第59話「南翔高校の警戒」
南尾張、南翔高校。
放課後の校舎には、部活動へ向かう生徒たちの声が響いていた。
三年生の高瀬宗介は、二階の渡り廊下から校庭を眺めていた。
「高瀬さん!」
背後から声がした。
振り返ると、二年生の藤崎蓮が駆け寄ってきた。
「どうした?」
「ちょっと、気になる話が入ってきました」
藤崎は息を整えながら、スマートフォンを取り出した。
「三河の連中が、北陵会の城戸さんと会ったそうです」
高瀬の表情が変わった。
「……城戸と?」
「はい。その前には東条さんとも会ってるみたいです」
「なるほどな」
高瀬は腕を組んだ。
数日前から、三河の生徒たちが尾張の学校を調べているという話は聞いていた。
しかし、実際に各組織の代表と接触しているとなれば、話は別だった。
「それで、城戸は何て?」
「協力関係は成立しなかったそうです」
「東条も同じだったな」
「はい」
高瀬は少し考えた。
「……次は俺たちかもしれないな」
藤崎が頷いた。
「俺もそう思います」
「他には?」
「南側の学校にも、三河の連中が来ているみたいです」
高瀬は藤崎を見た。
「どこの学校だ?」
「南浜高校です」
その名前を聞いた瞬間、高瀬は眉を寄せた。
「……南浜か」
南浜高校は、南翔高校から電車で二駅ほど離れた場所にある学校だった。
以前は周辺の学校との揉め事が多かったものの、最近は落ち着いていた。
「誰か怪我したのか?」
「いえ、今のところは。ただ、何人かが三河の生徒に呼び止められたそうです」
「何を聞かれた?」
「南側で一番強いのは誰かとか、南翔高校とはどういう関係なのかとか……」
高瀬は小さく息を吐いた。
「東側でやってたことと同じか」
「そうですね」
「……分かった」
高瀬は渡り廊下から歩き出した。
「南浜に行こう」
藤崎が顔を上げる。
「今からですか?」
「ああ。直接話を聞きたい」
南浜高校。
校門の前では、数人の男子生徒が帰宅の準備をしていた。
その中に、高瀬たちの知り合いである二年生の村井健太がいた。
「村井!」
藤崎が声をかける。
村井は振り返り、驚いた顔をした。
「あれ、藤崎さん?」
その隣に立つ高瀬に気づくと、さらに目を丸くした。
「高瀬さんまで……どうしたんですか?」
「ちょっと話を聞きたくてな」
高瀬が答えた。
「三河の連中が来たって本当か?」
村井は周囲を見回した。
「……はい」
「何があった?」
「昨日、知らない制服の人たちが来たんです」
村井は少し声を落とした。
「最初は普通に話しかけられただけでした。南側の学校について教えてほしいって」
「それで?」
「南翔高校のこととか、高瀬さんのことを聞かれました」
藤崎が尋ねる。
「名前は分かるか?」
「いや、名乗ってなかったです」
「人数は?」
「三人でした」
高瀬は頷いた。
「喧嘩にはならなかったんだな?」
「はい。でも……」
村井は言葉を止めた。
高瀬が尋ねる。
「どうした?」
「一緒にいた友達が、ちょっと言い返したんです」
「何て?」
「南側のことなら南翔に聞けばいいだろって」
藤崎が苦笑した。
「まあ、間違ってはないな」
「そしたら、そのうちの一人が……」
村井は少し迷った。
「『南翔が南側の代表だと、誰が決めたんだ』って」
高瀬は黙った。
村井が続ける。
「それで、俺たちが何も言えなくなったら、笑って帰っていきました」
藤崎の表情が険しくなった。
「……随分な言い方だな」
高瀬は村井を見た。
「怖かったか?」
村井は少し驚いた。
「え?」
「正直に言っていいぞ」
村井は俯いた。
「……少し」
高瀬は頷いた。
「そうか」
「すみません。俺たち、何もできなくて」
「謝る必要はない」
高瀬は静かに答えた。
「喧嘩にならなかったなら、それでいい」
村井が顔を上げる。
「でも、高瀬さんのことまで言われて……」
「俺のことは気にするな」
高瀬は笑った。
「お前らが無事なら、それで十分だ」
村井はしばらく黙ったあと、小さく頷いた。
帰り道。
藤崎は高瀬の隣を歩きながら、考え込んでいた。
「……高瀬さん」
「何だ?」
「あいつら、何がしたいんですかね」
「さあな」
「東条さんにも城戸さんにも会って、今度は南側の学校まで調べてる」
藤崎は少し苛立った様子で続けた。
「普通に交流したいだけなら、あんな言い方しなくてもいいと思うんですけど」
高瀬は頷いた。
「そうだな」
「高瀬さんは、どう思います?」
「三河の連中にも、色んな考えの奴がいるんだろう」
「色んな考え?」
「ああ」
高瀬は歩きながら答えた。
「遠藤って奴は話し合いをしたいのかもしれない。でも、全員が同じように考えてるとは限らない」
藤崎は黙って聞いていた。
「中には、尾張の連中を試したい奴もいるだろうし、自分たちの方が上だと思ってる奴もいるだろう」
「……なるほど」
「だからこそ、こっちが先に喧嘩を始めるわけにはいかない」
藤崎は高瀬を見た。
「でも、もし向こうから仕掛けてきたら?」
高瀬は足を止めた。
「その時は、守るしかないな」
藤崎も立ち止まった。
高瀬は続けた。
「南側の学校は、俺たちの持ち物じゃない」
「はい」
「でも、困ってる奴がいるなら放っておけないだろ」
