第63話「東尾張の誇り」
東尾張工業高校。
放課後の校舎裏では、相馬恭介が一人の男子生徒から話を聞いていた。
「それで、そいつらは何て言ってたんだ?」
「今川学園と付き合いがあれば、東尾張連合に頼る必要はないって……」
話しているのは、東商高校二年の柴崎修斗だった。
相馬は腕を組んだ。
「誰が言った?」
「三河から来た三人組です。名前までは分からないですけど」
「東商の生徒に手を出したのか?」
「殴られたりはしてません。ただ、断っても帰ってくれなくて」
柴崎は少し言いにくそうに続けた。
「うちの一年が、怖がってるんです」
相馬の表情が険しくなった。
「……なるほどな」
「東条さんに相談した方がいいと思って」
「分かった。話してくれてありがとな」
柴崎は頭を下げた。
「すみません。俺たちの学校のことなのに」
「謝る必要ねえよ」
相馬は首を横に振った。
「お前らが困ってるなら、放っておけねえだろ」
柴崎が帰ったあと、相馬は校舎を見上げた。
今川学園。
最近、東尾張のあちこちで耳にする名前だった。
東条雅人との話し合いが終わったあとも、三河の連中は学校を回り続けている。
それ自体は自由だ。
だが、相手が嫌がっているのに居座るなら話は別だった。
「……東条さんに話すか」
相馬は校舎へ戻った。
三年生の教室。
東条雅人は窓際の机に腰掛け、神谷亮介と話していた。
そこへ相馬が入ってくる。
「東条さん、ちょっといいですか」
「どうした?」
「東商で揉め事が起きてます」
東条は顔を上げた。
「今川か?」
「はい」
相馬は柴崎から聞いた内容を説明した。
東条は最後まで黙って聞いていた。
「……そうか」
神谷が口を開く。
「遠藤とは、互いの学校に無理な干渉はしないって話をしたはずだ」
「正式な約束まではしてねえけどな」
東条は机から降りた。
「ただ、東商の連中が困ってるなら確認する必要はある」
相馬が頷く。
「俺が行ってきます」
「一人でか?」
「神谷さんまで動くような話じゃないですよ」
東条は少し考えた。
「久我山を連れていけ」
「分かりました」
「それと、相馬」
教室を出ようとした相馬が振り返る。
「何ですか?」
「最初から喧嘩するなよ」
「……分かってます」
「お前の分かってますは信用できねえんだよ」
神谷が笑った。
相馬は苦笑する。
「今回はちゃんと話しますって」
東条は相馬を見つめた。
「いいか。東商は俺たちの持ち物じゃねえ」
「はい」
「向こうが今川と付き合いたいなら、それも自由だ。俺たちが口出しすることじゃない」
「……でも、嫌がってる奴がいるなら別ですよね」
「ああ」
東条は頷いた。
「そこは譲る必要ねえ」
相馬は小さく笑った。
「了解です」
翌日の放課後。
東商高校の近くにある商店街。
相馬と久我山慎吾は、柴崎と待ち合わせていた。
「相馬さん!」
柴崎が駆け寄ってくる。
「悪いな、待たせたか?」
「いえ。こっちです」
三人は商店街の奥へ歩いた。
久我山が周囲を見渡す。
「三河の連中、今日も来てんのか?」
「はい。さっき校門の近くにいました」
「毎日来るなんて、随分暇な奴らだな」
相馬が苦笑する。
「俺たちも人のこと言えねえだろ」
「俺は今日はちゃんと授業受けたぞ」
「寝てただけだろ」
「出席はしてた」
そんな会話をしながら歩いていると、柴崎が足を止めた。
「あそこです」
商店街の外れ。
小さな公園の前に、見慣れない制服を着た男子生徒が三人いた。
その前には東商高校の一年生らしい二人が立っている。
「だから、考えてみろって言ってるだけだろ」
三河の生徒の一人が言った。
