第56話「今川の使者」
放課後。
東尾張工業高校、旧校舎二階。
東条雅人は窓際の椅子に座り、スマートフォンを眺めていた。
画面には、見知らぬ番号から届いたメッセージが表示されている。
『突然のご連絡、失礼します。三河の今川学園に通う佐藤健と申します。東条雅人さんと、一度お話しする機会をいただけないでしょうか』
東条は眉を寄せた。
「……今川学園?」
向かいに座っていた神谷亮介が顔を上げる。
「どうした?」
「三河の奴から連絡が来た」
「三河?」
東条はスマートフォンを見せた。
神谷は文章を読み、首を傾げた。
「佐藤健……聞いたことねえな」
「俺もだ」
「何の用だって?」
「それが書いてねえんだよ」
神谷は腕を組んだ。
「怪しくねえか?」
「まあな」
東条は返信を入力した。
『話って何だ?』
数分後、返事が届いた。
『尾張の学校についてです。こちらの代表が、東条さんと直接お話ししたいと考えています』
東条は画面を見つめた。
「……代表?」
神谷が尋ねる。
「何だって?」
「向こうの代表が俺に会いたいらしい」
「だったら、そいつが直接連絡してくりゃいいだろ」
「そうだな」
東条は短く返信した。
『会いたいなら、まずお前が来い。話はそれからだ』
送信を終えると、スマートフォンを机に置いた。
神谷が笑った。
「相変わらずだな、お前」
「何が?」
「普通、もうちょっと警戒するだろ」
「警戒はしてる」
東条は立ち上がった。
「だから、いきなり代表と会うつもりはねえんだよ」
翌日の放課後。
東尾張工業高校の校門前に、三人の男子生徒が現れた。
佐藤健。
岡島秀太。
朝比奈優吾。
岡島は校舎を見上げた。
「ここが東尾張工業か」
朝比奈が頷く。
「そうらしいな」
「思ったより普通の学校だな」
「何を期待してたんだよ」
「もっと怖い奴らが校門に並んでるとか」
朝比奈は呆れたように笑った。
「そんな学校あるかよ」
佐藤は二人を振り返った。
「今日は話をしに来たんですからね」
岡島が肩をすくめる。
「分かってるって」
「特に岡島さん。余計な挑発はしないでください」
「信用ねえな、俺」
「昨日の秋山さんへの報告を読めば、当然です」
朝比奈が笑った。
「言われてるぞ」
「お前も笑ってんじゃねえよ」
三人が校門に近づくと、一人の男子生徒が立ちはだかった。
久我山慎吾だった。
「……お前ら、誰だ?」
佐藤が一歩前へ出る。
「今川学園の佐藤健です。東条さんにお約束をいただいています」
久我山は三人を見比べた。
「三人も来るとは聞いてねえぞ」
「申し訳ありません。二人は同行者です」
久我山は岡島に視線を向けた。
「……何笑ってんだ?」
「いや、別に」
岡島は口元を緩めた。
「結構警戒されてんなと思って」
「当たり前だろ。知らねえ学校の奴らが来たんだから」
朝比奈が岡島の前に出た。
「悪いな。こいつ、こういう奴なんだ」
久我山は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……ついてこい」
旧校舎二階。
教室に入ると、東条雅人が待っていた。
その両側には神谷亮介と相馬恭介がいる。
佐藤は軽く頭を下げた。
「初めまして。佐藤健です」
東条は椅子に座ったまま答えた。
「東条雅人だ」
「本日は時間をいただき、ありがとうございます」
「堅苦しい挨拶はいい」
東条は三人を見た。
「用件を聞こうか」
佐藤は頷いた。
「僕たちは今、尾張の各学校について調べています」
神谷が眉を寄せる。
「……何のために?」
「三河と尾張の交流を広げるためです」
相馬が口を開いた。
「交流?」
「はい。今川学園では、三河の複数の学校が協力関係を築いています」
東条は腕を組んだ。
「それで?」
「今後は尾張の学校とも関係を築けないかと考えています」
神谷が笑った。
「つまり、俺たちを仲間にしたいってことか?」
佐藤は少し考えた。
「将来的には、そうした可能性もあります」
教室の空気が変わった。
久我山が口を開く。
「……ふざけんなよ」
佐藤は久我山を見た。
「何か?」
「俺たちが、わざわざ三河の連中に従うと思ってんのか?」
「従ってほしいとは言っていません」
「じゃあ何だよ」
佐藤は落ち着いた声で答えた。
「まずは、お互いのことを知りたいんです」
久我山は何か言い返そうとした。
しかし、東条が片手を上げる。
「久我山、黙ってろ」
「……東条さん」
「話を聞いてからでいい」
久我山は不満そうに口を閉じた。
東条は佐藤に視線を戻した。
「で、その交流ってのは具体的に何をするんだ?」
「学校間の情報交換や、問題が起きた際の協力などです」
「喧嘩の時も助け合うってことか?」
「場合によっては」
東条は小さく笑った。
「……随分うまい話だな」
佐藤は黙っている。
「三河の連中が、何の見返りもなく俺たちを助けるわけねえだろ」
「もちろん、こちらにも利益はあります」
「何だ?」
「尾張に協力してくれる学校が増えれば、僕たちも活動しやすくなります」
東条は頷いた。
「つまり、尾張に足場が欲しいわけだ」
佐藤は少しだけ目を細めた。
「……そういう見方もできますね」
「違うのか?」
「否定はしません」
東条は椅子にもたれた。
「正直でいいじゃねえか」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、岡島が口を開いた。
