第57話「三河からの来訪者」
三河、今川学園。
午後四時を過ぎた校舎には、部活動へ向かう生徒たちの声が響いていた。
三年生の教室では、遠藤道流が窓際の席に座っていた。
机の上には、佐藤健がまとめた尾張の調査資料が置かれている。
「……東条雅人は、簡単には首を縦に振らなかったか」
遠藤が呟いた。
向かいに座る佐藤が頷く。
「はい。協力関係そのものを否定したわけではありませんが、こちらの目的を警戒していました」
「当然だろうな」
遠藤は資料を閉じた。
「突然、別の地域の人間が来て、一緒にやろうと言われても信用できるはずがない」
隣にいた岡島秀太が口を開いた。
「でも、話は通じそうでしたよ」
「ほう?」
「東条って奴、思ったよりまともでした。負けたことも認めてたし、仲間のことも考えてるみたいで」
遠藤は少し笑った。
「お前がそこまで褒めるのは珍しいな」
「別に褒めてるわけじゃないっすよ」
「そうか?」
「……まあ、嫌いじゃないですけど」
朝比奈優吾が笑った。
「十分褒めてるだろ」
岡島は不満そうに朝比奈を見た。
「うるせえな」
遠藤は二人のやり取りを見ながら、再び資料へ視線を落とした。
「それで、佐藤」
「はい」
「東条と会う必要はあると思うか?」
佐藤は少し考えた。
「あると思います」
「理由は?」
「東尾張連合は、現在の尾張でも大きな影響力を持っています。人数は減りましたが、主要幹部は残っています」
遠藤は黙って聞いていた。
「それに、東条さんは一度決めたことを簡単には曲げない人物だと思います。協力するにしても、対立するにしても、直接話しておく価値はあります」
「なるほどな」
遠藤は椅子から立ち上がった。
「だったら、俺が行こう」
岡島が顔を上げる。
「尾張にですか?」
「ああ」
「俺たちも行きます?」
「佐藤と朝比奈は一緒に来てくれ」
岡島が目を丸くした。
「……俺は?」
遠藤は笑った。
「お前は留守番だ」
「何でですか!」
「話し合いの途中で喧嘩を始められても困るからな」
朝比奈が笑いをこらえる。
「遠藤さん、よく分かってますね」
「お前まで言うなよ!」
岡島は不満そうだったが、遠藤の判断に逆らうことはなかった。
翌日の昼休み。
今川学園の屋上。
佐藤は朝比奈と並び、尾張へ向かう予定を確認していた。
「東条さんから返事は来たか?」
朝比奈が尋ねる。
「はい。明日の放課後なら時間を取れるそうです」
「場所は?」
「東尾張工業高校の近くにある喫茶店です」
朝比奈は頷いた。
「学校じゃないんだな」
「東条さんの提案です」
佐藤はスマートフォンをしまった。
「お互いに大人数を連れてこないことも条件になっています」
「警戒してるってことか」
「そうでしょうね」
朝比奈は手すりに寄りかかった。
「……佐藤」
「はい?」
「お前、遠藤さんが何を考えてるか分かるか?」
佐藤は顔を向けた。
「尾張への進出についてですか?」
「ああ」
朝比奈は少し考えてから続けた。
「俺たちは今まで、三河の学校同士で揉め事を片づけてきた。それなのに、急に尾張まで話を広げるっていうのは……」
「不安ですか?」
「不安っていうより、理由が気になる」
佐藤はしばらく黙った。
そして、静かに答えた。
「僕も、すべてを聞いているわけではありません」
朝比奈が少し驚いた。
「お前でも?」
「はい」
佐藤は校庭を見下ろした。
「ただ、遠藤さんは三河の学校をまとめたあと、今の関係を維持するだけでは足りないと考えているようです」
「……どういうことだ?」
「三河の中にも、遠藤さんの方針に不満を持つ人はいます。学校同士の争いが完全になくなったわけでもありません」
朝比奈は頷いた。
「それはそうだな」