「今川学園と繋がりがあれば、他の学校に絡まれた時だって助けてもらえるんだぞ」
東商の一年生が俯く。
「でも、俺たちは別に……」
「東尾張連合に遠慮してんのか?」
「そういうわけじゃ……」
「だったら何が問題なんだよ」
相馬は三人に近づいた。
「そこまでにしとけよ」
三河の生徒たちが振り返る。
「……誰だ、お前」
「東尾張工業の相馬恭介」
その名前を聞いた一人が眉を上げた。
「東尾張連合か」
「そうだ」
相馬は一年生たちを見た。
「お前ら、帰っていいぞ」
二人は戸惑いながらも頷いた。
「ありがとうございます……」
柴崎が二人を連れて離れていく。
残った三河の生徒が不満そうに口を開いた。
「何だよ。俺たちは話してただけだぞ」
「話すのは自由だ」
相馬は答えた。
「でも、相手が断ってんのに何度も来るのは違うだろ」
「お前らに関係ねえだろ」
「困ってる奴に相談されたんだよ」
相馬は一歩も退かなかった。
「だから来た。それだけだ」
三河の生徒は舌打ちした。
「……東尾張連合って、随分偉そうなんだな」
久我山が口を開く。
「偉そうにしてんのはどっちだ?」
「何だと?」
「相手の返事も聞かずに、自分たちの話ばっかり押しつけてるだろ」
三河の生徒が久我山に近づいた。
「喧嘩売ってんのか?」
「そっちが買いたいならな」
「久我山」
相馬が制した。
久我山は肩をすくめる。
「分かってるよ」
相馬は三河の三人を見た。
「今川学園の上の奴には、こっちから話を通す。今日は帰ってくれ」
「……断ったら?」
「俺たちはここから動かねえ」
短い沈黙が流れた。
やがて、公園の入口から声が聞こえた。
「おい、お前ら。何やってんだ?」
相馬と久我山が振り返る。
そこに立っていたのは、以前、佐藤健や朝比奈優吾とともに東尾張工業高校を訪れた男だった。
今川学園二年、岡島秀太。
久我山が眉を寄せた。
「……岡島。お前、この前うちの学校に来た奴だな」
岡島は笑った。
「おう。覚えててくれたか」
「忘れるわけねえだろ。佐藤たちと一緒に東条さんに会いに来ただろ」
相馬も岡島を見つめた。
「久しぶりだな、岡島」
「おう、相馬恭介」
「俺の名前も覚えてんのか」
「当然だろ。東尾張連合の幹部なんだからな」
岡島は三河の生徒たちに目を向けた。
「それで、お前らは何してたんだ?」
「岡島さん。こいつらが邪魔してきて……」
「そうじゃねえよ」
岡島の声が低くなった。
「相手が断ってんのに、いつまで粘ってんだって聞いてんだ」
三人は黙り込んだ。
相馬は意外そうに岡島を見た。
「……話が分かるんだな」
「当たり前だろ」
岡島は笑った。
「嫌がってる奴を無理やり仲間にしたって、面倒が増えるだけだ」
「なら、こいつらを連れて帰ってくれ」
「ああ。そのつもりだ」
岡島は三人に顎を向けた。
「先に戻ってろ」
「でも……」
「二度言わせんな」
三人は渋々その場を離れた。
相馬は息をついた。
「助かったよ」
「礼なんかいらねえよ」
岡島は相馬を見つめた。
「それより、お前が北陵会の水原を倒したって話、聞いたぜ」
相馬は小さく笑った。
「……随分詳しいな」
「そりゃ調べてるからな」
岡島は悪びれずに答えた。
「強い奴がいるって聞いたら、気になるだろ?」
久我山が眉を寄せた。
「お前、まさか相馬と喧嘩するつもりか?」
「一度くらい戦ってみてえなと思ってさ」
岡島は軽く拳を握った。
その瞬間だった。
岡島の意識の奥に、一人の男の姿が浮かび上がった。
戦装束に身を包み、鋭い眼差しを持つ武将。
岡部元信。
かつて今川家に仕えた武将の魂だった。
『秀太。あの男、なかなかの胆力じゃ』
岡島は心の中で答えた。
(だろ?)