藤崎は少し笑った。
「……高瀬さんらしいですね」
「そうか?」
「はい」
二人は再び歩き始めた。
翌朝。
南翔高校の空き教室には、藤崎を含む数人の生徒が集まっていた。
高瀬は黒板の前に立ち、全員の顔を見渡した。
「昨日、南浜高校に行ってきた」
一人の生徒が尋ねた。
「三河の連中が来たって話ですか?」
「ああ」
高瀬は頷いた。
「今のところ、怪我人は出ていない。ただ、向こうが南側の学校を調べているのは間違いなさそうだ」
別の生徒が口を開く。
「だったら、俺たちも人数を集めた方がよくないですか?」
「何のために?」
「もし喧嘩になった時のためです」
高瀬は少し考えた。
「備えること自体は悪くない」
生徒たちが顔を上げた。
「でも、他校の生徒を無理に集めるようなことはするなよ」
「……はい」
「南翔の名前を使って威張るのもなしだ」
藤崎が頷いた。
「分かりました」
高瀬は続けた。
「まずは、南側の学校で困ってる奴がいないか確認する。それだけでいい」
一人が尋ねる。
「三河の連中を見つけたらどうします?」
「喧嘩は売るな。話せるなら話せばいい」
「もし向こうから殴ってきたら?」
高瀬は少し黙った。
そして答えた。
「自分と仲間の身を守れ。無理に追いかける必要はない」
生徒たちは頷いた。
藤崎が手を挙げた。
「高瀬さん、俺からも一ついいですか?」
「ああ」
「もし三河の連中が南翔に来たら、俺たちも話を聞くんですよね?」
「そうだな」
「その時、俺も同席していいですか?」
高瀬は笑った。
「もちろんだ」
藤崎も笑った。
「ありがとうございます」
高瀬は窓の外を見た。
今川学園。
遠藤道流。
まだ直接会ったことはない。
しかし、いずれ向き合うことになるだろう。
そう感じていた。
同じ日の放課後。
南翔高校の校門前。
藤崎が帰ろうとすると、見慣れない制服の男子生徒が立っていた。
背はそれほど高くない。
整った髪型に、落ち着いた表情。
その男子生徒は藤崎に気づくと、軽く頭を下げた。
「すみません。南翔高校の方ですか?」
藤崎は足を止めた。
「そうですけど」
「高瀬宗介さんにお会いしたいんです」
藤崎の表情が変わった。
「……どちら様ですか?」
男子生徒は答えた。
「今川学園の佐藤健といいます」
藤崎は黙った。
やはり来た。
そう思った。
佐藤は続けた。
「突然すみません。少しお話しできればと思いまして」
藤崎は佐藤を見つめた。
「……高瀬さんに何の用ですか?」
「三河と南側の学校について、お話ししたいんです」
「協力関係の話ですか?」
佐藤は少し驚いた。
「ご存じなんですね」
「東条さんや城戸さんに会ったって聞いてます」
「そうですか」
佐藤は頷いた。
藤崎は少し考えたあと、口を開いた。
「高瀬さんに確認してきます。ここで待っててもらえますか?」
「ありがとうございます」
藤崎は校舎へ戻った。
数分後。
高瀬が藤崎とともに現れた。
佐藤は頭を下げた。
「初めまして。佐藤健です」
高瀬も軽く頭を下げる。
「南翔の高瀬宗介だ」
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「いや、構わないよ」
高瀬は佐藤を見た。
「遠藤さんからの話かな?」
「はい」
佐藤は頷いた。
「一度、直接お会いしたいと考えています」
高瀬は少し考えた。
「……分かった」
藤崎が顔を向ける。
「高瀬さん?」
「話くらいは聞こう」
佐藤の表情が少し和らいだ。
「ありがとうございます」
しかし、高瀬は続けた。
「その前に、一つ確認したいことがある」
「何でしょうか?」
「昨日、南浜高校の生徒たちに三河の人間が声をかけたらしい」
佐藤の表情が変わった。
高瀬は静かに尋ねた。
「君たちの仲間かな?」
佐藤は少し考えた。
「……確認させてください」
「分かった」
「ただ、僕たちが直接指示したことではありません」
高瀬は頷いた。
「そうか」
佐藤は続けた。
「もし不快な思いをさせていたなら、申し訳ありません」
高瀬は佐藤を見つめた。
「謝るのは、何があったか分かってからでいいよ」
佐藤は少し驚いた。
「……はい」
高瀬は穏やかな表情のまま続けた。
「俺は三河の人間だからって、全員を敵だと思うつもりはない」
藤崎は黙って聞いていた。
「でも、南側の生徒が困ってるなら、見過ごすつもりもない」
佐藤はゆっくり頷いた。
「……分かりました」
高瀬は笑った。
「遠藤さんにも、そう伝えてくれるかな」
「はい」
佐藤は頭を下げた。
「必ず伝えます」
三河の使者は、南翔高校を後にした。
その背中を見送りながら、藤崎が口を開いた。
「……高瀬さん」
「何だ?」
「遠藤って人、どんな人なんでしょうね」
高瀬は少し考えた。
「さあな」
そして、静かに答えた。
「でも、会えば分かるだろ」
高瀬は校門の外へ視線を向けた。
尾張の東側では東条が動き、北側では城戸が警戒を強めている。
そして今、南側にも三河の影が近づいていた。
高瀬宗介は、まだ戦うつもりはなかった。
だが、守るべきものを奪われそうになった時。
その時だけは、決して退くつもりもなかった。
第59話 完