「だから、外との関係を築くことで、三河全体を安定させたいのかもしれません」
「なるほどな」
朝比奈は少し考えた。
「でも、それで尾張の連中と喧嘩になったら意味ねえよな」
「ええ」
佐藤も頷いた。
「そこは僕も気になっています」
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
翌日。
東尾張工業高校から徒歩十分ほどの喫茶店。
東条雅人は、神谷亮介とともに窓際の席に座っていた。
「……本当に来るんだな」
神谷が言った。
「ああ」
東条は時計を確認した。
「三河の代表って奴がな」
「どうするつもりだ?」
「話を聞く」
「それだけか?」
「それだけだ」
東条は水の入ったグラスを手に取った。
「向こうが何を考えてるか分からねえうちに、敵だ味方だって決めるつもりはねえよ」
神谷は少し笑った。
「最近のお前、変わったな」
「またその話かよ」
「いや、悪い意味じゃねえ」
神谷は椅子にもたれた。
「前のお前なら、三河の奴が来るって聞いただけで喧嘩になってたかもしれねえ」
東条は苦笑した。
「……否定できねえな」
その時、店の入口が開いた。
三人の男子生徒が入ってくる。
佐藤健。
朝比奈優吾。
そして、その中央を歩く遠藤道流。
佐藤が東条に気づいた。
「東条さん、お待たせしました」
東条は立ち上がった。
「いや、時間通りだ」
佐藤は隣の男を紹介した。
「こちらが、今川学園の遠藤道流さんです」
遠藤が一歩前に出る。
「初めまして。遠藤道流だ」
東条はその顔を見た。
落ち着いた表情。
声を荒らげることもなく、周囲を威圧するような態度もない。
しかし、なぜか目を逸らしにくかった。
「……東条雅人だ」
二人は握手を交わした。
遠藤は小さく笑った。
「会えてよかった」
「そりゃどうも」
東条も笑った。
「で、わざわざ三河から来た理由を聞こうか」
注文した飲み物が運ばれ、五人は席についた。
遠藤が口を開く。
「まず、突然の申し出に応じてくれたことに礼を言いたい」
「礼はいい。用件を聞かせてくれ」
東条が答える。
遠藤は頷いた。
「俺は、三河と尾張の学校が協力できる関係を作りたいと思っている」
「佐藤からも聞いた」
「ああ。だが、今日は俺自身の考えを伝えたくて来た」
遠藤は続けた。
「三河では、学校同士の争いが長く続いていた。俺たちはそれを少しずつ収めてきた」
神谷が尋ねる。
「全部の学校が従ってるのか?」
「いや」
遠藤は首を横に振った。
「俺たちに反発する学校もある。今でも問題は起きる」
東条は腕を組んだ。
「それで、何で尾張なんだ?」
「三河だけで物事を考えていても、解決できない問題があるからだ」
「例えば?」
「地域をまたいで起きる喧嘩や、学校同士の対立だ」
遠藤は落ち着いた声で続けた。
「尾張と三河が互いを知らないままなら、小さな揉め事が大きな争いになることもある」
東条は黙って聞いていた。
「だから、先に関係を作っておきたい」
「……なるほどな」
東条は少し考えた。
「言いたいことは分かった」
遠藤が頷く。
「そうか」
「でも、一つ聞かせてくれ」
「何だ?」
東条は遠藤をまっすぐ見た。
「お前らの言う協力って、対等な関係なのか?」
佐藤が顔を上げた。
遠藤はすぐには答えなかった。
東条が続ける。
「俺たちが困った時に助けてくれる代わりに、三河の指示には従えって話なら断る」
神谷も頷いた。
「俺たちは東尾張連合だ。今川学園の下につくつもりはねえ」
遠藤は二人を見つめた。
そして、静かに答えた。
「今すぐ俺たちの下につけと言うつもりはない」
東条の眉がわずかに動いた。
「……今すぐ?」
「ああ」
遠藤は言葉を続けた。
「ただ、将来的には三河と尾張が同じ方針で動ける関係を目指したいと思っている」