『じゃが、今は争う時ではあるまい』
(分かってるって)
『おぬしは、すぐに拳を交えたがる』
(強そうな奴を見たら、気になるだろ)
『まったく、血の気の多い奴じゃ』
岡島は小さく笑った。
相馬には、そんな会話は聞こえていない。
ただ、岡島が一瞬だけ黙ったように見えた。
「……どうした?」
相馬が尋ねる。
「いや、何でもねえ」
岡島は拳を下ろした。
「今日はやめとくわ」
「そりゃ助かる」
「でも、いつか相手してくれよ」
相馬は岡島を見つめた。
「必要があるならな」
「随分冷静じゃねえか」
「東条さんに、先に喧嘩するなって言われてるんだよ」
岡島は声を上げて笑った。
「なるほどな。いい上司じゃねえか」
「……まあな」
相馬は少しだけ笑った。
岡島は背を向けた。
「今日の件は、こっちで話をつけとく」
「頼む」
「ただし」
岡島は振り返った。
「俺たち今川学園が、尾張から手を引くって意味じゃねえぞ」
相馬の表情が引き締まった。
「……分かってる」
「ならいい」
岡島は片手を上げ、その場を去っていった。
夕方。
東尾張工業高校。
相馬と久我山から報告を受けた東条は、静かに頷いた。
「岡島が来たのか」
神谷が腕を組む。
「佐藤と一緒に来た時も、あいつは随分余裕があったな」
「ああ」
相馬は答えた。
「話は通じる奴でした。ただ……」
「ただ?」
「喧嘩になったら、相当厄介だと思います」
東条は相馬を見た。
「戦ってもいねえのに分かるのか?」
「何となくですけど」
相馬は少し考えた。
「俺たちと喋ってる時も、全然隙がなかったんですよ」
久我山も頷いた。
「俺も同じこと思いました」
東条は窓の外へ視線を向けた。
「……そうか」
しばらくして、相馬が口を開いた。
「東条さん」
「何だ?」
「今川学園が本気で尾張に来たら、どうするんですか?」
神谷も東条を見た。
東条は少しも迷わなかった。
「東尾張の連中を守る」
相馬は黙って聞いていた。
「俺たちは今川の下につくつもりもねえし、北陵会と無駄な喧嘩を続けるつもりもねえ」
東条は続けた。
「ただ、自分たちで決めた道を、他所の奴に勝手に変えられるのは御免だ」
神谷が小さく笑った。
「東条らしいな」
「そうか?」
「ああ」
相馬も頷いた。
「俺も、その考えに賛成です」
東条は二人を見た。
「だったら、今まで通りだ」
「今まで通り?」
「仲間を増やすために誰かを脅す必要はねえ。助けを求めてきた奴がいたら、できる範囲で力になる」
東条は静かに言った。
「東尾張連合が何のためにあるのか、忘れるなよ」
「はい」
相馬は力強く頷いた。
その頃、東尾張の駅へ向かう岡島の足取りは軽かった。
(相馬恭介、か)
『気に入ったようじゃな』
意識の奥で、岡部元信が語りかける。
(ああ。あいつ、結構やると思うぜ)
『ならば、なおさら侮るでない』
(分かってるよ)
岡島は夕暮れの街を見渡した。
(……尾張には、面白え奴が多いな)
『面白いだけでは済まぬかもしれんぞ』
その言葉に、岡島は笑みを消した。
(遠藤さんが本気で動けば、そうなるだろうな)
岡部元信は、それ以上何も言わなかった。
岡島もまた、黙って歩き続けた。
東尾張連合と今川学園。
この日の衝突は、大きな喧嘩には発展しなかった。
しかし、両者の間にある考え方の違いは、確かに浮き彫りになっていた。
第63話 完




