の声には、はっきりとした怒りがあった。
城戸は黙ってその様子を見ていた。
朝比奈は藤原へ向き直った。
「……悪かった」
藤原が驚いた。
「え?」
「こっちの生徒が余計なことを言った。それは謝る」
藤原は少し戸惑った。
「……ああ」
朝比奈は続けた。
「ただ、お前が先に殴りかかったことも事実だろ?」
藤原は俯いた。
「……はい」
城戸が口を開いた。
「藤原」
「はい」
「俺たちの名前を出されて腹が立ったのは分かる」
城戸は続けた。
「でも、俺たちのために無茶して怪我する必要はねえ」
藤原は唇を噛んだ。
「……すみません」
「謝る相手は俺じゃねえだろ」
藤原は朝比奈を見た。
「……先に手を出して、悪かった」
朝比奈は頷いた。
「分かった」
一瞬、場の緊張が和らいだ。
しかし、片瀬だけは納得していなかった。
「……なあ、朝比奈」
朝比奈が顔を向ける。
「何だ?」
「お前ら、最近北尾張に来すぎじゃねえか?」
「それがどうした?」
「俺たちの縄張りだって分かってんのか?」
城戸が眉を寄せた。
「片瀬」
しかし、片瀬は続けた。
「東尾張でも南尾張でも同じことしてるらしいじゃねえか。何が目的なんだよ」
朝比奈は片瀬を見つめた。
「……俺たちは、協力できる学校を探してるだけだ」
「だったら三河でやってろよ」
その言葉に、三河の生徒たちが一斉に反応した。
「お前、今川学園を馬鹿にしてんのか?」
片瀬が一歩前に出る。
「事実を言ってるだけだろ」
城戸が片瀬の肩を掴んだ。
「……下がれ」
「でも、城戸さん!」
「俺が話してる」
片瀬は悔しそうに後ろへ下がった。
朝比奈は城戸を見た。
「……お前も大変だな」
城戸は鼻で笑った。
「お互い様だろ」
朝比奈は小さく笑った。
「違いない」
北山高校の裏手。
騒ぎが収まったあと、城戸と朝比奈は少し離れた場所で向かい合っていた。
片瀬と宮坂は、藤原たちの様子を確認している。
「……遠藤は何を考えてる?」
城戸が尋ねた。
朝比奈は答えた。
「尾張と三河が協力できる関係を作りたい。それは変わらない」
「本当にそれだけか?」
「少なくとも、俺が聞いてる方針はそうだ」
城戸は腕を組んだ。
「……俺は、お前らを信用してねえ」
朝比奈は頷いた。
「だろうな」
「それでも、北尾張の学校に来るのか?」
「ああ」
朝比奈は迷わず答えた。
「学校同士が交流することまで、お前に止める権利はないだろ?」
城戸は黙った。
朝比奈は続けた。
「北陵会を頼る奴がいるように、今川学園と付き合いたい奴だっているかもしれない」
「……それは否定しねえ」
「なら、俺たちを追い返す理由もない」
城戸は朝比奈を見つめた。
「ただし、無理やり従わせるなら話は別だ」
「分かってる」
朝比奈は答えた。
「今回みたいなことは、俺からも注意しておく」
城戸は少し考えた。
「……朝比奈」
「何だ?」
「お前、結構強いだろ」
朝比奈はわずかに笑った。
「どうだろうな」
「とぼけんなよ」
城戸は続けた。
「遠藤と一緒に来た時から思ってた。お前、普通の奴とは雰囲気が違う」
朝比奈は城戸を見つめた。
「……お前もな」
二人の間に、短い沈黙が流れた。
その時、朝比奈の意識の奥に、一人の武将が姿を現した。
朝比奈泰朝。
今川家に仕えた武将の魂だった。
『優吾。あの男、なかなかの器量を持っておる』
朝比奈は心の中で答えた。
(……城戸圭吾か)
『うむ。力だけで人を従わせる男ではなさそうじゃ』
(俺もそう思う)
『だが、油断するでないぞ』
(分かってる)
朝比奈は静かに息をついた。
城戸が眉を寄せた。
「……どうした?」
「いや、何でもない」
朝比奈は答えた。
「ただ、いつかお前とは本気で戦うことになるかもしれないと思ってな」
城戸は笑った。
「……奇遇だな」
「何?」
「俺も同じこと考えてた」
朝比奈は少しだけ笑みを浮かべた。
「そうか」
城戸は拳を握った。
「その時は、遠慮しねえぞ」
「ああ」
朝比奈も頷いた。
「俺もだ」
夕方。
北陵高校。
城戸たちが戻ると、水原廉が校舎裏で待っていた。
「城戸さん!」
「どうした?」
「北山の件、聞きました」
城戸は頷いた。
「もう片づいた」
水原は不満そうだった。
「俺も行きたかったっすよ」
片瀬が笑った。
「お前が来たら絶対喧嘩になってたぞ」
「お前に言われたくねえよ!」
宮坂が苦笑した。
「二人とも、少しは落ち着いてくださいよ」
城戸は三人を見渡した。
「……お前ら」
「はい?」
「今川学園の連中、思ってたより厄介かもしれねえ」
水原が眉を寄せた。
「そんなに強そうだったんですか?」
「ああ」
城戸は答えた。
「特に朝比奈って奴だ」
片瀬が腕を組んだ。
「俺もそう思いました」
「……ただ強いだけじゃねえ」
城戸は続けた。
「自分の仲間が間違ったことをしたら、ちゃんと止められる」
宮坂が頷いた。
「確かに、そこは意外でした」
「だからこそ厄介なんだよ」
城戸は静かに言った。
「相手がただの馬鹿なら、喧嘩して終わりで済む。でも、あいつらは違う」
水原が尋ねる。
「じゃあ、どうするんですか?」
城戸は少し考えた。
「……北陵会を強くする」
片瀬が顔を上げた。
「強く?」
「ああ」
城戸は続けた。
「今川学園がどれだけ大きな勢力でも、俺たちが簡単に負けるわけにはいかねえ」
宮坂が頷いた。
「分かりました」
「ただし、無理やり仲間を増やすなよ」
城戸は三人を見た。
「本当に俺たちと一緒に戦いたい奴だけでいい」
片瀬が笑った。
「……了解っす」
水原も頷いた。
「俺も、もっと強くなります」
城戸は少しだけ笑った。
「期待してるぞ」
夕暮れの空の下。
北陵会の四人は、それぞれの決意を胸に立っていた。
一方、北尾張を離れた朝比奈は、駅へ向かう道を歩いていた。
(……城戸圭吾)
『気になる男か』
意識の奥で、朝比奈泰朝が問いかけた。
(ああ)
朝比奈は答えた。
(あいつとは、いずれ戦うことになる気がする)
『ならば、備えておくことじゃ』
(分かってる)
朝比奈は空を見上げた。
(……遠藤さんの考えが、尾張にどう受け取られるか)
『それは、これから分かることじゃ』
朝比奈は静かに頷いた。
北尾張の誇り。
三河の野心。
二つの思いは、まだ正面からぶつかってはいなかった。
しかし、その距離は確実に縮まり始めていた。
第66話 完