「なあ、東条」
東条が顔を向ける。
「何だ?」
「秋山天馬に負けたって本当か?」
神谷の表情が険しくなった。
「……おい」
岡島は構わず続けた。
「俺、この前あいつに会ったんだよ」
東条は少し驚いた。
「天馬に?」
「ああ。面白い奴だった」
「……そうか」
「お前、本当にあいつに負けたのか?」
久我山が一歩前に出た。
「てめえ、さっきから何なんだよ」
朝比奈が岡島の肩を掴んだ。
「おい。余計なこと聞くなって言われただろ」
「いや、気になっただけだって」
東条は久我山を制した。
「……負けたよ」
岡島が顔を上げる。
「へえ」
「一対一でな。言い訳するつもりもねえ」
岡島は東条を見つめた。
「……あいつ、そんなに強えのか」
「強えよ」
東条は即答した。
「少なくとも、あの時の俺よりはな」
岡島は少し笑った。
「なるほどね」
佐藤が口を開く。
「岡島さん。その話はここまでにしてください」
「はいはい」
佐藤は東条に向き直った。
「失礼しました」
「別に構わねえよ」
東条は答えた。
「負けたことは事実だからな」
そして、佐藤を見つめる。
「それより、俺からも聞いていいか?」
「はい」
「お前らの代表って、どんな奴だ?」
佐藤は少し姿勢を正した。
「遠藤道流さんです」
「遠藤道流……」
東条はその名前を繰り返した。
「三河じゃ有名なのか?」
朝比奈が答える。
「知らない奴の方が少ないと思う」
「そんなに強えのか?」
岡島が笑った。
「強えよ。俺たちの中じゃ一番だ」
佐藤が続ける。
「ただ、遠藤さんは喧嘩の強さだけで人を判断する方ではありません」
東条は腕を組んだ。
「……そうか」
「遠藤さんは、東条さんと直接お話ししたいと考えています」
「何について?」
「今後の三河と尾張の関係についてです」
東条は少し考えた。
そして答えた。
「会うかどうかは、俺が決める」
「もちろんです」
「ただし、一つ条件がある」
佐藤が顔を上げた。
「何でしょう?」
「俺たちの仲間に、勝手に手を出すな」
佐藤は黙って聞いていた。
「勧誘するなら、本人の意思を尊重しろ。脅して連れていくような真似は認めねえ」
岡島が少し驚いた顔をした。
東条は続ける。
「俺たちは最近、そういうやり方をやめたばっかりなんだ」
佐藤は頷いた。
「その件については把握しています」
「だったら話は早え」
東条は真剣な顔で言った。
「同じことを三河の連中がやるなら、俺は黙ってねえぞ」
佐藤は東条を見つめた。
「……分かりました」
そして、静かに頭を下げた。
「遠藤さんにも、そのままお伝えします」
校門を出たあと。
岡島は大きく伸びをした。
「いやあ、緊張したな」
朝比奈が笑った。
「お前が一番余計なこと言ってただろ」
「そうか?」
「そうだよ」
佐藤は二人の会話を聞きながら、スマートフォンにメモを残していた。
朝比奈が尋ねる。
「どうだった?」
「東条さんですか?」
「ああ」
佐藤は少し考えた。
「予想していたより、はっきりした方でした」
岡島が頷く。
「だな。負けたことも普通に認めてたし」
「それだけではありません」
佐藤は答えた。
「以前の東尾張連合なら、三河との協力を勢力拡大の機会として考えたかもしれません」
朝比奈が尋ねる。
「今は違うってことか?」
「はい」
佐藤は校舎を振り返った。
「今の東条さんは、組織を大きくすることより、残った仲間を守ることを優先しています」
岡島は笑った。
「悪くねえじゃん」
「ええ」
佐藤も頷いた。
「ただ、その考え方は、こちらの計画と必ずしも一致しません」
朝比奈が腕を組んだ。
「遠藤さんにどう報告する?」
「今日あったことを、すべて伝えます」
佐藤はスマートフォンをしまった。
「その上で、次の判断をお願いするつもりです」
一方、東尾張工業高校。
三河の三人が帰ったあとも、東条たちは教室に残っていた。
神谷が口を開く。
「……どう思った?」
東条は窓の外を見た。
「頭の回る奴だったな。あの佐藤って一年」
相馬が頷いた。
「こっちのこと、かなり調べてましたね」
「ああ」
久我山が不満そうに言った。
「俺は気に入りません。何が交流だよ。どうせ東側を取りたいだけでしょう」
東条は振り返った。
「その可能性はある」
「だったら、最初から追い返せばよかったじゃないですか」
「話を聞かずに追い返しても、何も分からねえだろ」
久我山は黙った。
東条は続ける。
「向こうが何を考えてるのか、知っておいて損はねえ」
神谷が尋ねた。
「遠藤道流とは会うのか?」
東条は少し考えた。
「……まだ決めてねえ」
「警戒してるのか?」
「ああ」
東条は正直に答えた。
「北陵会の件が落ち着いたと思ったら、今度は三河だ」
相馬が苦笑する。
「忙しいですね」
「まったくだ」
東条は椅子に座った。
「でも、俺たちがどうするかは俺たちで決める」
神谷が頷いた。
「ああ」
「三河の連中がどれだけ強かろうと、簡単に従うつもりはねえよ」
久我山が笑った。
「それでこそ東条さんです」
東条は机の上に置いたスマートフォンを見た。
佐藤健。
岡島秀太。
朝比奈優吾。
そして、遠藤道流。
今日初めて知った名前ばかりだった。
だが、彼らが尾張に関心を持っていることだけは、はっきりした。
「……遠藤道流、か」
東条は小さく呟いた。
「一度くらい、顔を見ておくべきかもしれねえな」
第56話 完