「それは結局、どっちかが上に立つってことじゃねえのか?」
「そうなる可能性はある」
遠藤は否定しなかった。
東条は小さく笑った。
「……正直だな」
「曖昧にしても仕方ないからな」
遠藤はコーヒーを一口飲んだ。
「だが、無理に従わせて作った関係は長続きしないとも思っている」
東条は遠藤を見つめた。
「だったら、俺の答えは決まってる」
「聞かせてくれ」
「協力できることがあれば協力する。だが、東尾張連合は東尾張連合のままだ」
遠藤は頷いた。
「分かった」
「それでいいのか?」
「ああ。今日は返事を強要しに来たわけじゃない」
東条は少し意外そうな顔をした。
遠藤は続ける。
「ただ、お前の考えはよく分かった」
「そりゃよかった」
東条はグラスを置いた。
「俺からも一つ言っておく」
「何だ?」
「東側の学校に手を出すなら、先に俺に話を通せ」
遠藤は少し考えた。
「学校の生徒が、自分の意思で俺たちと関わりたいと言った場合もか?」
東条は一瞬黙った。
以前の自分なら、迷わず禁止していただろう。
だが、今は違う。
「……本人が決めたことなら止めねえよ」
神谷が東条を見る。
東条は続けた。
「ただし、脅したり、無理に引き抜いたりするなら話は別だ」
遠藤は静かに頷いた。
「その考えは尊重する」
二人はしばらく視線を交わした。
互いの主張が完全に一致したわけではない。
それでも、話し合いを続ける余地は残されていた。
会談を終え、遠藤たちが店を出た。
駅へ向かう道で、朝比奈が口を開いた。
「どうでした?」
遠藤は少し考えた。
「東条雅人か」
「はい」
「いい男だな」
佐藤が頷く。
「僕もそう思います」
朝比奈が笑った。
「岡島も同じこと言ってましたよ」
遠藤は少し驚いた。
「あいつが?」
「はい。気に入ったみたいです」
遠藤は笑った。
「珍しいこともあるもんだ」
佐藤が尋ねる。
「今後、東尾張連合にはどう対応しますか?」
遠藤は歩きながら答えた。
「しばらくは無理に動かない」
「分かりました」
「ただし、尾張の調査は続けてくれ」
佐藤が顔を上げる。
「東側以外もですか?」
「ああ」
遠藤は頷いた。
「東条だけが尾張を代表しているわけじゃないんだろ?」
「はい。北陵会や南翔高校、それから秋山天馬たちがいます」
「なら、ほかの連中の考えも知りたい」
朝比奈が尋ねる。
「次は誰に会うつもりですか?」
遠藤は少し考えた。
「……城戸圭吾だな」
佐藤はスマートフォンを取り出した。
「北陵会ですね」
「ああ」
遠藤は遠くに見える駅を眺めた。
「東条とは違う考え方を持っているらしいからな」
その頃、東尾張工業高校では、東条が神谷と会談について話していた。
「……どうだった?」
神谷が尋ねる。
東条は少し考えた。
「遠藤道流は、簡単に考えを変える奴じゃねえな」
「お前もだろ」
「まあな」
東条は笑った。
「だから、話が合わねえ部分もある」
神谷が腕を組んだ。
「今後、揉めると思うか?」
東条は窓の外を見た。
「……分からねえ」
そして、静かに続けた。
「でも、あいつは本気で尾張に関わろうとしてる」
神谷は黙った。
「だったら、俺たちも今まで通りってわけにはいかねえだろうな」
東条は机に置いたスマートフォンを手に取った。
画面には、三枝圭介から届いたメッセージが表示されていた。
『東条さん、北側でも三河の連中について調べ始めたそうです』
東条は小さく息を吐いた。
「……城戸も動いてるか」
尾張と三河。
これまで別々の地域で続いていた不良たちの争いは、少しずつ互いに影響を及ぼし始めていた。
そして、その中心にいる遠藤道流は、次なる相手との接触を考えていた。
第57話 完




